王女と元兵士
王城の廊下は静かだった。
足音だけが響く。
ユーリイは案内の侍女から半歩ほど距離を空けて歩いていた。
近付きすぎない。
離れすぎない。
自然とそうなる。
「こちらです」
通されたのは、小会議室だった。
豪奢ではない。
だが、壁に掛けられた地図や整理された書類棚から、実務用の部屋だと分かる。
ユーリイは椅子を見た。
座らない。
壁際へ寄りかかる。
侍女の眉がわずかに動いた。
だが何も言わない。
少しして、扉が開く。
入ってきたのはメローペ。
そして、その後ろに一人。
長い灰金の髪を後ろで束ねた女騎士だった。
姿勢に隙がない。
軍人だ。
肩の階級章から、中佐と分かる。
ユーリイの視線がわずかに細くなる。
メローペが言った。
「顔くらい知っているだろう」
女騎士は何も言わない。
ただ、静かに一礼した。
確かに俺は彼女を知っている。
ぼろぼろの体で、最後まで王女のそばを離れなかった女だ。
血に濡れた鎧。
折れかけた剣。
それでも立っていた。
あの地獄の中で。
「マルグリット・ヴァレールです」
事務的な声。
感情をあまり乗せない。
ユーリイは軽く頭を下げる。
「ユーリイ・シーゲルです。今は何でも屋みたいなことを」
「存じています」
即答だった。
少しだけ空気が張る。
ユーリイは何となく察した。
この女。
自分を調べている。
もしかしたら、ここ最近の調査依頼はこの女が関わっていたのか。
追跡。
回収。
調査。
妙に質のいい仕事ばかりだった。
偶然にしては出来すぎている。
「……それで」
ユーリイが口を開く。
「話というのは」
メローペは机上の書類を一枚手に取った。
「市内で失踪事件が続いている」
「現在確認されているだけで十一件」
紙を置く。
「共通点は、若い女性。貧民街周辺。夜間」
「憲兵は?」
「動いています」
マルグリットが答える。
「ですが成果は薄い」
「証言も曖昧です。馬車を見た者。黒衣の集団を見た者。何も見ていない者」
「証言に統一性がありません」
ユーリイは小さく息を吐いた。
「……決め手がないんですね」
「そうです」
否定しない。
ユーリイは少しだけ感心した。
王族や貴族は、無能でも取り繕う人間が多い。
だが、この二人は違う。
分からないものを、分からないと言う。
それは現場では重要だった。
「それで、俺に何をやれと」
「調査協力」
「随分ざっくりしてますね」
「囮でも、潜入でも、好きにやれ」
マルグリットが言う。
「必要経費は出します」
「死んだ場合は?」
「可能な限り回収します」
即答。
ユーリイは少し笑った。
「正直でよろしい」
メローペが小さく息を吐く。
「……危険なのは事実だ」
「だからこそ、お前を呼んだ」
またそれだ。
信用。
期待。
そういう言葉は苦手だった。
ユーリイは頭を掻く。
「俺は便利屋じゃないんですよ」
「知っている」
「英雄でもない」
「それも知っている」
メローペの視線は逸れない。
「だが、お前は帰ってきた」
静かな声だった。
「……あの森から」
ユーリイは小さく息を吐いた。
「帰ってきたのは、俺だけじゃないでしょう」
一瞬だけ、部屋が静かになる。
メローペは何も言わない。
マルグリットの視線だけが、わずかに動いた。
ユーリイは視線を落とす。
帰らずの樹海。
あの地獄。
思い出したい訳ではない。
夜。
血。
腐臭。
悲鳴。
そして。
走れなくなった王女の腕を掴み、無理やり引き摺った感触。
「立て」
怒鳴った。
何度も。
「死にたいなら後にしろ!」
泣いていたのは誰だったか。
王女か。
側近か。
自分か。
もう曖昧だ。
「……あれは運です」
低く返す。
「運だけで帰れる場所ではない」
マルグリットだった。
初めて、少しだけ感情が混じる。
ユーリイは女騎士を見る。
彼女の左手。
薄く古傷が見えた。
剣傷。
しかも古い。
ユーリイの視線に気付き、マルグリットは短く言った。
「覚えています」
それだけ。
だが十分だった。
この女も。
あの地獄を越えた側だ。
ユーリイは小さく舌打ちする。
面倒臭い。
本当に。
忘れた頃に、過去が戻ってくる。
メローペが言う。
「断るなら、それでも構わない」
「強制はしない」
「だが」
一拍。
「これ以上、消える人間を増やしたくない」
真っ直ぐだった。
昔から変わらない。
だから困る。
ユーリイは深く息を吐いた。
「期間は」
侍女達が顔を上げる。
メローペの目がわずかに細くなる。
「受けるのか?」
「話を聞くだけです」
「まだ半分だ」
「半分も受ければ十分でしょう」
ぼやく。
その返しに、メローペがほんの少しだけ眉を寄せた。
何だ、その喋り方は。
そんな顔だった。
樹海では、もっと遠慮なく怒鳴っていた男が。
今は妙に礼儀正しい。
悪くはない。
悪くはないのだが。
何となく、面白くない。
マルグリットが机上へ新しい紙を置いた。
そこには名前が並んでいた。
失踪者一覧。
ユーリイの目が止まる。
その中に、一つだけ見覚えのある名前。
「……ポリーナ?」
空気が変わる。
メローペが顔を上げた。
「知っているのか」
ユーリイは紙を見たまま答える。
「第3騎兵隊所属」
「准尉」
「一度、一緒に戦いました」
短い沈黙。
マルグリットが低く言う。
「優秀な軍人でした」
「ああ」
ユーリイは視線を細める。
優秀だった。
だからこそ分かる。
そんな女が、簡単に攫われる訳がない。
偶然じゃない。
少なくとも、ただの街攫いではない。
面倒な匂いが、さらに濃くなる。
ユーリイは天井を仰いだ。
「……帰りたいですね」
「駄目だ」
メローペが即答する。
「まだ正式依頼を受けていない」
「受ける流れになってませんか、これ……」
侍女の一人が、思わず吹き出しかける。
慌てて口を押さえた。
マルグリットだけは真顔だった。
「必要なら、こちらで宿も用意します」
「嫌ですよ。息苦しい」
「王城がか?」
「全部がです」
メローペが少しだけ笑う。
ほんの僅か。
だが確かに。
「相変わらずだな」
「そちらこそ」
視線が交わる。
王女と元兵士。
立場は違う。
世界も違う。
だが。
あの地獄だけは共有している。
だからなのか。
ユーリイは結局。
最後まで、断りきれなかった。




