不帰の樹海③
銃声。
乾いた破裂音が空気を裂く。
伝令兵の身体が大きく揺れ、そのまま地面へ倒れ込んだ。
血。
泥。
誰かが叫ぶ。
「敵襲!!」
その瞬間。
前線司令部は、一気に崩壊した。
怒号。
悲鳴。
走る音。
爆発。
天幕の一つが吹き飛び、土煙が舞い上がる。
メローペは言葉を失った。
さっきまで存在していた“秩序”が、一瞬で消えていく。
「殿下!!」
オーレリアが鋭く叫ぶ。
その声で、メローペは我に返った。
「マルグリット! 馬車は!?」
「既に回しています!」
「近衛は!?」
「半数が西側へ!」
オーレリアは舌打ちした。
短く。
珍しく露骨な苛立ちだった。
「早すぎる……」
敵襲が。
あまりにも。
まるで。
最初から全て見えていたかのような。
「オーレリア!」
別の士官が駆け寄ってくる。
顔色は悪い。
「東側が突破された!」
「どこまで来てる!?」
「分からん! 第七陣地が——」
爆音。
今度は近かった。
地面が揺れる。
兵士達が悲鳴を上げる。
馬が暴れ、荷車が横転した。
「クソッ……!」
オーレリアは周囲を見回す。
視線が速い。
退路。
兵数。
敵位置。
崩れ始めた陣形。
全てを同時に見ているようだった。
その時。
メローペは初めて気付く。
オーレリアが。
“戦場の人間”の顔をしている事に。
「殿下」
オーレリアが振り返る。
その表情は静かだった。
静か過ぎるほどに。
「今から北側へ離脱します」
「ですが、北は——」
「まだ薄い」
即答だった。
「西は混乱が大き過ぎます。南は砲撃圏内。東は既に突破されている可能性が高い」
言葉に淀みが無い。
迷いも無い。
「マルグリット」
「はい」
「殿下から絶対に離れないで下さい」
「……ええ」
「私は先導します」
その時。
また爆発音。
近い。
誰かが吹き飛ぶ。
血が飛んだ。
メローペの呼吸が止まりそうになる。
「殿下!」
オーレリアの声が飛ぶ。
「走って下さい!!」
その瞬間。
メローペの足が動いた。
もう王女ではなかった。
ただ。
逃げていた。
泥の中を。
怒号の中を。
崩れていく戦場の中を。
後ろから、銃声が響く。
誰かが倒れる音。
誰かが叫ぶ。
振り返りそうになる。
だが。
「前を見て下さい!!」
オーレリアの声が飛ぶ。
強い声だった。
メローペは必死に前を向いた。
泥が跳ねる。
息が苦しい。
重い。
こんな風に走った事など無かった。
その時だった。
横を走っていた若い兵士が、突然崩れ落ちた。
赤い。
血だった。
メローペは足を止めそうになる。
「だ、誰か——」
「駄目です!!」
オーレリアが叫ぶ。
「止まらないで下さい!!」
その声は、ほぼ悲鳴だった。
メローペは唇を噛む。
兵士はまだ動いていた。
何かを言っていた。
だが。
次の瞬間。
別の兵士が、その若い兵士を無理やり引き起こした。
「行け!!」
怒鳴り声。
「殿下を止めるな!!」
その言葉に。
メローペの胸が強く痛んだ。
自分の為に。
皆が。
走っている。
死んでいる。
それを。
理解してしまった。
雨が降り始めていた。
冷たい雨だった。
遠くの空は黒い。
まるで。
世界そのものが崩れていくようだった。




