荷車
市場の喧騒は続いている。
誰も。
こちらなど気にしていないように見える。
だが。
ユーリイの視線だけが動かなかった。
荷車。
果物籠。
御者台。
軋む車輪。
「……どれだ」
タッカーが小さく呟く。
「左の荷車です」
即答だった。
「速度が一定すぎる」
マルグリットが目を細める。
改めて見る。
確かに。
人混みの中なのに、妙に流れが綺麗だった。
避けられている。
いや。
周囲が自然に避けるよう誘導されている。
リナが短く息を吐く。
「やっぱ嫌な感じっす」
メローペが静かに問う。
「何がある」
「分かりません」
ユーリイは荷車から目を離さない。
「でも、あれだけ“浮いてない”のが逆に変です」
マルグリットは、その感覚がまだ理解しきれない。
だが。
この場で最も生存経験があるのは。
間違いなく彼らだった。
その時。
荷車がゆっくり止まった。
通りの中央。
果物が一つ、石畳へ転がる。
御者の女が慌てたように飛び降りた。
「ああっ、ごめんなさいねぇ!」
市場の女たちが笑う。
通行人が足を止める。
一瞬。
通りの流れが詰まった。
その瞬間だった。
ユーリイの声が低く落ちる。
「伏せろ!!」
反応したのは。
リナとタッカーが先だった。
ほぼ同時にメローペとマルグリットを引く。
次の瞬間。
——パァン!!
乾いた破裂音。
果物籠が弾け飛ぶ。
石畳へ破片が散った。
悲鳴。
人々が混乱する。
マルグリットが反射的にメローペを庇う。
だが。
ユーリイは違った。
既に動いている。
爆発した荷車を見ない。
逆方向を見る。
「右上!!」
リナが短剣を抜く。
屋根。
一瞬だけ見えた影。
次の瞬間には消えていた。
「ちっ!」
タッカーが舌打ちする。
「陽動か!」
「本命は別!」
ユーリイが即答する。
市場は完全に混乱していた。
逃げ惑う人々。
倒れる露店。
泣き声。
叫び。
その中で。
ユーリイだけが妙に静かだった。
視線が動く。
出口。
高所。
死角。
人の流れ。
樹海と同じだった。
違うのは。
木々ではなく。
人間が多いだけ。
マルグリットは、それを見ていた。
この男。
もう戦場の呼吸をしている。
その時。
メローペが小さく呟く。
「……左」
ユーリイが即座に振り向く。
人混みの奥。
黒い外套。
走る女。
ほんの一瞬。
女が振り返る。
目が合った。
また笑っていた。
「逃がすな!」
マルグリットが叫ぶ。
だが。
次の瞬間。
ユーリイの腕が再び前へ出た。
「駄目だ!」
「なぜ!」
「今のも誘導です!」
息が荒い。
だが。
頭は冷えている。
「追えば分断される!」
リナが周囲を睨む。
「……囲まれてるっすね」
タッカーが低く続ける。
「ああ」
「しかも、かなり慣れてる」
マルグリットが剣へ手を掛ける。
護衛官の顔だった。
「殿下を離宮へ戻す」
「その間、お前たちは——」
「全員で動きます」
ユーリイが即答する。
マルグリットが睨む。
「囮になる気か」
「違います」
ユーリイは短く首を振った。
「単独になるのが一番危ない」
その瞬間。
メローペが静かに言った。
「ユーリイの言う通りだ」
沈黙。
マルグリットは数秒だけ考える。
そして。
剣から手を離した。
「……分かった」
短い返答。
だが。
そこには初めて。
樹海生還者たちへの信頼が混じっていた。




