不帰の樹海⑪
生存者三十名。
また減った。
誰も数を口にしない。
だが。
全員が理解していた。
この森は。
戦場より多くの命を奪う。
雨は止んでいた。
代わりに。
重たい湿気が森を覆っている。
足元は泥。
服は濡れたまま。
傷口は治らない。
疲労だけが積み重なる。
前を歩くナターシャが足を止めた。
拳を上げる。
全員が即座に身を伏せた。
緊張が走る。
しばらくして。
ナターシャはゆっくり耳を澄ませた。
森は静かだった。
いや。
静か過ぎた。
「どうした」
オーレリアが小声で問う。
ナターシャは答えない。
しばらくして。
「……何も聞こえません」
そう呟いた。
「何も?」
マルグリットが眉をひそめる。
ナターシャは頷く。
「鳥も」
「獣も」
「虫も」
周囲を見回す。
「静か過ぎます」
嫌な沈黙。
経験のある兵ほど顔色が悪い。
何かいる。
あるいは。
何かが通った。
そういう静けさだった。
行軍速度が上がる。
誰も文句を言わない。
言える状態ではない。
午後。
隊列最後尾で悲鳴が上がった。
全員が振り返る。
若い近衛兵だった。
足首に何かが絡みついている。
蛇。
黒い体。
素早い動き。
兵士が剣を振るう。
蛇は逃げた。
だが。
遅かった。
噛まれていた。
ナターシャが駆け寄る。
傷を見る。
沈黙。
顔が曇る。
「担架を」
誰かが言う。
だが。
返事は無い。
全員が分かっていた。
担架を運ぶ余裕など。
もう無い。
若い近衛兵が笑った。
乾いた笑いだった。
「分かっています」
声が震えている。
「自分も軍人です」
誰も何も言えない。
近衛兵はメローペへ敬礼した。
「殿下」
メローペの顔が歪む。
近衛兵は笑ったままだった。
「ご無事で」
その言葉だけだった。
ナターシャが目を閉じる。
オーレリアも。
マルグリットも。
何も言えない。
やがて。
隊列は再び動き始めた。
誰も振り返らない。
振り返れない。
生存者三十名。
だが。
実際には。
もう二十九名だった。
夕刻。
前方を警戒していた中隊兵が戻る。
息を切らしていた。
「報告!」
ナターシャが振り返る。
「前方で焚火跡を発見!」
空気が変わる。
全員の顔が上がる。
「新しいものか?」
「分かりません!」
「ですが人為的なものです!」
沈黙。
そして。
希望。
久しぶりだった。
ナターシャが短く頷く。
「進みます」
隊列が動く。
誰も口にはしない。
だが。
全員が同じことを考えていた。
もしかしたら。
まだ誰か生きているのではないかと。
生存者二十九名。
その希望だけを頼りに。
彼女達は森の奥へ進んだ。




