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遺伝子の小さな箱庭  作者: 妙義豊
33/93

嫌な静けさ

路地を出る。


午後の日差しが、石畳へ白く落ちていた。


市場の喧騒。


呼び込み。


荷車。


笑い声。


さっきまでの重苦しい空気が嘘のようだった。


だが。


ユーリイたちの表情は変わらない。


リナが周囲を見回しながら、小さく呟く。


「……嫌っすね」


タッカーが紙袋を抱え直す。


「お前さっきからそればっかだな」


「嫌なもんは嫌なんすよ」


「説明になってねぇ」


「勘っす」


即答だった。


タッカーが呆れたように息を吐く。


だが。


否定はしなかった。


マルグリットは、そのやり取りを静かに見ていた。


三人とも。


完全に戦場の顔をしている。


喧騒の中で。


周囲から浮かない程度に溶け込みながら。


視線だけが止まっていない。


人。


窓。


屋根。


路地。


逃げ道。


反射的に確認している。


その時だった。


メローペが、ふと足を止める。


「……どうされたのですか」


マルグリットが聞く。


メローペは少しだけ考えてから、小さく首を振った。


「いや」


「何となくだ」


だが。


立ち位置が変わっていた。


無意識なのだろう。


ユーリイの少し後ろへ位置取っている。


護衛対象が。


生存率の高い者の後ろへ立つ。


樹海で何度も繰り返した動きだった。


マルグリットだけが、それに気付く。


そして。


少しだけ胸が痛んだ。


——殿下は、まだ樹海の中にいる。


ユーリイは気付いていないのか。


そのまま通りを見ていた。


「……妙ですね」


「何がだ」


マルグリットが問う。


ユーリイは通りの先を見る。


「人が少ない」


マルグリットは眉をひそめた。


「十分いるように見えるが」


「この辺り、昼はもっと密集してます」


タッカーが頷いた。


「ああ」


「市場側の流れが妙にこっち来てねぇな」


リナが周囲を見る。


「誘導されてる感じっすね」


空気が少し変わる。


マルグリットの目が細くなる。


「誰が」


「そこまでは」


ユーリイが静かに返す。


「でも、誰かが人の流れを弄ってる」


その時。


通りの向こう。


数人の憲兵が横切った。


妙に早い。


視線を合わせない。


ユーリイの目が細くなる。


リナが小さく呟いた。


「……これ、軍人の消し方っすね」


マルグリットの空気が変わる。


「どういう意味だ」


リナは少し言葉を探す。


「戦場で、撤退路とか補給路とか隠す時」


「民間人を近づけないよう流れを作るんすよ」


「混乱させないように」


「見られないように」


タッカーが低く続ける。


「つまり、“何かを隠してる”」


沈黙。


市場の喧騒だけが遠く響く。


メローペが静かに口を開いた。


「……誰かが、先回りしている」


その声で。


マルグリットの背筋に冷たいものが走る。


樹海で何度も聞いた声だった。


嫌な予感を確信へ変える時の声。


ユーリイは少しだけ空を見た。


青い。


平和な王都の空だった。


なのに。


嫌な静けさだけが残っている。


その時だった。


通りの角から、人影が飛び出す。


マルグリットが反射的に前へ出た。


メローペを庇うように半歩動く。


空気が張り詰める。


だが。


次の瞬間。


飛び出してきたのが、息を切らした小柄な少女だと分かり、マルグリットは僅かに力を抜いた。


年齢は十を少し超えたくらい。


薄汚れた服。


浮浪児だ。


少女は真っ直ぐユーリイへ駆け寄った。


「兄ちゃん!」


ユーリイが反射的に半歩動く。


少女は小さな紙切れを押し付けた。


「変な女が渡せって!」


「今すぐ!」


それだけ言うと、少女は人混みへ消えた。


マルグリットが即座に周囲を見る。


遅い。


もう見失っていた。


ユーリイは紙を開く。


短い文字。


『気付かれた』


空気が凍った。


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