表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
遺伝子の小さな箱庭  作者: 妙義豊
85/101

不帰の樹海⑰

昨夜も一人死んだ。


夜が明ける頃には、誰もその事を口にしなかった。


剣だけを持たせ、樹の根元へ横たえる。


それが彼女たちに出来る最後の弔いだった。


朝食はない。


食料は既に尽きている。


口にするのは僅かな水だけだ。


それでも進まなければならない。


ユーリイが立ち上がる。


誰も声を掛けない。


ただ、それに続く。


不帰の樹海に入って何日経ったのか。


もう正確に数えている者はいなかった。


歩く。


立ち止まる。


息を整える。


また歩く。


それだけだった。


樹海は相変わらず同じ景色を見せ続ける。


見上げれば枝葉。


足元には根。


左右を見ても樹。


変化がない。


変化がなさすぎる。


だからこそ人の心を削る。


昼頃だった。


先頭を歩いていたエリスが足を止めた。


「待ってください」


声は小さい。


だが全員が反応した。


以前なら誰も気付かなかっただろう。


王宮育ちの侍女の言葉を、今では誰も軽んじていなかった。


エリスは耳を澄ます。


風。


枝葉の擦れる音。


遠くで何かが動く気配。


だが。


「……いえ」


首を振った。


何だったのか、自分でも分からなかった。


リナが前へ出る。


「何かいたっすか?」


「分かりません」


エリス自身が困ったように答えた。


それ以上は聞かなかった。


ここでは分からない事の方が多い。


少し進む。


やがて茂みが揺れた。


獣だった。


二頭。


少し遅れてもう一頭。


リナが前へ出る。


「来るっす」


短い戦闘だった。


だが終わった後も誰も動かなかった。


疲れていた。


戦ったからではない。


歩いているだけで疲れるのだ。


傷は増える。


体力は戻らない。


食料もない。


それでも前へ進むしかない。


ユーリイが周囲を見回した。


「怪我人はいますか?」


「軽傷二名っす」


リナが答える。


軽傷。


本来なら気にも留めない傷だった。


しかし今は違う。


誰もが理解していた。


小さな傷一つが命を奪うことを。


再び歩き始める。


ユーリイはふと周囲へ目を向けた。


静かだった。


樹海へ入ったばかりの頃は違った。


獣の気配がもっと近かった。


もっと頻繁だった。


今は。


いる。


確かにいる。


だが姿を見せない。


理由は分からない。


ただ。


何かがおかしかった。


夕方。


オーレリアが転んだ。


すぐに立ち上がろうとする。


しかし足がもつれる。


隣にいたエリスが支えた。


「ありがとうございます」


「いえ」


短い会話だった。


以前なら些細な出来事だっただろう。


だが今は違う。


誰かが転ぶ。


それだけで全員の緊張が高まる。


立てなくなったら終わりだからだ。


日が落ちる。


今日も野営だった。


焚火を囲む人数はまた減っていた。


誰も数えない。


数えれば現実になる。


失った者達の顔を思い出してしまう。


炎を見つめながら、メローペが静かに口を開いた。


「皆」


視線が集まる。


「帰りましょう」


小さな声だった。


王女としての言葉ではない。


一人の仲間としての願いだった。


誰も答えない。


否定もしない。


沈黙が続く。


やがて。


「そうだな」


小さく声を上げた者がいた。


ミトゥ・ハーグボウ。


893部隊の生き残りの一人だった。


誰もが疲れ切っている。


それでも彼は小さく笑った。


「帰れるなら帰りたい」


当たり前の言葉だった。


だが。


今の彼女たちには、その当たり前が何より遠かった。


リナが小さく頷く。


それを見てクレールも頷く。


マルグリットも。


やがて他の者達も。


言葉はない。


それでも十分だった。


帰りたい。


生きて帰りたい。


その想いだけは全員同じだった。


焚火が小さく揺れる。


不帰の樹海の夜は長い。


それでも彼女たちは眠る。


明日も歩くために。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ