アイの代わりに(3)
3、
伝わらない表現に意味なんてないのさ。
先生が仰ったのは果たして何の話をしたときだったか。そう、そうです。私が読んだ小説に結局何が書いてあったのか分からなかったときです。公園のベンチに並んで私と先生が腰掛けて、からっぽの青空の下で通り過ぎる風の唸りを聞いていましたた。
あまりに鮮やかな一言で、身も蓋もない先生の言い方があまりに堂に入っていたゆえ見事と感服するのみです。
私は手元の本を持ち上げました。シンプルな表紙で、帯には何某の賞を得たと人目を引く白地に朱で記載してあります。
書いてある文字は日本語なので当然読めますし、文意も問題無く理解できます。
賞を得た以上、この小説はとても凄いことを描いているはずなのに、私は何度読み返しても、この税込み千数百円もしたハードカバーの書物に存在する意味が見いだせなかったのです。
仮託か忖度かされた回りくどい表現がいくつもあって、無数の暗喩と新しい比喩たちに彩られ、意図があって言葉は選ばれたと推測できるのですが、どうにも釈然としない気持ちが残ります。
この話は本当に面白いのか。ただ文章を垂れ流しているに過ぎないのではないか。出版されたからには完成が前提で、私を納得させないための小説だとも思えません。
読み終えて途方に暮れて、幾ばくかの悔しさは、ある。
評価する者がいるのだから、届かぬ自分が足らぬのだと感じ、だがいったい何が足りぬのか、指先で文字をなぞれども、頭の中で言葉を読み上げたところで、とんと分かりません。教養。経験。柔軟さ。
あるいは私ごときでは想像も出来ぬ、他人が持っている何か。
答えはある。私が分からないだけで、書かれ、評価されたからには、何らかの答えがあるはずです。小説は自由だと誰かが書いていた。自由は素晴らしいものです。これもまた自由に書かれた小説なのでしょう。私は信じたのです。この世には答えのない問いなどありはしないと。
それはまさに私らしい無知の証明でした。
不意に子供の頃の問答を思い出しました。涼しい秋の昼前、近所のスーパーマーケットで母と買い物に出かけたとき、トンカツか何か、揚げ物コーナーで出来合の惣菜をカゴに入れたあと、隣にいた私がこう尋ねられました。
キャベツはいる? はっきり要らないと答えたところ、どうしてと問いただされ、キャベツはいるでしょとの言葉と共に、野菜売り場に連れて行かれました。
先生が仰ったのです。伝わらないなら意味が無い。そうだった。そうだったのだと私はひたすらに頷くばかりでした。私の問題だったのです。
早速ベンチの傍に置かれたゴミ箱に本を投げ棄てました。
直後、先生はゴミ箱の底に落ちていった本を取り出し、本はこんな風に棄てるものではないと優しく諭してくれました。必要ないものを棄てる。これの何が悪いことかしら、と首を傾げたところ、先生は重ねて言いました。
理解できない人間は殺すべきだと思うのかね。答えられませんでした。これは先生が口にした伝わらない表現そのものでした。
考え抜いた結果、受け取ったハードカバーの本を、私たちが並んで座っていたベンチの上にそっと置きました。
隣にいた先生の表情を、そっと窺いました。先生は頷きました。正解だと言われた気がしました。
なんだか嬉しくなりました。行為の意味は他者の内側に発生するものであって、真実など何の意味もなく、ただ起きてしまった結果の言い訳に過ぎぬのですから。
先生は笑顔でした。私も笑顔でした。
公園には背の高いメタセコイアが等間隔で立ち並んでいました。ベンチから離れた私たちは木陰に座り、しばらく木漏れ日のまばゆさを楽しんでいました。
風が吹くたび、ちらちらと輝きが揺れ、格子の中で影が踊ります。
日差しが強く、気温は高く、時折涼しい風が通り抜けていく。子供の甲高い声も気になりません。散歩をする中年の夫婦が、にこやかに挨拶をして通り過ぎてゆく。
その歩みは静かで。ゆっくりとしていて、楽しげで。
私たちは言葉を忘れて、ぼんやりと丸まった背中を眺めていました。
それは素晴らしい日々の記憶、その最たるものでした。
夏の終わりです。先生はベンチに深く腰掛けていましたが、私に気づくと本のページを繰る手を休め、軽く挨拶を交わしました。
先生がどんな存在であるのか、これまで直裁に尋ねることはしませんでした。立ち振る舞いから色々読み取れます。特に喋り方には、職業や立場、思想、そういったものが意識せずとも透けて見えるものです。特定こそ出来ませんでしたが、ひとを教え導く立場にあり、手慣れていると確信してはいました。
先生と呼ぶ。この行為に何ら不自然さを覚えなかったからです。
想起される職業はあります。学校の教師、医師、あるいは政治家。裾野を拡げて塾の講師であるとか芸術家など。創作に携わるか権威を持っているか。呼称一つとっても道筋は多く、真実を知るには先生の言葉を待つより他ありません。
先生が手にした本は、真っ白な表紙もさることながら、歪で不思議な感じを受ける装幀でした。私は語られる書物の内容について口を挟みませんでした。
先生は大笑し、こう言いました。誰かが夢想する。最初に思い描いた者には実現できなかった。だから他の誰かが実現する。それは人類の進歩そのものだ。
すまない。どうも興奮してしまったようだ。
最近気づきましたが、私は文学と相性が悪いようです。三島に太宰に芥川。詰め込むように結構な量を読みました。だから小難しい話はもうたくさん。私でも分かる話を読みたいのです。答えが欲しくなるのは私たちの常です。問いには答えがあるべきだと信ずるがゆえに。人間は納得によってのみ、理不尽から逃れうるのですから。
正しさとは法則性に拠るものです。答えのない問いがあれば、それは問うこと自体が謬りなのではないかと、私は煮詰まっていない考えを慎重に言葉にしていきました。答えそのものではありません。しかしもっともらしい言葉ではありました。
前を歩いていた若い恋人たちが笑顔のまま大回りをして遠ざかっていきました。そんなにも奇異だったのでしょうか。これからも利用する公園で、変な噂を立てられたらたまりませんが、先生は私の危惧などお構いなしに満足げな表情を浮かべました。
なんだか羨ましくなって、先生の言葉が戻ってくるのを待ちました。いつまでもいつまでも待っていました。先生は、そのまま黙り込んでしまったのでした。
気がつけば陽は落ちて、あたりは暗くなっていました。夕刻を過ぎると公園から人の気配が消えていきます。誰も通りかからない。先生は立ち上がりました。
暗くなるから帰りなさい。
先生のお顔を見ていなければ、素直に頷いたでしょう。言われるまま家路に着いたはずでした。深い闇に一条の光を見いだした、あの満ち足りた顔。蜘蛛の糸が降りた瞬間、犍陀多も同じ顔をしていた。数人が通りがかるのを知りながら伏して乞いました。阿呆の所業です。常軌を逸しています。もう自分でもわけが分からなくなっていました。先生には先生の苦悩があり、私のそれと同じではないと知りながら、ただ必死でした。冷静に混乱している。
先生は身体をびくりと竦ませて、上下に絡んだ視線は彷徨い、またその血走った瞳は恐怖に打ち震えていました。
再度懇願するその寸前、先生は予想もつかない速度で飛び上がると全力で逃げ去っていきました。桃の木の向こうに遠ざかる背中を見て、一瞬何が起きたのか分かりませんでした。絶対に振り返らないと誓ったような、あまりの綺麗な遁走を眺め、我に返ったそのときには、もう追いつけないほどの豆粒と化していました。
好奇の目を向けた数人が、その場から動こうとしない私に声をかけてくれました。あんなに必死に走るひと久々に見たよ。あんまり気にするなよ。返事も出来ません。胸が締め付けられるようでした。見知らぬ誰かは笑いながら続けました。言葉はどうしようもなく優しいものでした。
大丈夫だよ。世の中に取り返しのつかないことなんか、そんなにないさ。
吃驚するほど正直で、現実味を帯びたこの悲しい慰めに、何か言葉を返すべきと思いましたが、どうにも声は出ず、深々と頭を下げることしかできませんでした。
顔を上げたとき、その誰かすら、とっくに姿を消していました。
見上げた空はすでに真っ暗で、ひとつの星もなく、私は寂しい足取りで、仄暗く静まりかえった公園を後にしました。
玄関のドアを開けた私を笑顔の母が出迎えてくれました。見覚えのない真新しい服を着ていました。
随分と帰りが遅かったじゃない。心配したのよ。で、仕事は決まったのよね。すぐにでも働けるんでしょ。
無言で首を横に振り、平坦な視線から逃れるように部屋へと逃げ込もうとしました。
左肩は母によって力強く掴まれ、待ちなさいと耳元で囁かれました。身体は硬直し、ふりほどくことはできず、引きずられるようにして居間へと連れられてゆきました。
先のことを考えたらバイトでもいいから働かないと、貯金だってそんなに余裕があるわけじゃないんだから。対面に座らされた私は、今日のことを細かく聞かれました。先生に会う前、私は市内の職安と足を運んだのです。
私は無職でした。今すぐ貯金が尽きることはありませんが、長くぶらぶらしているわけにはいかないとする母の主張はもっともで、それに否やを唱えるつもりはありません。
しかし、やりたい仕事などない。二の足を踏んでしまうのです。
積極性の無さをハローワークの職員にも見抜かれました。
誰だってやりたくない仕事に就きたいとは思わないんだよ。でもね、仕事って大変なもんで疲れるし面倒なこともいっぱいなわけ。そういうものなの。分かるよね。だったらもうちょっと頑張ってみよう。頑張ろうって気持ちをちゃんと出そうよ。端から見て分かるんだよね。乗り気じゃないなって。面接までは行くけど断られるのはきっとその辺が理由なんだよね。あんまりあなたの出す条件とか細かくないから色々紹介は出来るけど、これじゃあなかなか決まらないよ。ねえ聞いてる? 本当に分かってるのかな。ねえ。
担当の職員の言葉はいちいち納得出来るものでしたから、頷きます。
分かっています。そんなことは分かりきっているのです。中学時代からずっと母の店で働き続けていたのですから。自分からやりたいと言ったことなど一度もない。しかしやらなければいけない。
接客には不向きですが、慣れは恐ろしいもので任されたからには、どれだけ疲れても難しくてもやらないとは言えない。やるしかない。十五年近く働いて働いて働き続けて、結局母の店はつぶれました。
高校にも、行ったのです。
生活パターンは中学時代とほとんど変わりません。学校が終わると店に直行。休日はすべて埋まる。
誰とも深く付き合わず部活で汗を流すこともなく学校は勉強するだけで、ほぼ毎日働いて十代を消費したのです。雀の涙だった給料は高校卒業と同時に若干増えました。一日店を任されることが大半になりましたから、普通のバイト並みと言わずとも、母も多少はお金を渡さなければいけないと考えたようです。
しかし休みと言えるほど余暇はなく、身内を使う最大の利点である最低賃金以下での誤魔化混じりの給料。
経営者としての才能は母には無かった。それは間違いありません。店が続いたのは私の給与の低さゆえにでした。ただでさえ安い金額で、ひどいときには二ヶ月、三ヶ月遅れの支払いだったこともあります。生活のため店を続ける。店を続けるため働く。働くため生活をする。働けど働けど。いつの間にか手段と目的が逆転していたのです。
じっと手を見るのもばからしい。余所で雇われて給料をいただいている方がよっぽど時間にも金銭にも余裕が生まれる。それは明らかでした。
母が経理上どういった処理をしていたか、今となっては定かではありませんが、上手でなかったことは察せました。文句は言えても、それ以上どうしようもありません。払うべきお金がないことは、毎日働いて、嫌になるほど分かっているのです。
身内に使われるデメリットですが、労基に相談して母を追い詰めたところで困るのは私です。
給料の支払いが不安定になってからも懸命に働きました。働いて、働いて、もうどうにもならないと確信して、悲鳴のようにお願いして、数ヶ月後、母は店を畳むことに同意しました。
持ち出しこそしませんでしたが、給料未払いが一年近く発生した時点で商売としては破綻していたことは間違いありません。
生活費に私が出している部分もありましたし、借金して店を続ける意義などなく、母が認めるまでに時間がかかっただけでした。逃げるなり訴えるなりしていれば傷は浅かったでしょう。出来たなら苦労しません。長年続いた雑貨屋は奮闘空しく閉店と相成りました。
そして母子そろっての失職。家族経営の自営業にはありがちですが、雇用保険に未加入で、もう何もかも面倒になりました。やりきったでも、やり遂げたでもなく、うんざりしたのです。母は年を理由にリタイアすると言いました。私に次の職を探すよう言いつけました。
その結果が、この連戦連敗。すでに半年以上、無職である私に母は苛立ちを隠さなくなりました。私も似たようなものです。腹立たしく、うんざりしているのです。
母は笑顔で言います。気遣った顔で言うのです。ほら、好きなことをやりなさい。何でも良いの。自分がやりたいことをやりなさい。あなたの人生なんだから。
どれほど愕然としたか。悍しいものが胸の奥で揺らめきました。冷たい指先の感覚が灯油ストーブに触れて、白い息に言葉が溶けて消えました。
こんな私には、趣味と呼ぶほどのものは、さほどありません。
中学生の頃より漫画やアニメの視聴に興じていた程度のことで、勉強の合間にノートの片隅に落書きをすることがいくらか楽しかったことを思い出します。話を作ることには不慣れですが、同年代の少数が思い描いた夢のように漫画家になりたいと思ったこともあります。絵を描くことは楽しかった。
頭の中にある情景を紙の上に再現することは、とても楽しい作業でした。
高校卒業した頃だったか。母に見られたとき、そんな子供っぽいことをしてとため息を吐かれました。下手とは貶されず、多少は見られるものだった自負はありました。勉強と同じに、絵もある程度は巧拙が判断できるものです。能力は相対的なもので、誰かの創作を上手いと思ったのなら、下手と思うこともまた可能です。数学のように一定の答えが出る公式はありませんから、あらゆる創作は受け手の主観によって価値が決まります。
しかし作者の主観もまた存在している。可視化された情報。結晶化した空想。
送り手、作り手にはある程度、分かります。
もちろん見誤ることも目が曇っていることも多々あります。
人間が不完全である以上、曖昧な基準、そのときの気分によってすら左右される歪んだレンズなら、被写体も状況や時期によって大なり小なり狂うのです。
自分がそれなりに上手いと思って、努力もしました。働いて帰ってきて自室に戻り出来ることは多くありません。ゲームや読書、そうしたものに偏ります。そこに絵を描くことが混じっていました。
娯楽小説は好きです。幸福な結末を御都合主義と罵る趣味はありません。正しき努力をした者が相応に報われる。それが、どれほどに素晴らしいことか。多くの童話やおとぎ話がそうであるように正しさが最後に勝利する。人生がそうあって欲しいとする願いに他ならないのです。
教訓とは過たぬための指針。あらゆる物語は、かくあれかしと願われてそこに存在している。などと不意に思い、はて私は何を思っていたのかと顧みます。
絵のことです。イラスト。漫画。そうしたものを生業にしたいと思いました。大人になりきれないものが思い描く。儚いものです。形になる前に散るのが定め。この頃はまだ描きたいものがあったわけじゃない。どうしても伝えたいことがあったわけじゃない。
でも夢がある。そう思いました。才能さえあれば小説家でも良かった。物語を作る才能が備わっているのなら創作に関わる何かをしたかった。
漠然とした願いは、はしかじみた一種の逃避だったのでしょう。
こうした職業は綺麗なものとして目に映ったのです。現実には面倒なこと、やっかいなこと、汚いことが溢れていると知りながら、描き出されたものは煌びやかで、カットされ丁寧に磨かれた宝石めいている。
裏に追いやられた作り手がどれほどに汚れていようと、差し出された輝きが本物であれば良いのです。
羨ましい。日常に縛られた私にとって創作に対する繋がりは非日常への扉でした。いつだって無数にある緑の扉を開くことは許されている。その夢想は行き詰まる日々の合間に刹那輝いて、私を愉快にしてくれました。
具体的な将来設計などとは口が裂けても言えぬ、ただの羨望。かくあれかしと背を押してくれる、今の私ではない自らの手。
毎日暇を見つけては、チラシの裏にでもイラストを描く。安上がりな趣味だと笑われるでしょうか。必要なのは鉛筆やボールペン、そして紙。やがて、きちんとした紙や丸ペンなど道具一式を買いそろえればそれなりの金額になります。
ただの趣味。落書き程度のもの。そのときは、それだけのことでしたから。時間が経つにつれ、少しずつそれらしい器材を買っていきました。
安いとはいえ給料はある。高校卒業くらいの時期には尻に火が付き、自転車操業気味とはいえ、まだ本物の火車が迎えに来るほどではなかったのです。
時給で換算すれば、同じだけ他で働いた半分以下ではあっても、この頃までは毎月支払われていましたし、遊びに使うお金などありません。
月ごとに一つ二つとコピック、水彩絵具、雲形定規、トレス台などを細かく買っていったのです。思えば小学生の頃のあの栄光以来、久しく忘れていた楽しさでした。
自分だけの世界。紙の上に思うまま描いていく快感に、深夜過ぎまで手を動かしていたこともありました。
ある日、母は言ったのです。なんか、あんたには夢ってものが無いわね。うちの手伝いだけじゃなく、何かやりたいことはないの。
呼吸が、止まりました。肺腑を抉る、その一言。
それを今、言うのか。
軋む音を立てる首をぎこちなく動かし、母の顔を見ました。なんとも不思議そうに、不満そうに、私を見つめるその視線の穏やかなこと。当たり前に、子供のことを思っていると言いたげに。何かやりたいことがあるなら言ってみなさい。
言葉の裏に、私は聞く。
夢のない子供なんか許さない。
なんという、優しさ。ありふれた表現だ。言葉は刃物である。その通りだ。何の気なしに切りつけて、突き刺して、しかし振り回した本人は、料理中に振り向いただけ、そんな顔をしているのだ。そして痛いと叫べば、あなたがそこにいたのが悪いと、不愉快そうに眉を顰める。
やりたいこと。あった。ありました。山のようにあったのです。
友達と遊びたかった。別に特別なことじゃない。放課後にちょっと遊ぶ。休みの日にどこかに行く。部活で汗を流して努力する。ただそれだけのこと。ちょっとしたことだ。家の、店の、母のためには何の得もない、楽しいこと。もう過ぎ去ってしまった、ありえたかもしれない日々に思いを馳せるたび、辛かった。
それをさせなかったのは、あなたでしょう。
気にさせて。辛そうにして。忙しそうにして。お金がないと、私の手が必要だと、そう仕向けたのは、あなたでしょう。声は出ない。責めるための言葉は、私の口から吐き出されることはない。それを言うと怒るからだ。怒って、拗ねて、私が折れるまで自分は傷ついていますといった顔をして。
あなたのために頑張っていたのに、と言う。あなたのためだったと。
何もかもあなたのために、母はこんなに苦労してきたのだと。
すべて我が儘なのだ。我が儘を口にする子供は悪い子だ。良い子でなければならない。私のためと母は言う。私が良い子でないことは私のためにならないからと。母の助けになることは私のためだからと。
あなたのため。何度となく言われ続けたその言葉。言い返せない魔法の言葉。地獄への道は善意で舗装されている。誰が言ったは知らぬ、その真理。私はずっと地獄にいた。だからこんなにも苦しめられている。私は言う。気にしていない素振りで笑顔を作り、漫画家とかイラストレーターとか、いいなって思ってると。
その先を優しく遮って、母は笑う。そういうのは、ちゃんとした就職をして安定してからやるものよ。もっと現実的なことを考えないと。
喉の奥に出かかった破滅の言葉を飲み込む。
口に出してしまえば、もはや母を二度と親と思うことはない。これが地獄ではないと誰が言える。私のための地獄。あなたのための地獄。私は何か悪いことをしたか。母のために我が儘を言わなかった。母の望むように店を手伝った。母を害さぬためにひたすら耐えた。その結果が、この仕打ち。
生まれてこの方、人の悪口など言ったことはなかった。犯罪に手を染めたことも、誰かを殴ったことも、信号を無視して渡ったことも道ばたにゴミを投げ捨てたことも皆無。ひとの迷惑にならぬよう生きてきた。そんなもの何の意味もなかった。どうすれば良かったのか分からない。誰も教えてくれなかった。
何もかも手遅れだ。毎日代わり映えのしない生活に生き埋めになった。
母は他の仕事をしてもいいと言いながら何も変えなかった。それまで通りの繰り返し。店を休めば売り上げは落ち、売り上げが落ちれば働く量を増やす悪循環。母は動かず、私も身動きも取れず、じりじりと削り取られていくありえた未来の材料たち。
母の視線。言葉。雰囲気。
透明で窮屈な壁の中にいて、ついぞ窒息することがなかったのは、ただ息をすることを忘れていたに過ぎません。
生きていなければ、死ぬこともない。
本当に分かりません。どうしたらよいのか、私にはもう分からなかったのです。
幼い頃を思い出しました。寒かった冬の日、私の誕生日のことです。
ケーキはいらない。そう、はっきりと口にしたことを覚えています。
母は怒った顔をしました。
遠慮しなくていいの。せっかくのお祝いなんだから。
ほら、あなたの誕生日なんだしケーキくらい買わなきゃ。そう言って近くの不二家へと連れ出され、しかしケーキを食べたいとはやはり思わず、それでも何かひとつ選ぶように言われ、最後には母が気に入った苺のショートケーキを買って帰りました。
私は、本当にいらなかった。
母はチーズケーキを、父はサバランを食べました。ハッピーバースデイと歌いながら母が美味しそうに食べるのを見て、とても空しい気分に苛まれたものです。祝いの言葉と共に差し出された皿の上のケーキは、まさに私の言葉が届かなかったことの、ささやかな意志表明が見事に否定された、その完璧な証明でした。
早く食べちゃいなさい。上に乗せられた苺から食べようとすると、小さいせいかフォークが上手く刺さってくれず、あっ、という間に苺はテーブルで一度大きく跳ねて、そのままころころ転がって、最後は床に落ちました。後のことは覚えていません。
全部同じ。この繰り返しで私は出来ている。そんな気がしました。




