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遺伝子の小さな箱庭  作者: 妙義豊
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夜の匂い

夕方。


第四王女執務室。


机の上へ、数枚の報告書が並んでいた。


オーレリアが一枚を差し出す。


「王都西区にて病死者が増加しています」


メローペが顔を上げた。


「疫病か?」


「現状は不明ですわ」


「ですが、妙な栄養剤が流行しているとの話があります」


マルグリットが続ける。


「疲れが取れる、眠らなくても動ける、食欲が出る……そう宣伝されているとか」


「主に色街や港湾労働者の間で広まっていましたが、最近は一般市民にも流れているようです」


メローペの眉が僅かに動く。


「一般市民にも?」


「はい」


「工房職人、荷運び、下級役人……長時間働く者達に人気が出ています」


オーレリアが小さく肩を竦めた。


「王都は皆お疲れなのですわ」


笑えない話だった。


机の端ではユーリイが資料を眺めている。


「(マスクは必須…素手での取り扱いは禁忌…か)」


リナは何故か少しそわそわしていた。


エリスはやや緊張した顔。


リュシエンヌは興味深そうに資料へ目を通している。


「……なんでお前が嬉しそうなんだ」


ユーリイが呆れた声を出す。


「いやー、王都の裏町ってちょっと憧れるじゃないっすか」


「絶対面倒起こすなよ」


「まだ何もしてないっす!」


メローペが静かに口を開く。


「西区へ行ってくれ」


空気が少し変わる。


「危険なら引け」


「情報収集を優先しろ」


ユーリイが頷く。


「分かりました」


リナは元気よく敬礼した。


「任せるっす!」


リュシエンヌは軽く会釈する。


「承知しました」


エリスも少し緊張しながら頷いた。


「……はい」


オーレリアがくすりと笑う。


「裏町は、あまり“表”の理屈が通じませんわ」


「お気を付けくださいまし」


その時。


メローペが小さく言った。


「……私も行くべきか?」


沈黙。


ユーリイが少し考えてから口を開く。


「……お勧めはしません」


「殿下達は、いい意味で目立ちます」


「ゴミ捨て場に、大輪のバラの花束が置いてあるような……そんな違和感がありますね」


メローペが首を傾げる。


「そんなに酷い場所なのか?」


ユーリイは少し考えた。


「酷いというより……」


「あそこは、生きるために色々諦めてる人が多い」


静かな声だった。


「それに殿下は、空気が違います」


オーレリアが思わず吹き出す。


「随分な例えですこと」


メローペは少し不満そうだった。


だが。


最後には小さく頷いた。


「……分かった」


「今は任せる」


ユーリイも頷き返す。


ーーー


夕方。


王都西区。


石畳が赤く染まり始めていた。


酒場。


煙。


香水。


笑い声。


怒鳴り声。


王城周辺とは空気そのものが違う。


エリスが周囲を見回す。


「……ここ、本当に王都なんですね」


リュシエンヌが小さく笑った。


「エリスには少し刺激が強いかな」


「でも、これも王都の顔の一つだよ」


通りを見回しながら続ける。


「僕も昼しか来たことはないけど、それでも気を抜いていい場所じゃない」


「逆に気合を入れすぎると――ほら」


その時。


「そこの綺麗なお嬢さん達! 私たちの店で飲まないかい!」


陽気な客引きの声。


リュシエンヌが肩を竦めた。


「……こういうのが寄ってくる」


リナが吹き出す。


「慣れてるっすねぇ」


「商家は人を見る目が大事だからね」


ユーリイは周囲を警戒しながら歩いていた。


その時。


通りの奥から怒鳴り声が響いた。


「だから言ってるだろうが!」


「こんなモン使い続けたら女が壊れる!」


周囲の空気が少し張る。


ユーリイ達が近付く。


細い路地。


小さな店。


その前で女たちが揉めていた。


若い薬売り。


そして。


派手な赤紫の着物を纏った中年女。


艶やかな化粧。


長い煙管。


だが。


目だけは鋭い。


「安いんだから文句言うな!」


薬売りが怒鳴る。


「こいつ飲めば元気出るんだよ!」


「眠らなくても働ける!」


女は鼻で笑った。


「そりゃ最初だけだろうさ」


小瓶を指先で摘まむ。


「最近こういう“栄養剤”が流れてきてんのよ」


「遊女だけじゃない」


「工房の職人も、荷運びも、酒場の女給も飲み始めてる」


煙を吐く。


「王都中に広がり始めてるよ」


ユーリイの目が細くなる。


リュシエンヌも薬を覗き込んだ。


「……妙ですね」


「この値段で流せる利益じゃありません」


「市場を壊す前提で流しているように見えます」


女がちらりとリュシエンヌを見る。


「へぇ……嬢ちゃん、商人かい」


薬売りが苛立つ。


「王都の医師だって使ってる!」


女が煙を吐く。


「だったら、その医者も三流だねぇ」


その視線が。


ふとユーリイで止まる。


「へぇ……」


少し笑った。


「裏町の匂いがしない」


ユーリイが眉を寄せる。


「そういうもんか?」


「そういうもんさ」


煙管が、今度はエリスとリュシエンヌへ向く。


「そちらの娘さんたちなんか、私なんかとは明らかに人種が違うし」


「自分もっすか?」


リナが少し不満そうに口を尖らせる。


ラローザは一瞬だけリナを見る。


そして。


「……ふふ」


軽く煙を吐いて流した。


そこには気負いも警戒も無い。


まるで、この夜の空気そのものを纏っているような女だった。


メローペとは違う。


あちらが陽の下で咲く高貴な薔薇の一輪挿しなら。


この女は――


夜の裏町にこそ似合う、妖艶な薔薇の花束だった。


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