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遺伝子の小さな箱庭  作者: 妙義 豊


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炎を纏った華

「町外れの工房……ここか」


ユーリイは、目の前にある建物を見上げた


王都の中心部から離れた場所に建つ、古びた石造りの工房


かつてロヒカールメ・グンドナーが仕事場としていたという建物だった


工房主が亡くなって二年


既に閉鎖されたと聞いていた


しかし、目の前の建物には明らかに人が住んでいる気配があった


煙突からは細い煙が立ち上り、建物の奥からは規則正しい金属音が響いている


カン


カン


カン


槌が金属を叩く音


それも、かなりの勢いで打ち続けている


(……誰かが使っているのか)


ユーリイは玄関へ近づいた


扉に手をかけ、開こうとする


「!」


しかし、扉は動かなかった


鍵がかかっているらしい


何度か扉を叩いてみたが、奥から響く槌の音にかき消されてしまう


「……仕事中か」


しばらく耳を澄ませたが、槌の音が止まる様子はなかった


「しばらく待つとするか」


ユーリイは玄関脇に置かれた古い木箱へ腰を下ろした


腰に下げたダガーの鞘へ、無意識に手が伸びる


しかし、すぐにその手を離した


今、腰にあるのは自分がネメシス教官から贈られたダガーだった


修理を頼みたいミトゥのダガーは、懐に大切にしまってある


何軒もの鍛冶屋を訪ねた


どこでも同じ答えだった


直せない


新しいものを買った方がいい


それでも、諦めることはできなかった


(……ここで駄目なら)


その先を考えるのはやめた


工房からは、相変わらず槌の音が聞こえていた


――


それから小一時間ほど経った頃


カン!


最後の一打を境に、槌の音が止まった


しばらく待っても、再び響く気配はない


ユーリイは腰を上げ、玄関へ向かった


「すいません!」


返事はなかった


もう一度、先ほどより大きな声で呼びかける


「すいませーん!」


すると、建物の奥から足音が聞こえてきた


誰かが玄関へ向かって歩いてくる


足音は扉の向こうで止まった


しかし、扉は開かない


「誰?」


予想していなかった声だった


男の声


この工房で働いているのは、てっきり女性の鍛冶師だと思っていた


ユーリイは少し驚いたが、すぐに答えた


「ここはグンドナー工房ですか?ロヒカールメ・グンドナーさんの」


「ロヒカールメは死んだよ」


扉の向こうから、素っ気ない返事があった


「仕事の依頼なら飛び込みは断ってる。帰ってくれ」


「待ってくれ。仕事は仕事だけど、修理をお願いしたいんだ」


「修理?」


「ああ。ここで作られたダガーナイフだ。どうしても直してもらいたい」


「……」


返事が途絶えた


しばらくの沈黙


そして


ガタン


閂を外す音がした


重い扉が、ゆっくりと開かれる


「……!」


ユーリイは目を見開いた


扉の向こうに立っていたのは、見覚えのある男だった


「……マース」


相手も驚いたように目を見開いていた


「……ユーリイ」


二人は、しばらくその場で顔を見合わせていた


――


工房の奥には、住居として使われている部屋があった


決して広くはないが、きちんと片付けられている


壁際には食器棚と小さな調理台


中央には使い込まれた木製のテーブルが置かれていた


「ユーリイ、久しぶりだね。元気だったかい?」


紅茶の入った湯飲みをテーブルに置きながら、マース・ハナーキが言った


「ああ。おまえこそ、軍を除隊したとは聞いていたが、こんな所で鍛冶師になってるとは知らなかったぜ」


「ナストロンドで物を作ることに目覚めてね」


マースは自分の湯飲みを手に取った


「それまでは、何かを作るなんて考えたこともなかったんだけどね。あそこで色々なものを見て、触って、作っているうちに、すっかり夢中になってしまった」


「それで鍛冶師か」


「うん。昔から刃物には興味があったし、幸い良い師匠にも出会えたからね」


「ロヒカールメ・グンドナーか?」


「そう。もっとも、弟子入りした頃には相当な年寄りだったけどね」


マースは懐かしそうに笑った


「怖い婆さんだったよ。少しでも手を抜くと、容赦なく怒鳴られた」


「おまえが怒鳴られるところは、あまり想像できないな」


「はは。僕だって失敗するさ。最初なんて毎日のように叱られていたよ」


二人は顔を見合わせ、笑った


かつて同じ部隊に所属し、共に不帰の樹海を歩いた仲間


こうして向かい合って紅茶を飲んでいることが、どこか不思議に思えた


マースは湯飲みを置いた


「さて、それで君が直してもらいたいナイフを見せてもらえるかい?」


「ああ、これだ」


ユーリイは懐から一本のダガーを取り出した


革製の鞘から抜き、マースへ差し出す


マースはそれを受け取った


刀身に走る亀裂


そして、根元近くに刻まれた炎を纏う龍の意匠


炎の蜷局


マースは何も言わず、しばらく刀身を見つめていた


指先で亀裂の位置を確かめ、刃を傾けて光の反射を見る


その表情から、先ほどまでの笑みが消えていた


「……」


「直せるか?」


マースは小さく息を吐いた


「……ふぅ。やっぱり、こいつだったか」


「……?」


「結論から言うと、こいつは今の僕じゃ直せない」


「……そうか」


ユーリイの顔から、期待の色が消えた


ようやく辿り着いたグンドナー工房


しかも、そこにいたのはかつての戦友だった


もしかしたら、という思いがあった


しかし、その希望も潰えたように思えた


マースはダガーを作業台の方へ向け、窓から差し込む光にかざした


「さっきも言ったけど、こいつの作者である師匠は既にこの世にいないからね」


「ああ」


「君たち一般の使い手は知らないことだけど、師匠の作品には独自の技法が使われているんだ」


マースは刻印の部分を指で示した


「大量生産品にもかかわらず、そこらの工房の一点物に負けない品質を保っているのは、その技法があるからなんだよ」


「……なるほどな」


「形だけなら似たものを作れる職人はいるだろう。でも、この刀身そのものを元どおりにするとなると、話は別だ」


ユーリイは黙って聞いていた


これまで訪ねた鍛冶師たちも、同じようなことを言っていた


特殊な製法


分からない構造


下手に手を入れれば、かえって駄目にしてしまう


その理由が、ようやく分かった気がした


「そうか……分かった。諦めるよ」


ユーリイが手を伸ばしかけると、マースは首を横に振った


「今の僕じゃ、って言っただろう?」


「……え?」


「師匠が亡くなるまでの最後の一年間で、独自の技法は徹底的に叩き込まれているんだ」


マースはダガーを静かに置いた


「当然、メモも取ったし、記録も残してある。師匠が何をしていたのか、どういう手順で作っていたのか、僕は知っている」


「だったら……」


「でもね、ユーリイ」


マースは自分の両手を見つめた


槌を握り続けてきた手


指には幾つもの小さな傷があり、掌には厚いまめができていた


「知っていることと、実際に作れることは別の話なんだ」


「……ああ」


「同じ材料を使って、同じ手順で作っても、師匠と同じものにはならない。火の扱いも、槌の入れ方も、まだ僕には足りないものがある」


マースは苦笑した


「何度も試しているんだけどね。まだまだ遠いよ」


ユーリイは黙って頷いた


その言葉には、鍛冶師として積み重ねてきた時間の重みがあった


マースは再びダガーを手に取った


「……このダガーは、ミトゥのものだね」


「……ああ」


「そして、これ自体はネメシス教官が僕たち全員に贈ってくれたものだ」


「ああ」


マースは刻印を見つめた


「僕も同じものを持っているからね。見間違えるはずがないよ」


しばらく沈黙が続いた


ミトゥ・ハーグボウ


第893小隊の仲間


よく笑い、よく喋り、時には呆れるような失敗もした


それでも、誰からも憎まれない男だった


あの男の笑い声を、二人とも覚えている


そして、もう二度と聞くことができないことも


マースは顔を上げた


「このダガーは、僕が必ず直す」


「……マース?」


「だから、預からせてくれ」


その声に迷いはなかった


「いつになるかは分からない。だけど、必ず師匠と同じ技法を身につけてみせる」


「……」


「これは、君だけの大切なものじゃない。僕にとっても同じなんだ」


ユーリイは、しばらくマースを見つめていた


そして、小さく頷いた


「……分かった」


マースは微笑んだ


「ありがとう」


そう言うと、椅子から立ち上がった


「ちょっと待っていてくれ」


奥の部屋へ引っ込んでいく


何かを探しているらしく、棚を開け閉めする音が聞こえてきた


しばらくすると、マースが戻ってきた


右手には、一本のダガーが握られていた


「これを君に」


「……?」


マースは革製のシースに収められたダガーを差し出した


ユーリイは受け取り、ゆっくりと引き抜いた


「……!」


形は、見慣れたグンドナー製のダガーとほとんど同じだった


刃の長さ


握りの形状


全体の均整


しかし、決定的に違う部分があった


刀身に、虹色の刃紋が浮かんでいる


光の角度を変えるたび、幾つもの色が刃の表面を走った


青


紫


金


それらが重なり合い、まるで炎が揺らめいているようにも見える


「……これは」


ユーリイは思わず息を呑んだ


刀身を傾ける


刃の根元には、見慣れない刻印があった


炎を纏った華


龍ではなく、一輪の華


炎に包まれながらも、その花弁を大きく開いている


「……おまえの刻印か?」


「うん。僕の作品には、それを刻むことにしたんだ」


マースは少し照れくさそうに笑った


「まだまだ師匠の作には及ばないけどね」


「いや、これは……凄い」


ユーリイは刀身から目を離せなかった


長年、武器を扱ってきた


数多くの刃物を見てきた


だが、目の前のダガーには、これまで見たものとは違う美しさがあった


単に装飾が美しいというだけではない


刃の厚み


重心の位置


握った時の収まり


すべてが実戦で使うことを考えて作られている


ユーリイは軽く手首を動かした


刃が自然に動く


「……いいな」


思わず口から言葉が漏れた


「そうかい?」


「ああ。手に馴染む」


「それはよかった」


マースは嬉しそうに笑った


「とはいえ、僕もまあまあの出来だと思っているんだ。君の助けになってくれるだろう」


「……これを、本当に貰っていいのか?」


「もちろん。そのために持ってきたんだから」


「……ああ、ありがとう」


ユーリイはダガーを鞘へ収めた


マースは、テーブルの上に置かれたミトゥのダガーへ目を向けた


「師匠の域に届くまで、何年かかるか分からない」


「ああ」


「それでも、絶対に成し遂げる」


マースは静かに言った


「そして、君が戦うのを辞める時に返せたらと思っている」


ユーリイはマースを見た


その言葉に込められた意味を、あえて尋ねることはしなかった


ただ、ゆっくりと頷いた


「ああ、任せた」


マースも頷いた


そして、何かを思い出したように口を開いた


「それと、君自身が教官から貰ったナイフもあっただろう?」


「ああ。今も持っている」


「腰の小太刀と一緒に、定期的に整備させてくれ」


「……いいのか?」


「もちろん。君の武器の癖も、使い方も知っているつもりだからね」


マースは笑った


「それに、鍛冶師としては、自分の作った武器がどう使われるのか、気になるものなんだよ」


「なるほどな」


ユーリイも笑った


「ああ。これからはおまえに頼むよ」


「任せてくれ」


マースは、テーブルの上に残されたダガーを手に取った


ひびの入った刀身


炎の蜷局


かつて師匠が刻んだ印


そして、ネメシス教官が仲間たちへ贈った武器


マースはそれを丁寧に鞘へ収めた


一方、ユーリイの手には新しいダガーがあった


炎を纏った華


師匠から受け継いだ技術と、弟子自身の技が込められた一本


二人は、もう一度顔を見合わせた


「じゃあ、また来るよ」


「ああ。いつでも来てくれ」


ユーリイは新しいダガーを腰に収めた


工房の外へ出ると、既に陽は傾き始めていた


振り返れば、煙突からは細い煙が上がっている


閉鎖されたと聞いていたグンドナー工房


そこには今も、槌を振るう鍛冶師がいた


ユーリイは腰のダガーへ手を添えた


「……頼んだぞ、マース」


そう呟き、王都へ向かって歩き始めた


その背中を見送ったマースは、静かに工房の扉を閉めた


作業台の上には、一本のダガーが置かれている


炎の蜷局


マースはその刻印を見つめた


「……必ず直すよ、ミトゥ」


やがて、工房の奥から再び槌の音が響き始めた


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