離脱
「動きます」
ユーリイの声は静かだった。
だが。
迷いがない。
市場はまだ混乱している。
泣き声。
怒鳴り声。
倒れた露店。
散乱する果物。
その中で。
ユーリイたちだけが妙に落ち着いていた。
リナが周囲を見ながら呟く。
「完全に混乱利用してるっすね」
「ああ」
タッカーが短く返す。
「素人じゃねぇ」
マルグリットは人混みを見る。
確かに。
混乱している割に、人の流れが妙に偏っていた。
自然ではない。
逃げる方向が作られている。
誰かが誘導している。
その時。
ユーリイが低く言った。
「左へ」
マルグリットが眉をひそめる。
「離宮は逆方向だ」
「だからです」
即答だった。
「向こう、たぶん離宮側へ追い込みたい」
マルグリットが息を呑む。
「……囮か」
「殿下を動かしたいんでしょうね」
メローペが静かに周囲を見る。
その目は。
もう王女ではなかった。
樹海を生き延びた生存者の目だった。
「どう抜ける」
ユーリイは一瞬だけ考える。
そして。
「あの路地を使います」
指差した先。
市場脇の細い裏路地。
洗濯物。
木箱。
水路。
荷運び用の狭い通路だった。
マルグリットの顔が険しくなる。
「狭い」
「だからいい」
ユーリイは短く返した。
「大人数が動きにくい」
リナが小さく笑う。
「いつものっすね」
「嫌な“いつも”だな」
タッカーがぼやく。
その時。
通りの向こうで怒号が上がった。
「いたぞ!!」
一瞬。
空気が凍る。
憲兵。
いや。
違う。
動きが荒い。
装備も揃っていない。
だが。
数が多い。
「走れ!」
ユーリイが叫ぶ。
全員が動いた。
市場脇の路地へ飛び込む。
木箱を蹴る。
洗濯籠が倒れる。
後ろで怒鳴り声。
足音。
追ってきている。
マルグリットが振り返る。
「誰だあれは!」
「分かりません!」
ユーリイが即答する。
「でも軍崩れっぽい!」
リナが低く呟く。
「最悪の相手っすね」
狭い路地。
人一人分。
正規軍なら嫌う地形。
だが。
ユーリイたちは違った。
速度が落ちない。
障害物を避ける動きが妙に自然だった。
マルグリットは目を見開く。
樹海。
密林。
夜間撤退。
この狭さに慣れている。
その時。
後方で金属音。
リナが短剣を弾いた。
「ちっ!」
投擲。
細身の刃が石壁へ突き刺さる。
「殺る気満々っすね!」
タッカーが木箱を蹴り飛ばす。
追手がもつれる。
その隙に。
ユーリイが急停止した。
「止まれ」
全員が即座に止まる。
マルグリットだけが一瞬遅れた。
次の瞬間。
前方の路地へ。
——ドォン!!
木樽が落ちてきた。
完全封鎖。
土煙が舞う。
マルグリットの顔色が変わる。
「前もか!」
ユーリイは周囲を見る。
呼吸が静かだった。
追い詰められている。
なのに。
妙に冷静だった。
「……上」
リナが即座に反応する。
「登るっすか」
「行けます?」
ユーリイがメローペを見る。
メローペは小さく鼻を鳴らした。
「誰に言っている」
その返答に。
ほんの少しだけ。
ユーリイが笑った。




