不帰の樹海⑳
朝。
誰もよく眠れなかった。
疲れている。
それでも眠りは浅い。
不帰の樹海へ入ってから、ずっとそうだった。
焚火の跡を消す。
荷を背負う。
そして歩き出す。
今日も変わらない。
樹。
霧。
湿った空気。
変わらないはずだった。
昼頃。
先頭を歩いていたエリスが立ち止まった。
「どうしました?」
クレールが尋ねる。
エリスは答えない。
耳を澄ませていた。
「近いです」
また同じ言葉だった。
誰も笑わない。
誰も否定しない。
今ではそれが当たり前になっていた。
再び歩き出す。
しばらくして。
マルグリットが足を止めた。
今度は何も言わない。
ただ。
前を見ていた。
誰もがその視線を追う。
一本の樹だった。
太い幹。
張り出した根。
根元に絡まる枯れた蔓。
昨日見た樹。
そう思った。
いや。
違う。
そう思いたかった。
ユーリイが近付く。
樹の幹を見る。
そして。
動きを止めた。
沈黙。
誰も声を出さない。
幹には。
傷があった。
縦に一本。
横に一本。
交差する傷。
昨日。
ユーリイが付けた傷だった。
誰も言葉を発しない。
風だけが吹いている。
「……そんな」
オーレリアが呟いた。
リナも笑わない。
笑えなかった。
「真っ直ぐ進んだはずっす」
誰に言うでもない言葉だった。
タッカーが周囲を見回す。
景色は同じだった。
昨日と。
いや。
毎日と。
変わらない。
だからこそ分からない。
どうして戻ったのか。
「戻ったんですか?」
誰かが言った。
ユーリイは首を振った。
「分かりません」
正直に答える。
戻ったのか。
回ったのか。
進んだのか。
何も分からない。
ただ。
傷だけがあった。
確かな証拠だった。
沈黙。
長い沈黙だった。
「進みましょう」
そう言ったのはメローペだった。
全員が振り向く。
メローペは樹を見つめていた。
「ここで止まっても何も分かりません」
声は落ち着いていた。
だが。
その手は僅かに震えていた。
怖くない訳がない。
それでも。
進むしかない。
誰も反対しなかった。
再び歩き始める。
午後。
霧が出た。
突然だった。
数歩先も見えない。
濃い霧。
全員が立ち止まる。
「集まれ!」
クレールが叫ぶ。
声だけが聞こえる。
姿は見えない。
ほんの数分。
いや。
もっと短かったかもしれない。
霧は消えた。
何事も無かったように。
森が現れる。
誰もいなくなってはいない。
それでも。
全員の顔色は悪かった。
夕方。
野営。
焚火を囲む。
誰も明るい話をしない。
樹海は広い。
迷う事もある。
そう思っていた。
だが。
今日。
それは崩れた。
誰かが呟く。
「森が生きてるみたいだな」
返事は無かった。
否定出来る者もいなかった。
その夜。
ユーリイはなかなか眠れなかった。
閉じた瞼の裏に。
あの傷が浮かぶ。
戻ったのか。
戻されたのか。
その答えは。
まだ誰にも分からなかった。




