医師不足
朝。
王都はまだ薄曇りだった。
石畳が少し湿っている。
夜の雨が残っていた。
王城医療局。
廊下を歩く足音は少ない。
だが。
静かという訳ではなかった。
部屋の奥。
机の上へ、書類が山積みになっている。
地方報告。
疫病。
人員不足。
死亡報告。
そして。
“医師欠員”
ミークニー・ザッカーは、その紙束を無言で眺めていた。
向かい側。
伯爵が疲れた顔で息を吐く。
「……酷いだろう」
ミークニーは返事をしない。
一枚。
また一枚。
紙をめくる。
地方都市。
農村。
開拓地。
どこも似ていた。
熱病。
肺病。
下痢。
栄養失調。
そして。
医師不足。
「防疫施策は?」
ミークニーが聞く。
伯爵が肩を竦めた。
「“やっている”そうだ」
「結果は?」
「見ての通りだ」
短い沈黙。
ミークニーが紙を置く。
「消毒の概念が弱いですね」
「あと隔離」
「水も」
伯爵が苦笑する。
「分かっていても、人がいない」
「地方医師は育つ前に王都へ流れる」
「金も設備も違うからな」
ミークニーは窓の外を見る。
曇り空。
遠くの鐘楼。
王都。
ここには医者がいる。
薬もある。
設備も。
だが。
地方にはない。
その差が、紙の上に並んでいた。
伯爵が静かに続ける。
「戦争で更に減った」
「軍医も衛生兵も前線へ回された」
「帰ってこなかった者も多い」
ミークニーの目が少しだけ伏せられる。
帰ってこなかった。
その言葉だけで、顔が浮かぶ。
樹海。
血。
呻き声。
足りない薬。
止まらない熱。
助けられなかった者。
伯爵が机へ肘をつく。
「今の王国は、表面だけ見れば平和だ」
「だが中身は、かなり綱渡りだぞ」
ミークニーは小さく息を吐いた。
「知ってますよ」
「嫌になるくらい」
その時。
扉が叩かれる。
若い文官が顔を出した。
「失礼します」
「北部開拓村より追加報告です」
紙が置かれる。
伯爵の眉間へ皺が寄る。
「またか」
ミークニーが横から見る。
熱病。
子供。
死者増加。
担当医不在。
薬不足。
どこにでもある報告。
だからこそ重い。
ミークニーがぽつりと呟く。
「……一人死ぬだけで、全部止まるんですね」
伯爵は返事をしなかった。
返せなかった。
それが事実だからだ。
地方医師一人。
村によっては、数千人を抱える。
死ねば終わる。
後任もいない。
教育も追いつかない。
王都は回る。
地方から吸い上げるからだ。
ミークニーは椅子へ深く座った。
静かに天井を見る。
遺跡。
旧文明。
知識。
設備。
あそこには確かに“先”があった。
だが。
今の王国は。
まだそこへ届いていない。
伯爵がふと笑う。
「そんな顔をするな」
「お前一人で世界は救えん」
ミークニーが即座に返す。
「知ってます」
「だから腹が立つんです」
短い沈黙。
だが。
伯爵は少しだけ笑っていた。
その怒りを。
嫌いではなかった。




