不帰の樹海⑧
銃声。
乾いた破裂音が森へ響く。
直後。
樹皮が弾け飛んだ。
「散れ!!」
オーレリアの怒声。
全員が反射的に動く。
地面へ伏せる者。
樹木へ飛び込む者。
負傷兵を引きずる者。
泥が跳ねる。
二発。
三発。
位置が読めない。
森が音を殺していた。
「右か?!」
「違う、左後方!」
叫びが交錯する。
オーレリアは低く身を伏せたまま周囲を見る。
敵は近い。
だが数が分からない。
最悪だった。
「殿下、下がってください!」
マルグリットがメローペを庇う。
メローペも剣へ手をかける。
その時。
倒れていた女兵士が、震える手でオーレリアの袖を掴んだ。
「……ちゅ……い……」
血を吐く。
オーレリアが耳を寄せる。
「……複……数……」
そこで女兵士の身体から力が抜けた。
マルグリットが小さく目を伏せる。
だが。
悼む時間は無かった。
森の奥で枝が鳴る。
誰かが走っている。
しかも一人ではない。
「接近!」
リュシエンヌの声。
次の瞬間。
樹木の向こうから影が飛び出した。
泥。
血。
軍服。
その集団は、獣のような勢いで飛び込んできた。
「待て!! 友軍だ!!」
怒鳴り声。
反射的にオーレリア達も武器を向ける。
飛び出してきた兵達もまた、銃を構えていた。
互いに止まる。
一瞬。
森が静まり返った。
その中で。
大柄な女兵士が、鋭く周囲を見回す。
マスケット銃の銃口はまだ下がらない。
だが。
彼女の目が、メローペの側へ立つオーレリアで止まった。
泥と血に汚れていても。
近衛の制服。
そして。
王族側近特有の徽章。
女兵士が、小さく息を吐く。
「……第四王女殿下随行側近の方々でありますか」
そっとマスケット銃を下ろす。
「王女殿下はご無事でしょうか」
メローペが一歩前へ出る。
「私がメローペ・アデスだ」
その瞬間。
女兵士の表情から、張り詰めていたものが僅かに抜けた。
「……確認いたしました」
短く呟く。
そして。
改めて敬礼した。
「王国陸軍第七独立混成中隊第3小隊所属」
「ナターシャ上等兵であります」
その声は疲弊していた。
だが芯は折れていない。
ナターシャは泥だらけのまま、静かに続けた。
「王女救援作戦任務中につき、王女殿下の捜索を続けておりました」
「ご無事で何よりであります」
メローペが僅かに息を呑む。
自分を。
探していた兵達がいる。
この地獄のような森の中を。
命を削りながら。
その後ろ。
小柄な一等兵が、息を切らしながら立っていた。
泥だらけ。
髪も乱れている。
だが目だけは死んでいない。
「……間に合ったっすか」
その声に。
何人かが力を抜きそうになる。
だが。
ナターシャが即座に低く言う。
「まだです」
森を見る。
その視線は鋭い。
「追手がいます」
空気が変わる。
全員が再び武器を握る。
その時だった。
後方で。
誰かが崩れ落ちた。
中隊兵だった。
もう立てない。
呼吸が荒い。
顔色も悪い。
誰もが限界だった。
オーレリアが歯を食いしばる。
ここで止まれば終わる。
だが。
進めば誰かが脱落する。
その時。
ナターシャが周囲を見回した。
「動ける者は前へ」
低い声だった。
「この場に留まれば全滅します」
誰も反論しない。
出来なかった。
その時。
メローペの足がふらついた。
連日の行軍。
疲労。
緊張。
限界は近い。
マルグリットが慌てて支える。
「殿下!」
メローペは呼吸を整えようとする。
だが思うように息が入らない。
視界が揺れる。
ここ数日。
まともな食事も。
まともな睡眠も無かった。
それでも。
倒れる訳にはいかなかった。
「……私は大丈夫だ」
そう言う。
だが説得力は無かった。
マルグリットも。
オーレリアも。
何も言えない。
誰もが同じ状態だからだ。
ナターシャが僅かに眉をひそめた。
「時間がありません」
その言葉に。
森の空気が重くなる。
誰も口にはしない。
だが全員が分かっていた。
追手はまだいる。
そして。
救援部隊と合流したはずなのに。
人数は増えていない。
むしろ。
減っている。
「……他の部隊は?」
オーレリアが低く問う。
ナターシャは少しだけ沈黙した。
雨が降る。
誰も急かさない。
急かせなかった。
やがて。
ナターシャは短く答えた。
「申し訳ありません」
「私にも分かりません」
その声は硬かった。
「途中で分離した部隊があります」
「連絡が途絶えた部隊もあります」
「今も捜索を続けているかもしれません」
そこまで言って。
僅かに視線を落とす。
「……あるいは」
続きを言わない。
言う必要も無かった。
森が静まり返る。
救援は来ていた。
だが。
誰も助けに来ない。
それが何を意味するのか。
理解出来る者ばかりだった。
メローペは雨空を見上げた。
灰色だった。
どこまでも。
どこまでも。
灰色だった。




