クイニーアマン
昼前。
王都の空気は、少しだけ緩んでいた。
市場には人が戻り始め。
鐘楼崩落の話も、いつの間にか尾ひれが付き始めている。
「あの爆発、黒魔術らしいぞ」
「いや竜人だって聞いた」
「近衛が十人くらい吹き飛んだとか」
好き勝手な噂。
だが。
結局。
人は日常へ戻る。
パン屋の前にも、小さな列が出来ていた。
焼き立ての匂い。
溶けたバター。
甘い砂糖。
通りを歩く人間の足を止めるには十分だった。
店内。
タッカーが鉄板を睨んでいる。
「焦げる」
「焦げる焦げる焦げる……」
真剣だった。
戦場より真剣な顔だった。
その横で。
ユーリイが無言で生地を運ぶ。
「そっち」
「ん」
「その木箱、奥」
「分かった」
動きは妙に慣れていた。
リナが椅子へ座ったまま欠伸をする。
「平和っすねぇ……」
「働け」
タッカーが即答する。
「負傷兵っす」
「昨日からパン五個食ってる奴は負傷兵じゃねぇ」
「栄養補給っすね」
「お前だけ補給量がおかしいんだよ」
そんなやり取りの最中。
店の扉が開いた。
鈴の音。
入ってきたのは、二人組だった。
エリスとリュシエンヌ。
二人とも私服。
だが。
王城勤めの空気は隠せない。
特にリュシエンヌは、店へ入った瞬間に周囲を確認していた。
癖なのだろう。
エリスが少し困ったように笑う。
「こんにちは」
タッカーが顔を上げる。
「おう」
「今日は王女殿下はいないんですね」
リュシエンヌが言う。
「居たら面倒だろ」
「否定しないのね」
「否定すると来る」
「確かに」
リュシエンヌが真顔で頷いた。
ユーリイが木箱を抱えたまま首を傾げる。
「来るんですか?」
「来るわよ」
即答。
「メローペ様、甘い物好きだもの」
「……そうなんですか」
少し意外そうな顔。
その反応に。
リュシエンヌが少し笑う。
「何だと思ってたの?」
「もっとこう……」
ユーリイが言葉を探す。
「肉とか食ってそうな」
沈黙。
次の瞬間。
リナが吹き出した。
「何イメージっすかそれ」
「強いから」
「雑っすねぇ」
エリスも口元を押さえて笑っていた。
その時。
タッカーが焼き上がった菓子を並べる。
香ばしい音。
表面の飴が光る。
層状の生地。
リュシエンヌが目を細めた。
「へぇ……」
「これが噂の?」
「クイニーアマンだ」
タッカーが少し誇らしげに言う。
「王都じゃまだ珍しいぞ」
「名前は聞いた事あります」
エリスが興味深そうに覗き込む。
「甘そうですね」
「甘いぞ」
「雑な説明」
リュシエンヌが呆れる。
タッカーは気にしない。
皿へ乗せ。
二人へ差し出した。
「ほら」
「食えば分かる」
リュシエンヌが一口齧る。
サク、と音。
その瞬間。
表情が止まった。
バター。
砂糖。
濃厚な甘み。
だが。
しつこくない。
エリスも目を丸くする。
「……美味しい」
素直な感想だった。
タッカーが鼻を鳴らす。
「だろ」
「なんか悔しいわね」
「何でだ」
「昨日まで血まみれだった男が、今日はこんな物焼いてるから」
リュシエンヌが呟く。
少しだけ。
空気が静かになる。
昨日。
瓦礫。
爆発。
黒装束。
血。
確かにあった。
だが今。
ここにあるのは。
甘い匂いだった。
ユーリイがぽつりと呟く。
「……そっちの方がいいですよ」
「ん?」
「血の匂いより」
短い言葉。
店の空気が少しだけ止まる。
リュシエンヌは数秒黙り。
やがて。
小さく笑った。
「違いないわね」
店の外。
子供たちが走っていく。
市場の声。
馬車の音。
昼の鐘。
王都は今日も動いていた。




