不帰の樹海⑥
足音。
それも、一つではない。
複数。
雨音の向こう。
ぬかるみを踏み締める音が、ゆっくり近付いてくる。
誰も動かなかった。
いや。
動けなかった。
オーレリアが静かに片手を上げる。
その合図だけで、兵士達が音も無く武器を構えた。
メローペは息を殺す。
心臓の音がうるさい。
沢の水音が、逆に周囲の気配を曖昧にしていた。
オーレリアの視線が森の奥へ向けられる。
鋭い。
普段の柔らかな彼女からは想像も出来ない目だった。
「……数は」
イヴェットが小さく呟く。
オーレリアは数秒だけ耳を澄ませ。
「少なくとも五」
短く答えた。
兵士達の空気が更に張り詰める。
今の状態での戦闘は危険だった。
疲労。
空腹。
弾薬不足。
何より、護衛対象がいる。
長期戦になれば終わる。
その時。
森の奥で、何かが動いた。
「——そこっ!」
銃声。
火花。
樹木が弾け飛ぶ。
同時に、複数の影が森から飛び出した。
「敵襲!!」
怒号。
兵士達が一斉に応戦する。
だが。
飛び出してきた敵兵達もまた、酷い有様だった。
泥。
血。
破れた軍服。
追撃部隊というより。
まるで敗残兵。
その目だけが異様だった。
飢えた獣のような目。
「散開!!」
オーレリアが叫ぶ。
敵兵の一人がメローペへ突っ込んでくる。
近い。
あまりにも。
その瞬間。
横から誰かが飛び込んだ。
剣閃。
敵兵の身体が崩れる。
「殿下から離れろ」
低い声だった。
アデルハイト・クロイツベルク。
長い金髪は泥で汚れ、軍服も裂けている。
それでも。
立つ姿だけは騎士のようだった。
敵兵が二人同時に飛び込む。
アデルハイトは一歩前へ出る。
真正面から。
剣を叩き込んだ。
鈍い音。
骨が砕ける。
その勢いのまま、もう一人を蹴り飛ばす。
「うざったい……!」
珍しく苛立った声。
だが次の瞬間。
別方向から飛び出した敵兵の喉へ、短剣が突き刺さる。
静かだった。
まるで。
最初からそこにいたように。
リュシエンヌ・フォルティエが、無言で短剣を引き抜く。
血が雨に流れていく。
「右、二」
短い言葉。
次の瞬間。
イヴェットが即座に銃を向ける。
発砲。
森の奥から悲鳴。
連携が速い。
もはや反射だった。
メローペは息を呑む。
彼女達は。
ただの側近ではない。
本当に。
戦場を生きている人間達だった。
その時。
一人の敵兵の女が、突然叫びながら突っ込んできた。
「上玉の将校だぁぁぁっ!!」
狂気じみた声。
敵兵の視線は、メローペの軍服へ向けられていた。
肩章。
装飾。
周囲の護衛。
それだけで十分だった。
銃剣が真っ直ぐメローペへ向かう。
近い。
間に合わない。
メローペの身体が硬直する。
だが。
その敵兵の身体が、不自然に止まった。
背中から刃が突き出している。
敵兵がゆっくり崩れ落ちた。
後ろに立っていたのは。
エリス・ラフォレだった。
「……朝から元気だねぇ」
息を切らしながら、エリスは小さく笑う。
その頬には血が付いていた。
敵のものか、自分のものかも分からない。
周囲が再び静かになる。
雨だけが降っていた。
誰もすぐには喋らない。
荒い呼吸だけが聞こえる。
オーレリアは周囲を警戒したまま、低く言った。
「……移動します」
短い沈黙。
そして。
誰も異論を口にしなかった。




