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遺伝子の小さな箱庭  作者: 妙義豊
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灰銀の影

夕方。


王都の空は薄く赤かった。


西日が石造りの建物を染める。


市場の喧騒も少しずつ落ち始め。


店じまいの音が増えていく。


パン屋の裏口。


タッカーが木箱を運び出していた。


空になった籠。


売り切れた棚。


今日はクイニーアマンの日だった。


昼過ぎには無くなった。


「……おかしいだろ」


タッカーがぼやく。


「なんで焼き菓子が主食より先に消える」


リナが壁へ寄りかかったまま笑う。


「平和だからっすよ」


「納得いかん」


「真面目に解説すると、クイニーアマンってそれほど多く作ってない上に、四等分して廉価で売ってるからっすね」


タッカーが顔をしかめる。


「一個丸々だと高いだろうがよ」


「それで、それまで手が届かなかった人らが押し寄せたんすよ」


リナが肩を竦める。


「“お貴族様謹製の焼き菓子食べてみたーい”ってね」


「俺は貴族じゃねぇ」


「でも味は貴族級っす」


「やめろ」


その時。


ユーリイが表から戻ってくる。


紙袋を抱えていた。


「補充」


「遅い」


「肉屋混んでた」


タッカーが袋を受け取る。


塩漬け肉。


干し肉。


玉葱。


普通の食材。


だが。


その“普通”が、少しだけ懐かしかった。


リナが欠伸をする。


「最近、平和っすねぇ」


「お前、その台詞好きだな」


「好きっすよ」


「平和」


小さく笑う。


だが。


ユーリイは少しだけ視線を動かした。


通りの向こう。


夕暮れの人波。


その中。


一瞬だけ。


灰色が見えた気がした。


長い髪。


銀とも灰ともつかない色。


気付いた時には、もう見えない。


ユーリイの目が細くなる。


「……どうしたっすか」


リナが聞く。


「いや」


短く返す。


だが。


何となく嫌な感じが残った。


ーー


その頃。


王都中央。


古い石造りの建物。


窓の少ない部屋。


灯りは少ない。


机の上へ、数枚の紙が並んでいた。


『市場鐘楼崩落』


『近衛介入』


『黒装束損耗』


『生還者確認』


その一枚へ、細い指が触れる。


“ユーリイ・シーゲル”


静かな沈黙。


やがて。


灰銀の髪の女が小さく笑った。


「面白い」


低い声。


感情は薄い。


だが。


確かに興味があった。


部屋の隅。


控えていた女が口を開く。


「排除なさいますか」


灰銀の女は答えない。


代わりに別の紙を見る。


“ネメシス・ペルサキス”


古い記録。


欠損。


黒塗り。


だが。


残っている。


灰銀の女が静かに目を細める。


「……まだ生きていたのね」


独り言のような声だった。


控えの女は反応しない。


許されていない。


沈黙が落ちる。


やがて。


灰銀の女は椅子へ深く座った。


「監視を続けなさい」


「接触は不要」


「今は、まだ」


「承知しました」


短い返答。


その時。


灰銀の女が小さく呟く。


「黒を見た者は、変わる」


意味は説明されない。


だが。


その言葉だけが静かに残った。


ーー


一方。


パン屋。


夜の支度が始まっていた。


炉の火が落ちる。


窓が閉められる。


最後のパンが布を掛けられる。


タッカーが背伸びをした。


「腰痛ぇ……」


「年っすね」


「殴るぞ」


リナが笑う。


ユーリイは窓の外を見ていた。


夜が来る。


王都の灯りが、一つずつ浮かび上がる。


平和な街。


だが。


どこかで。


何かがこちらを見ている。


そんな感覚だけが、消えなかった。


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