不帰の樹海⑰
昨夜も一人死んだ。
夜が明ける頃には、誰もその事を口にしなかった。
剣だけを持たせ、樹の根元へ横たえる。
それが彼女たちに出来る最後の弔いだった。
朝食はない。
食料は既に尽きている。
口にするのは僅かな水だけだ。
それでも進まなければならない。
ユーリイが立ち上がる。
誰も声を掛けない。
ただ、それに続く。
不帰の樹海に入って何日経ったのか。
もう正確に数えている者はいなかった。
歩く。
立ち止まる。
息を整える。
また歩く。
それだけだった。
樹海は相変わらず同じ景色を見せ続ける。
見上げれば枝葉。
足元には根。
左右を見ても樹。
変化がない。
変化がなさすぎる。
だからこそ人の心を削る。
昼頃だった。
先頭を歩いていたエリスが足を止めた。
「待ってください」
声は小さい。
だが全員が反応した。
以前なら誰も気付かなかっただろう。
王宮育ちの侍女の言葉を、今では誰も軽んじていなかった。
エリスは耳を澄ます。
風。
枝葉の擦れる音。
遠くで何かが動く気配。
だが。
「……いえ」
首を振った。
何だったのか、自分でも分からなかった。
リナが前へ出る。
「何かいたっすか?」
「分かりません」
エリス自身が困ったように答えた。
それ以上は聞かなかった。
ここでは分からない事の方が多い。
少し進む。
やがて茂みが揺れた。
獣だった。
二頭。
少し遅れてもう一頭。
リナが前へ出る。
「来るっす」
短い戦闘だった。
だが終わった後も誰も動かなかった。
疲れていた。
戦ったからではない。
歩いているだけで疲れるのだ。
傷は増える。
体力は戻らない。
食料もない。
それでも前へ進むしかない。
ユーリイが周囲を見回した。
「怪我人はいますか?」
「軽傷二名っす」
リナが答える。
軽傷。
本来なら気にも留めない傷だった。
しかし今は違う。
誰もが理解していた。
小さな傷一つが命を奪うことを。
再び歩き始める。
ユーリイはふと周囲へ目を向けた。
静かだった。
樹海へ入ったばかりの頃は違った。
獣の気配がもっと近かった。
もっと頻繁だった。
今は。
いる。
確かにいる。
だが姿を見せない。
理由は分からない。
ただ。
何かがおかしかった。
夕方。
オーレリアが転んだ。
すぐに立ち上がろうとする。
しかし足がもつれる。
隣にいたエリスが支えた。
「ありがとうございます」
「いえ」
短い会話だった。
以前なら些細な出来事だっただろう。
だが今は違う。
誰かが転ぶ。
それだけで全員の緊張が高まる。
立てなくなったら終わりだからだ。
日が落ちる。
今日も野営だった。
焚火を囲む人数はまた減っていた。
誰も数えない。
数えれば現実になる。
失った者達の顔を思い出してしまう。
炎を見つめながら、メローペが静かに口を開いた。
「皆」
視線が集まる。
「帰りましょう」
小さな声だった。
王女としての言葉ではない。
一人の仲間としての願いだった。
誰も答えない。
否定もしない。
沈黙が続く。
やがて。
「そうだな」
小さく声を上げた者がいた。
ミトゥ・ハーグボウ。
893部隊の生き残りの一人だった。
誰もが疲れ切っている。
それでも彼は小さく笑った。
「帰れるなら帰りたい」
当たり前の言葉だった。
だが。
今の彼女たちには、その当たり前が何より遠かった。
リナが小さく頷く。
それを見てクレールも頷く。
マルグリットも。
やがて他の者達も。
言葉はない。
それでも十分だった。
帰りたい。
生きて帰りたい。
その想いだけは全員同じだった。
焚火が小さく揺れる。
不帰の樹海の夜は長い。
それでも彼女たちは眠る。
明日も歩くために。




