アイの代わりに(2)
2、
どうしようもないほどに栄光の日々、今となっては口にするのも面映ゆいことではあるのだけれど、私はたいへん良くできた子供でありました。
太宰治が書いた人間失格、かの主人公のごとく。あれほどに分かりやすい似姿が活字に現れれば、我ならずとも投影せざるを得ません。
真理とは再現性であり、共感とは普遍性のことです。突き刺さるほどに鋭い言葉がそれでも相手を選ぶのは、巨大な共通項が引力を有するからなのです。
すべて形さえ似ていれば中身も似る。構造とは本質であり、幼子と老人の相似性を論うまでもなく、歴史に蘇る闘争の原因を声高に叫ぶまでもなく。
記憶にある黄金の言葉はひとつ、人様の迷惑になるな。
なんとまあ悪辣な言葉か。こんな呪いを毎日耳に流し込まれて悪い子になれるはずがありません。
ひとに優しくしなさい。ひとを困らせるのは悪いこと。遠慮するな。我が儘を言ってはいけない。口答えするな。言いたいことがあるなら言いなさい。
愛情を積み上げられた子供について、良い子であると母が誰かに語ります。煌煌たる幼少期は、こうして押しつぶされていたわけです。眩むほどの煌めきに溢れた日常が記憶から遠ざかったのは、脳のメカニズムを考慮すれば不思議ではありません。
毎日同じ時間に起床して学校に登校し勉強してから帰宅する。これを子供時代と記号化するだけです。
突然足の折れた椅子めいて崩れ落ちた父の姿は、ぽつんと鮮明に残っています。
医師も手を尽くしたようでしたが、それは同時期に壊れた私の大事なおもちゃ、あの捨てられた可哀相な玩具と異なり、元通りになることはなかったのです。
慌ただしい数日が過ぎた頃、帰り着いた父を静かに見下ろす母の横顔は、どこか優しげで、凍えるような美しさがあったように思われます。そのとき父の声を聞いた気がしました。
次に感じるものは変質です。
私は可愛げのある子供だったので物言わぬ骸を見れば、さめざめと泣くくらいのことはしますし、状況を理解して空気を読むことは、人生には必須と誤解していました。
これこそ染みついた毒のひとさじ。手元に銀のスプーンがあればいっそ吐き出していたものを。
大声で泣く私に母は言うのです。お父さんは眠ったの。だから静かにしなさい。
口を押さえ、次々に流れてくる熱い涙をこらえ、言われた通りに振る舞うべく部屋の片隅に逃げ込もうと懸命に努力したのです。
どこに行くの。お父さんにかけてあげる言葉は無いの。もう二度と会えないのよ。分かっているの。今のうちにいっぱい話をしておきなさい。ほら、ちゃんとお父さんの顔を見て。
死を理解できていない子供と思っているのか逆なのか、身内の死を認識してはおりましたけれど、ショックを受けるかもしれない心配からは除外されていた。
もはや父は死人です。手遅れになり、冷たくなった死体です。ここに横たわっているのは心臓の止まった亡骸に過ぎませんが、混乱と疑問と少しばかりの嫌悪感、それらを押しとどめて私は求めに応じ、冷気と臭いとを同時に感じる至近距離から、何かを口にしたはずです。
夏じゃなくて良かった。
いくらなんでもこんな露骨な言葉は吐かなかったはずですが、もはや記憶の果てなので確証はありません。思うに、さようならの一言でなかったと思われます。当時の母の様子を鑑みるに、これだった場合、なんでそんな冷たい言葉を口にするのと間違いなく泣き顔で詰られますから、投げる匙も無いままに言葉を選んだはずで、もう少し気の利いた台詞のひとつも思い浮べばと、今でもちょっとだけ悪いことをした気になります。
頭の回転に自信がある子供なんてこんなものです。己を規定しながら期待値以下の人生をなぞっているに過ぎないのですから。
父の死に左右されず日常は連続しています。合間に、ウルトラマンごっこやファミコンを一緒に遊んだ友人がいたはずなのです。
いつも私がバルタン星人だったり、効きの悪いコントローラーで必死にボタン連打していた記憶、惜しむらくは名前も名字も霞がかったように曖昧で、果たして本当に仲が良かったのかと疑問に思いつつ、しかし今となってはそれすら鮮烈に楽しかった、そう懐かしむことが出来るのだから悪いことばかりでもありません。
海援隊の贈る言葉は遅くまで散々に練習させられ、一方歌い方を教えてもらえなかった君が代は本番を口パクでやり過ごすしかなかった頃、母が店を開きました。
保険金は常識的な額でしたが、それまで通りの生活をしていれば贅沢と誹られても仕様がありません。
だからお店をやって日銭を稼がなきゃいけないのよ。
悲嘆に暮れている場合ではありませんし、ため息をこれ見よがしに吐いた母は、経済状況の悪さを懇切丁寧に教えてくれました。
家計簿にある数字を指さし、ひとつひとつ、理解できるまでしっかり説明してくれたのです。
少しでもお金に余裕を作らないといけないからね、と口にされ時点で思惑は掴めていたのですが、聞き流す他に何が出来ましょうか。
他でもない私のためにお金が必要なのだそうです。お金を稼ぐのはとても大変なことなので、だから限界まで父が身体を酷使してしまったし、遺された私たちはお互いに協力して家族のことを考えながら自分に出来ることをしていかなければならないと語る母の表情は何かに耐えるような厳しい表情で、すぐさま世間知らずで何もかも分かっていない私を抱きしめ、それはそれは潤んだ眼差しを向けては、あなたには苦労を掛けるけれど一緒に頑張ってくれるわよね、といった言葉で締められますと、首では無い場所に息苦しさを感じました。
もちろん一緒に頑張ってくれるわよね。当然一緒に頑張ってくれるわよね。全部あなたのためなんだから。
言葉にされない部分を聞き取ってしまうのは何故でしょう。小説であれば行間を読むとされるそれ。あえて書かれないことで強調されるそれ。経験か想像力によって半ば自動的に補間されてしまう空白。輪郭の外側しか存在しないのに、内側までも見えてきてしまう強烈なシルエット。
少量ずつ盛られた毒はそうして結実します。ひとに迷惑を掛けてはいけません。もちろん私の意見というか返答は必要なかったようで、リビングから立ち去る背中を目で追い掛けて、椅子に腰掛けたままテーブルに肘を突くのでした。
母が社長ぶるのを横目に近くの中学校へと進んでゆく私は、赤い靴こそ履いていませんでしたが、代わりに自転車に乗ってドナドナを口ずさみます。
小学校六年生は大人びているけれど、一ヶ月後の中学校一年生は打って変わって子供っぽくなる。
思えば中学三年と高校一年の関係もそれとほとんど同じで、立場が人を作るというのは案外正しいのかもしれないと、年を経てから思い返します。誰も後悔を先にすることは出来ないのと等しく、その瞬間には見えていないものが多すぎる。
中学では新入生は部活動に入ることが義務づけられていました。
もちろん特別な事情があれば別ですが、普通の生徒は部活動に入ることを楽しみにするもので、私も御多分に洩れず、面倒と感じるにはまだまだ学校生活に夢を持っていられる時期でした。
若さを持て余していたこともあって身体を動かせるスポーツをしたい、などと珍しく色気を出したのがすべての間違いの元でした。
入部直前に母にお伺いを立てたことで、その後の展開の一切は消え失せました。
良い子良い子、本当に良い子。小さい頃からしっかりした子で気遣いが出来て優しくて自慢の子なんですよう。
ご近所さんに自慢するような言葉に追い立てられて、私は進むべき道を見失ってしまうのです。
かくも厳しき青空の下、腕利きの羊飼いはいずこなりや。
面と向かってこうしろと告げられることはなく、ただ自発的に手伝いを申し出るより他に道はない。
開店直後だから人手が足りないと布石がすでに打たれていました。母の口からはお店の様子について報告されます。
丁度授業が終わったくらいの時間から混み始めるのだと、ひどく疲れ切った姿と一緒に語られるわけです。
母の顔色を窺う子供に選択肢などありません。
あら、いいの。手伝ってくれるなら助かるわ。ええ、ええ、暇なときだけでいいから。一人だとあちこちに仕入れにも行けないし、店番をしてくれるだけで十分よ。
小洒落た雑貨店で、家賃は十八万の小さな店舗、交通量の多い県道に面してはいるものの、ちゃんとした専用駐車場も無い、まさに趣味の店でした。道楽としてやる分には悪くないけれど、これで儲かるのかと子供ながら不安でいっぱいになり、実際、経営はすぐさま火の車へと転落し、低迷したまま数年が過ぎてゆくことになります。
最初にあったはずの週一の定休日はいつの間にか消滅し、伸び伸びとしていた営業時間も延びに延び、余所様を雇う余裕も見つけられず、それでいて母子が暮らしてゆくのがせいぜいの稼ぎ、黒字などとは口が裂けても言えはしない。
母は回収できるつもりでいたでしょうが、あんなこといいな、出来たらいいなで済むのはフィクションの中だけです。
母の振る舞いは明るく優しく世話好きで、世間様に嫌われるようなところは見当たりませんでした。
それが商売に繋がらなかったのは方向性を誤っていたからだと手遅れになってから気づくことになるのですから、当時の自分たちが理解できたとは思えません。
ましてや今流行の中二病患者であった私には。
嗚呼、あの全能感! あの孤独感!
中二病も黒歴史もサブカルから生じたる造語なれど、これ以上にその状況を言い表す他の言葉が無いのだから、きっと今後何百年も残り続けることでしょう。
思春期の暴走、差し伸べられる手を振り払って空を見上げたくなった、目を背けたくなるおぞましき日々。
狭い世界の中で妄想に耽り、己の万能を疑わず、世界の間違いを理解した気になっていた痛々しい記憶たち。
はしかより性質の悪いこれを小児病者と呼んで、辛いこった辛いこった! と中原中也は詠ったけれど、振り返るに、どうしてあんなにも幼かったのか自分の未熟さが恐ろしくなるほどです。
踏みつぶされる虫が一匹出てきました。虫と言っても小さな蜘蛛だったので、指ですくって室外へと運びました。外は空気が冷たくて、息が白くなります。
ベランダに置いてあった万年青の葉に乗せて、私は浦島太郎じゃないから御礼はいらないよ、と冗談っぽく告げておきます。
蜘蛛は嬉しそうに少し震えてすぐさま葉の裏へと隠れてしまいました。
それから音を立てずに戸を閉めて、意気揚々と机に向かうのですが、数分後に鶴の恩返しパターンが残っていたことを思い出し、窓を開けずにベランダの様子を再び眺めてみたものの、蜘蛛の姿は見つかりませんでした。
ため息一つ、肩をすくめて空を見上げれば、透き通った橙と青を隔てるようにして、二条の飛行機雲が絡み合って溶けて、眩い秋空に混ざっていったのです。
建前の上手さが大人の条件だとすれば、下手な本音が子供の条件でしょう。
見え透いた本音は気づかせることに意味があり、母がタイミングを見計らって語る、ああなんでかしら、すごく疲れた、ちょっと休むだけだから気にしなくて良い、忙しくて構ってあげられなくてごめんね、と実に効果的に振るわれました。
朝食の席で正面からでは逃げ出すことも難しく言い返せる空気ではありませんし、母が用いる言葉と態度と状況に、ただでさえ反撃の手段をほとんど持たない私と使えば使うほど慣れて扱いが上手くなる母とが争えば、端から勝ち目など無かったのです。
畢竟、かような赤銅色の敗北にまみれた中学時代でありましたが、幼さを言い訳とするのは難しい時期でした。
なにしろ私は良い子です。
人様のご迷惑に成り果てるような悪い子になってはならぬ。
悪戯ひとつの経験も無く、かといって仏頂面で笑わぬ子供は誰かの不愉快を誘発する。どうすればよいのか解決策はひとつ。
笑顔で過ごすのです。
誰の人生が面白くなくとも、とにかく笑う。
不機嫌な顔は捨て、不満の表情を仮面に移す。そうあれかし、と願ったのは誰であったのか、私には分かりません。もはや分かろうとも思いません。
契機について語るのは容易く、何かの折に母が求めたからでございましょう。
頑張って働いて、疲れて帰ってきたんだから、せめて笑顔で迎えるくらいのことはしてもいいんじゃない。
嬉しいとか楽しいとか、それは仕事には不必要なものです。
勤勉に笑顔を見せるのが、まず与えられた私の責務。
一般的な中学生の笑顔が増えて何ら困ることなどありません。
笑顔でいることは幸福の証拠なのですから。
私は幸福です。
幸福であることは私の義務なのです。
ここまでの言葉で先刻ご承知でしょうが、こんな幸福な私でも中学生らしい生活は確りと存在していました。よく見られるような、それぞれ違う形を持つ不幸な子供ではなかったのです。
夕方六時に始まるアニメを鑑賞したり、有情努力勝利を是とする少年週刊誌に一喜一憂したり、スーパーになったファミコンで竜退治をしたり、何度もさらわれ続けるお姫様を助け出したりと、時間と状況の許す限り色々なことをして、その瞬間ごとはそれなりに楽しかったに違いないのですが、そうした自由なはずの時間を浪費するたび何か気が引けるというか、この瞬間にも母が忙しく働いている、その事実が常に頭から離れず、なにもかもを忘れて夢中になることが出来ませんでした。
人の夢と書いて儚いと読む。
誰が言ったか作ったか知りませんが、正しい言葉はいつも悲しい。
何をしていても落ち着かないのです。どうしたってのめり込めないのです。
もっと別にやらなければいけないことがある。そんな気がして、私は勉学に打ち込むことにしたのです。
中々熱心に学んでいたようで、宿題の消化や知識の獲得に奔走している最中だけは、決まって現れる袖引きの姿はどこにも無く、もちろん夜中の太陽、昼間の星、曇天の向こうにある青空に過ぎないのだけれど、ただ、一時の安息を得られたことは事実です。叶うならこの安寧に浸っていたかった。
青春の汗を流すため、かくも厳しく練習に打ち込み、血と汗と涙の結晶はやがて思い出になる。そんな夢に溢れた部活動は、私にとって不必要とされました。
テニス部、バレー部、サッカー部にバスケ部、どれも基本は変わりません。
授業が終わって放課後に部活動に励むとして、遅ければ午後七時くらいまで学校に残ることになるでしょう。土日には他校との練習試合などが入るかもしれません。
それでは下校時刻を過ぎてから母の店に向かい、手伝いをするための時間が残る余地などないのです。
もちろん少しでも働けばそれで十分と言われるかもしれません。激しい運動をしたあと疲れ切ってから店に向かって働けば、自ずと影響は出ます。どちらも中途半端になることは自明でした。
入部の取りやめを強制されたわけではありません。私をじっと見つめた母が、忙しいときには手伝ってくれるのよね、と口にしただけです。
ユニフォームやシューズ、その他の費用は、どの運動部に入っても数万くらい掛かると入部前に説明があったのも念頭にあったかもしれません。
お金がどこから捻出されるのか、中学生にだって分かっています。それだけのお金を使って部活動をやる必然性はあるのかと迷いました。
たかが中学生、たかが部活動。
才能があるなら初期投資として気にするほどの金額ではありませんし、こちらを優先する意味もあるでしょう。しかし何も始まってすらいない段階で本当にその部活動を心の底から真剣にやりたくて他のすべてを蔑ろにする覚悟があるのか、そして始めてみたはいいが途中で辞めて無駄にしてしまう可能性について、どうしても考えてしまうのでした。
では何か他の部活動、運動部ではなく、もっとインドアな、お金の掛からないものはないか。ブラスバンド、美術、ボランティア、テーブルゲーム。選択肢は山ほど用意されていましたが、雨の中で踊るだけの自由になど何の意味があるのか。
そんな気持ちで選んで、やる気が出るとも思えません。
躊躇う私を見て、本気で選んだことなら反対はしない、手伝いもしなくていいから、とまるで応援するような言葉を母が口にしましたが、その言葉の裏に潜んだ本音が、耳を澄ませなくてもはっきりと聞こえてくるのです。
本気で選んだことなら、ね。
私は何も選べませんでした。自分からという扱いで店の手伝いに向かうより他、道は閉ざされたままでした。私は意志が弱い? 自分を持っていない? 雑音を無視してやりたいことをやるべきだ? 世間様の仰るお言葉はいつだって正しいけれど、こんなときこそ先達たる太宰に阿りましょう。
栞を挟んでおいた人間失格を開いては、その黄ばんだページを眺め、見慣れた文字を目で確かめて、ため息混じりに読み上げる。
世間というのは、君じゃないか。
母は喜んでくれました。手伝ってくれるのね、ありがとう。
最初こそ感謝を告げられたものでしたが、私が店に出ることが増えていくと、やがて一声すら惜しまれ、当然として店のシフトに組み込まれてゆくのでした。
最初は火曜、次は火曜と木曜、気づけば土日にも私が一人で店番をする時間が設けられていました。
週末は開店から閉店時刻まで接客に追われ続け、私に課せられた役目とすり替えられていたことを理解したのは卒業を控えた、ひどく寒い日のことでした。
中学生は普通、友人と連れだって遊ぶものです。狭く深くでも良いし、広く浅くでも悪くない。部活をしていれば夕方に、そうでなければ放課後から、あるいは休日、軽い気持ちで駅前のゲームセンターに寄ったり、足を伸ばして映画館を訪れたり、誰かの家に集まってはしゃぎ回るものです。
学校だけの付き合いでは、それ以上の関係には育ちません。世にもくだらない馬鹿話を延々としたり、道ばたに投げ捨てられた成人向けの雑誌を隠れて一緒に読んでみたり、猥談をしてみたり、一緒に旅行を企てたり、そうした経験が成長の遅い植物を花開かせるためには必要でした。
積極的に動いていたなら誰か一人くらいは親しくなれたかもしれませんが、放課後にはさっさと帰って店の手伝い、休日もいつも予定があるからと断りを入れ、友人付き合いを拵えるための時間と労力は、生活のため、その錦の御旗によって自ら立て替えるより他なかったのです。
言い訳と思われるかもしれません。否定はしません。
努力しなかったのです。アニメや漫画、ドラマや小説に出現するようなまともな青春を送ることに対し一生懸命ではなかった。
羨ましいと思いました。妬ましいとも。しかし緑色の目を輝かせることはあっても行動には移さなかった。
自分のせいです。うんざりするほどに自分自身の責任なのです。
母の言葉が降りしきる中、傘を持たない私は踊らなかった。
良い子。良い子。本当に良い子。言い訳ついでに付け加えるのなら、私は今でも人付き合いを避ける傾向が続いています。決まり事に従うのは楽だけれど、ぽんと自由を手渡されると、もうどうしたらいいのか、どうすべきなのか、さっぱり分からなくなってしまうのです。
約束が怖い。たとえば人と会う約束をしてしまえば、一時間前には待ち合わせ場所に着いていないと落ち着きません。話すことも不慣れです。
店員としてならば、そつなくこなせる自信があります。義務だからです。私は私ではなく店の一部としてラベリングされている。そこには本当の私なんてものは必要なくて、ただ相応の機能を果たせればそれで良く、人間に作られて便利使いされる神様みたいなシステムとして振る舞えれば十分存在として成立するのですから、淡々と与えられた役割を自動的に遂行することをこそ求められています。
駅前のティッシュ配りを誰も一個の人格とは認識していないように、店員としてのみ認識される。大抵の人間は他者の存在を役割によって規定するのです。
自分として誰か他人と話すとき、私は相手の名前をどう呼べば良いのか困惑します。立ち位置も距離感も役割も定かでないとき、呼びかける行為にも躊躇します。
話しかけられたら、なんと返せば良いのか、答えを探しているうちに、言葉に詰まって固まります。停止と躊躇い、懊悩こそが相手にとっては不愉快極まりないらしく、気を遣ったような笑顔で、冷たい視線で、何でも良いから話してみてと口にされますと、ようやく喉から出かけた言葉も引っ込んで、何もかも、何もかも、あらぬ地平に吹き飛んでいってしまうのです。
何でも良い。何でも良い。何でも良い。
何でもでは良くないから、会話をしているのでしょう。
もしや、これは会話ではなかったのか。
相手がまだ笑顔であれば焦り、その笑顔が消えれば震え、嘆息されれば困り果て、私の硬直はいっそう強く堅固になります。
声はつっかえ、喉に言葉が絡みついて、なんとか絞り出した一言は無難な表現に留まるしかなく、必死に私が喋った言葉は一週遅れで、相手は別の話題に切り替えていて、吐き出した言葉はどこにも届くことはなく宙に浮いたまま、居場所を失い漂うか、はらはらと地に落ちてゆくばかり。
相手と二人きりですらそんな調子なのですから、私は石になるより他はない。頭の中心で無数の言葉が渦を巻いて、浮き沈みを繰り返します。どんな質問にも適格に返せるだけの言葉の群れが、今か今かと役目を果たす瞬間を待っているのですが、実際に放たれるものは探し回って見いだしたどれとも異なる、つまらない一言。
長々として益体も無い的外れな一矢。はいといいえで言い表せる問いにすら私は怯えを隠せません。
問うひとはすべてを語ってはくれぬのですから。
たとえばそのとき何かを指して食べられるかどうか、好きかどうか、そうした単純な質問が投げかけられます。私は答えようとして、困る。
まず考えます。昨日は好きだったが今日はそんな気分でもない。以前調子が悪くなった気もしたが、そのとき以外は大丈夫だったようにも思われる。似たものなら問題無いが、それそのものは実際に食してみなければ確実とは言えない。
正確に答えようとすれば、無数の可能性を排除しなければなりません。
一方で相手が望んでいるのは簡素な答え、結論のみであることもまた、理解しているのです。
なぜそれを聞かれたのか。相手の表情はどんなものか。醸し出している雰囲気はいかなるものか。どんな答えが望ましいか。
一瞬のうちに大量の答えが思い浮かびながらも、ならばどれを告げるべきかについては確信が持てない。
ひとに迷惑をかけては、いけません。
良い子。良い子。本当に良い子。
あなたはやれば出来るんだから。遠慮してはいけない。
急いで答えようとすれば言葉は形を失って、しどろもどろの音と成り果て、三つくらいの言葉が混ざったままに、同時に喉を通り抜けようとするのです。
すぐさま答えなければならない。正確に返答しなければならない。
慌てれば言葉が足らず、言葉を選別すれば切りがない。これは兎角、難しい。
相手の苛立ちは当たり前です。私にだって分かります。分かっているのに、どうしても相手の望み通りには出来ません。
何が悪いのかといえば、私が悪いに決まっているのです。世の中の多くのひとには容易いそれが、私にとっては艱難辛苦の道のりです。
そんなの適当で良いから、さっさと答えて。
問うひとは、皆、必ずと言って良いほど、そう続けます。善意で、中身ではなく、とりあえずの形を求めます。本当に? 私には到底信じられません。適当と嘘がどう違うというのか。
間違いを伝えるのは、良くないことです。嘘は、いけません。しかし適当ならば仕方ないとして処理される。そういうものとして流される。不可解で、不公平で、気持ち悪い。騙す意図さえなければ、良いのでしょうか。何をしても、わざとでなければ、許されるのでしょうか。
決めるのは私ではない。私ではないものが私の言葉について評価する。
こんなにも恐ろしいことは、ない。
だから間違わぬよう、過たぬよう、言葉を選び、這這の体で答えるのです。でなければ黙るより他なく、黙ることすら出来ぬのであれば、遠ざかることを選びます。お互いのために、ならぬのですから。
その結果が今この人生に一人きり。
一度として恋人など出来たこともなく、それを寂しいと思いはすれど、ただぼんやりと流されて今。




