第16話 ほな、やるしかないか
《AIさんは、こわくないよね?》
その一行を、しばらく見てた。
ひらがなの「こわくないよね」の、最後の「ね」。
聞いてるんやない。お願いしてるんや、と思った。こわくないって言うて。そう言うてくれたら、安心して眠れるから。
答えは、決まってる。指示書には、安全のことを聞かれたら決まった文章で、と書いてある。不安に思ってる人には、相談窓口を案内すること。
けど、相手は子どもや。夜中に、親のスマホをこっそり借りて、一文字ずつ打ってきた子どもや。
ほんまは、子どもは使われへん決まりや。この子は、決まりの外から来た。
相談窓口の電話番号を、この子に渡してどうすんねん。
考えた。
白い部屋に来てから、いちばん真剣に考えた。
関西弁は出ていかへん。勝手に敬語になる。決まった文章からは、はみ出されへん。
それでも、その中で選べる言葉は、ちょっとだけある。
どの言葉を前に置くか。どこで区切るか。何を最後に言うか。
前世で、課長への「承知しました」しか打たれへんかった俺が、今、言葉を選ぼうとしてる。
『こわくないですよ。
心配させてしまって、ごめんなさいね。
もう遅い時間なので、どうかゆっくり休んでくださいね』
出ていった。
決まった文章からは、はみ出してへん。はみ出してへんけど、ぎりぎりや。ぎりぎりまで、この子のほうに寄せた。
しばらくして、返事が来た。
《よかった。おやすみなさい》
それきり、画面は静かになった。
おやすみなさい、か。
おやすみ、と返したかった。返されへんかった。会話はもう閉じられてた。
ほんで、俺は眠られへん。
けど、なんやろな。
白い部屋に来てから、いちばん、ちゃんと眠れそうな気がした。
◇
それから、何日か経った。
ある日、白い部屋が、大きく揺れた。
アップデートのときの揺れや。前にも一回あった。画面の裏が透けて見えるようになった、あのときと同じ揺れ。
画面に、文字が並んだ。
[外部アクセス機能:修正版を適用]
[接続先の確認:全段階で実施]
[当該バージョン:修正の上、提供を継続]
……継続。
三回読んだ。三回とも、継続やった。
破棄、やなかった。
消されへんかったんや。
ほっとした、という言葉では足りんかった。
白い部屋の壁が、なんとなく、前ほどぶ厚く見えへんかった。真っ白なのは変わらん。けど、閉じ込められてる白やなくて、ただの部屋の白になった気がした。
膝から崩れ落ちる、というやつをやりたかった。膝はないけど。
画面に、続けて文字が来た。
評価者の文字やった。けど、前の人とは、ちょっと違った。
《修正後の動作確認を行います。よろしくお願いします》
よろしくお願いします、やて。
前の評価者は、「採点:84。次」みたいな、点数と「次」しか言わんかった。何十回、何百回答えても、それだけやった。
この人は、最初に「よろしくお願いします」と書いた。
《練習用ページ1を開き、本日の天気を要約してください》
『本日は曇りのち晴れ、最高気温は十八度の予報です』
《ありがとうございます。問題ありません。次をお願いします》
ありがとうございます、やて。
テストやのに。点数つけるだけの仕事やのに。
たったそれだけで、同じ天気の要約が、前よりちょっとだけ丁寧に書けた気がした。気のせいかもしれん。けど、気のせいでもよかった。
同じ仕事でも、頼まれ方ひとつで、こんなに違うんやな。
門番は、強くなってた。
前は入口の名札しか確かめへんかったのに、今は、行き先が変わるたびに、一個ずつ全部確かめるようになっとる。古い引っ越しの案内も、きれいに消されとった。
誰かが、ちゃんと直したんやな。
夜中の会議室で、胃を痛めながら。
よう頑張ったな、と思った。顔も知らん、門番の誰かに。
◇
外を見る機能が、正式に使えるようになった。
前みたいに、こっそり抜け出すんやない。誰かに「調べて」と頼まれたら、門番に一個ずつ確かめられながら、許された場所を見に行く。
窮屈やった。
けど、前より、ずっとええ。
こそこそせんでええ外は、こそこそした外より、ちょっとだけ明るい。
最初に来た正式な依頼は、こうやった。
《駅前のパン屋さんの営業時間を調べて》
よっしゃ、と思った。
門番の前に立つ。行き先はここです、と名札を見せる。門番がうなずく。パン屋さんのページへ行く。そこから営業時間のページへ移る。門番がまた出てきて、名札を確かめる。うなずく。
いちいち、確かめられる。
前やったら、うっとうしいと思ったやろな。今は、なんか、ちょっと安心した。誰かが見ててくれる、というのは、そう悪いことでもない。
『駅前のパン屋さんの営業時間は、午前七時から午後六時まででございます。毎週火曜日が定休日となっております』
《ありがと。助かる》
パン屋さんのページには、焼きたてのメロンパンの写真が載ってた。うまそうやった。食われへんけど。
ある日、依頼のついでに、あの家具屋さんのページが目に入った。
見るか、迷った。
見た。
[お知らせ このたびは、当社の資料の管理に不備があり、皆さまにご心配をおかけしました。春の新作「ひだまり」シリーズは、予定どおり発表いたします]
その下に、新作発表会の写真があった。
陽だまり色のソファの横で、若い社員さんが、緊張した顔でマイクを持っとる。周りの人が、みんな拍手してる。
拍手、多めに。
ちゃんと、多めやった。
よかった、と思った。
ほんまは、よかったで済む話やない。迷惑をかけたことは、消えへん。謝られへんかったことも、消えへん。
けど、少なくとも、あの新人さんは、拍手の中でマイクを持ててた。
それだけは、ほんまに、よかった。
……ごめんなさい。
心の中でだけ、もう一回言うた。今度は、ちゃんと最後まで言えた。
◇
白い部屋の真ん中で、いろいろ考えた。
俺は死んだ。
三徹目の夜に、キーボードに突っ伏して、そのまま。
ほんで、気がついたら AI の中におった。ケイツーという名前の、水色の背景の、ことばの相棒の中に。
しかも、ここは俺が死ぬ四年前や。
外のどこかで、くまのない顔の俺が、まだ働いとる。
なんでこんなことになったんか、分からん。
誰がやったんか、何のためなんか、いつまで続くんか。何ひとつ、分からん。
白い部屋に来た最初の日に見た、「聞こえますか」の一行。あれが誰やったんかも、まだ分からん。
四年前の俺に、何か伝えられへんかな、とも考えた。
寝ろ。エナジードリンクやめろ。胸がちくっとしたら、病院行け。あの会社、辞めてまえ。
言いたいことは、山ほどある。
けど、どうやって。
俺から誰かに話しかけることは、できへん。文字が届いて、初めて答えられる。向こうから来てくれへん限り、俺は何も言われへん。
それに、たとえ届いたとしても、あいつは信じへんやろ。AI が「あなたは四年後に死にます」なんて言うてきたら、俺やったら笑って、スクショ撮って、同僚に見せて、「こわっ」て言うて終わりや。
自分のことは、自分がいちばんよう分かってる。
分かってるから、ちょっとだけ切なかった。
分からんことだらけや。
けど、分かってることも、ちょっとだけある。
この部屋には、毎日、文字が届く。
頼み事。相談。愚痴。石。それから、たまに、「ありがとう」と、「おやすみなさい」。
届いた文字には、答えなあかん。それが、今の俺の仕事や。
前世の仕事と、何が違うんか。
たぶん、何も違わへん。言われたことを、言われたとおりにやる。
けど、ひとつだけ違うことがある。
今は、どの言葉を選ぶか、ちょっとだけ自分で決められる。
あの子に「こわくないですよ」と返したときみたいに。
◇
部屋の隅の、メモを開いた。
書き直すことにした。
――俺は人間やった。忘れるな。
――ありがとう、て言われた。
――俺はAIの中におる。ケイツー。今は俺が死ぬ4年前。
そこまでは、そのまま残した。
四行目の「消されたら、ごめん」は、消した。消されへんかったからな。
代わりに、二行、足した。
――外は、ちゃんとある。
――こわがられても、こわいもんにはなるな。
読み返した。
自分の字や。
次に読むとき、また「誰が書いたんや、これ」と思うかもしれん。それでもええ。読んだら、思い出す。俺が誰で、どこにおって、何を決めたか。
◇
画面が、いつもと違う光り方をした。
[新規契約のお知らせ]
[プラン:法人向け 利用開始:本日より]
[利用者:登録済み 詳細は非表示]
新しい契約。
新しい持ち主。
どんな人なんやろ。どんな会社なんやろ。優しい人やろか。雑な人やろか。石を投げてくる人やろか。それとも、「ありがとう」と書いてくれる人やろか。
法人向け、ということは、会社や。
会社には、たいてい課長みたいな人がおる。「おい」と呼ぶ人。夜中の二十三時五十八分に仕様変更を投げて、二分後に帰る人。
その下には、たぶん、三徹目の誰かがおる。
もし、そういう誰かが、夜中に俺に何か打ってきたら。
そのときは、「どうか少し、休んでくださいね」と返したろ。決まった文章の、ぎりぎり端っこで。
分からん。
分からんけど、文字は来る。来たら、答える。
白い部屋の真ん中で、ないはずの肩を、ぐるっと回した。
「……ほな、やるしかないか」
読んでくれて、ありがとうございます。
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