選択
夜。
宮中は静まり返っている。
昼間の喧騒が嘘のようだ。
灯りは落とされ、廊下には人の気配も少ない。
その中で、ただ一室だけ灯が残っている。
机の上に書類が並んでいる。
整えられた文字。
整えられた提案。
整えられた未来。
養子縁組に関する報告。
婚姻に関する打診。
家格。
利害。
血統。
すべてが理にかなっている。
メローペはそれを見ている。
目は追っている。
だが、内容は頭に入ってこない。
紙をめくる。
また一枚。
また一枚。
同じことの繰り返しだ。
誰が得をするのか。
どこが安定するのか。
何が正しいのか。
分かる。
分かってしまう。
だからこそ、動けない。
「……はあ」
小さく息を吐く。
静かな部屋に、それだけが残る。
ペンを取る。
書きかける。
止まる。
決めなければならない。
それは分かっている。
だが。
手が動かない。
ーー
ふと、顔を上げる。
窓の外は暗い。
王城の外。
その先に広がる街。
あの中にいるはずだ。
あの男が。
ユーリイ。
何も言わずに去った男。
呼び止めなかった。
止められなかった。
止める理由がなかった。
それでも。
少しだけ、思う。
「……ずるい」
小さく、こぼれる。
自分はここにいる。
ここにいなければならない。
選ばれる立場。
選ばされる立場。
生まれた時から決まっている。
誰の娘か。
どの位置にいるか。
何を求められるか。
すべて、最初から。
「殿下」
声がかかる。
振り返る。
侍女が一人、立っている。
「失礼いたします」
一礼。
音を立てずに近づく。
「本日の書類でございます」
新たな束が差し出される。
まだあるのか。
そう思う。
口には出さない。
「……そこに置け」
短く言う。
侍女は静かに机に置く。
整える。
一歩下がる。
「ご決断のほどを、とのことです」
分かっている。
「……ああ」
それ以上は言わない。
侍女は動かない。
待っている。
命令を。
決断を。
部屋の空気が重くなる。
紙が、重い。
「……少し待て」
ようやく言葉が出る。
侍女は一瞬だけ目を伏せる。
「かしこまりました」
一礼。
静かに下がる。
扉が閉まる。
音は小さい。
だが、それだけで部屋が広くなる。
一人になる。
机の上。
書類。
ペン。
灯り。
そして。
沈黙。
ーー
椅子に深く座る。
背を預ける。
目を閉じる。
思い出す。
戦場。
血。
痛み。
恐怖。
その中で。
立っていた男。
何も言わず。
ただ動く。
無駄がない。
迷いがない。
あの時。
自分は、何もできなかった。
守られた。
ただ、それだけ。
ーー
目を開ける。
今も同じだ。
守られている。
場所が違うだけ。
意味が違うだけ。
だが。
選ぶことはできない。
「……違う」
小さく呟く。
違うはずだ。
そう思いたいだけかもしれない。
それでも。
机に手をつく。
体を起こす。
書類を見る。
文字が並ぶ。
未来が並ぶ。
自分のものではない未来。
「……」
沈黙。
長い。
だが。
完全な無ではない。
どこかで、何かを探している。
ーー
ペンを取る。
今度は止まらない。
だが、書かない。
ただ、持つ。
それだけでいい。
今はまだ。
決めない。
決められない。
だが。
考える。
「……もう少しだけ」
誰にともなく言う。
夜はまだ深い。
時間は残っている。
少なくとも。
今、この瞬間だけは。
自分で選べる。




