医療調査④
王都の医療調査を終えて数日後
ブープ伯爵の執務室には、分厚い報告書を抱えたミークニー・ザッカーの姿があった
机の上には、医療施設の所在地を記した王都の地図と、調査結果をまとめた数枚の紙が広げられている
「お忙しいところ、お時間をいただきありがとうございます」
「構わんよ、ザッカー殿。私も結果を楽しみにしていたところだ」
伯爵は書類を手に取り、最初の頁に目を通した
「ほう……ずいぶん細かく調べたものだな」
「実際に診察を受けていただいた方々からの聞き取りと、処方された薬の調査結果です。もちろん、限られた数の施設を調べただけですから、王都全体を正確に表しているとは言えませんが」
「それでも、何も知らないよりは遥かにいい」
伯爵は書類をめくった
「なるほど……王都の医療レベルはそういうところか」
「ええ、さすがは王都と言ったところでしょうか。一般的な医師として十分な水準にある者は、およそ半分といったところでしょう」
「約半分……多いのか、少ないのか」
「私は多いと思いますよ」
ミークニーは答えた
「ちゃんと選んでいけば、適切な医療を受けられる可能性が高いということですから」
「なるほどな」
「ただし、料金は総じて高い傾向にありますね」
「まぁな、命の値段だ。そうなるだろう」
伯爵は苦笑した
「もっとも、命に関わるからこそ、払えない者がいるのは困るがな」
「その通りです」
ミークニーは別の資料を差し出した
「それから、使用される薬の多くは、王都の薬師ギルドから取り寄せたものでした」
「薬師ギルドか」
「はい。品質に大きな問題のないものも多かったのですが、一部には成分がはっきりしないものも含まれています」
「それは危険ではないのか?」
「危険なものもあるでしょう。ただ、成分が分からないからといって、すべてが悪い薬とは限りません」
「ふむ」
「長年の経験から作られている薬もあります。実際に効果が認められるものもありました。ただ、どうして効くのか、どの程度の量まで安全なのか、それを説明できる者が少ないのです」
「なるほど……」
「反対に、もっともらしい説明をされても、実際にはほとんど効果の期待できない薬もありました」
「困ったものだな」
「ええ。ですから、薬についても調査を続ける必要があります」
「分かった。ありがとう」
伯爵は一度書類を置き、地図へ目を移した
「では、次は王都の外縁部か」
「はい。下町や、貧民街と呼ばれる地域です」
ミークニーは地図の外側を指し示した
「こちらでは、一般的な医師として十分な水準にある者は、およそ三割でした」
「三割か……」
「そして、同じく三割ほどが、医師とは呼べない水準でしたね」
伯爵の眉間に皺が寄った
「ずいぶんひどいな」
「ええ。ただ、意外だったこともあります」
「ほう?」
「王都中心部でも十分に通用するほどの腕を持ちながら、あえて下町で診療を続けている医師がいたのです」
「なぜだ?」
「事情は様々でした。中心部に診療所を構えるだけの資産がない者もいれば、貧しい人々の役に立ちたいという思いから、そこに留まっている者もいました」
「……そうか」
「そうした医師の診療は、実に丁寧でした。必要のない薬を出さず、患者の暮らしまで考えて助言する者もいました」
ミークニーは少し微笑んだ
「正直に申し上げて、私の方が勉強になったくらいです」
「ザッカー殿がそう言うなら、相当なものなのだろうな」
「いえ、私など、まだまだです」
そう言ってから、ミークニーの表情が曇った
「問題は、残りの三割です」
「医師とは呼べない者たちか」
「はい。医師の弟子をしていた者が、半端な知識だけで診療を始めたような例もありました」
「弟子であれば、多少の知識はあるのではないか?」
「それが厄介なのです」
ミークニーは首を振った
「まったく知らない者なら、分からないと答えることもできます。しかし、中途半端に知っている者ほど、自分の判断を疑わないことがあるのです」
「……なるほど」
「症状を十分に確かめず、決まった薬を渡すだけの者もいました。病気の原因を考えず、患者の訴えだけで処置を決めてしまう者もいます」
「それでは、かえって悪くすることもあるだろう」
「ええ。実際、その危険を感じる例もありました」
伯爵は腕を組んだ
「そんな医師なら、行かなければいいのではないか?」
「それができればいいのですが……」
ミークニーは地図を見つめた
「そこに住む者たちには、選択肢がないのです」
「……」
「腕の良い医師がいると分かっていても、遠くまで行く時間がない。診察料を払えない。仕事を一日休めば、その日の食事に困る者もいます」
「うーむむ……」
「結局、近くにいる者を頼るしかないのです。たとえ、その医師の腕が良くないと分かっていても」
ブープ伯爵とミークニーは、お互いに渋い顔をして見合った
しばらくして、ミークニーが別の書類を取り出した
「ただ、面白い発見もありました」
「ほう?」
「貧民街に、もぐりの薬師がいたのです」
「もぐり?」
「ええ。薬師ギルドに所属していない女性なのですが、彼女の扱う薬が、極めて高い水準のものだったのです」
伯爵が目を丸くした
「それはまた、妙な話だな」
「私も驚きました。薬の種類もそうですが、症状に応じた使い分けが実に適切でした」
「その女は、どこで学んだのだ?」
「それが分からないのです」
ミークニーは首を傾げた
「どこでその知識を得たのでしょうか。下手な医師に診てもらうより、彼女の判断で出された薬を飲んだ方がいいかもしれません」
「そこまでか」
「はい。ただし、薬師として優秀だからといって、医師の代わりがすべて務まるわけではありませんが」
「当然だな」
「それに、ほかのもぐりの薬師には、どうしようもない者もいましたから」
「……玉石混交というわけか」
「まさに、その通りです」
伯爵は椅子の背にもたれ、天井を見上げた
「王都でこの状況だと、地方の領ではもっと悲惨かもしれんな」
「そうかもしれません」
ミークニーは頷いた
「もちろん、裕福な貴族領で、領主が医療に関心を持っている土地なら、事情は違うのでしょうけれど」
「ふむ」
「例えば……」
ミークニーは、ちらりと伯爵の顔を見た
「……私か?」
「ええ」
伯爵は少し照れたように笑った
「まぁ、うちはな。何より、理解のある医師が指導してくれるしな」
「私は、教えられることを教えているだけですよ」
「それができる者は、そう多くない」
「そうでしょうか」
「典医の医術など、かつては秘中の秘だったのだろう?」
「ええ、そう聞いています」
ミークニーは静かに頷いた
「ですが、私たちは、やる気があり、覚悟を持って学ぶ者を受け入れます」
「……」
「一人でも多くの者が知識と技術を学んでくれれば、それだけ助かる命も増えますから」
「確かにな」
「もちろん、知識を覚えるだけでは医師にはなれません。実際に患者を診て、経験を積む必要があります」
ミークニーは少し考え、言葉を続けた
「それに、何より大切なのは、本人に人を助けたいという意志があることでしょうか」
「……意志か」
「はい。医術は、人を助けるためのものですから」
伯爵はしばらく黙っていた
そして、ゆっくりと頷いた
「そういう方面の教育も必要があるかもしれんな」
「はい」
「腕の良い医師を増やすだけでは足りん。医師を育てる仕組みそのものが必要ということか」
「そうですね。ただ、それを実現するには、まだまだ時間がかかると思います」
「時間はかかるだろうな」
伯爵は机の上の報告書を見た
「だが、始めなければ何も変わらん」
「ええ」
二人はしばらく、今後の医療教育について意見を交わした
王都の医師たちを対象にした勉強会を増やすこと
希望する者が、経験豊富な医師のもとで学べるようにすること
薬師ギルドとの協力を進め、薬の品質を確かめること
そして、貧しい者でも適切な医療を受けられる仕組みを考えること
どれも簡単に実現できる話ではない
しかし、何もしなければ、今のままだ
ミークニーは報告書をまとめた
「それでは、今回の調査報告は以上になります」
「うむ。ご苦労だった」
「ありがとうございます」
ミークニーが立ち上がろうとした、その時だった
「……ところで、ザッカー殿」
「はい?」
伯爵の声が、少し低くなった
「私には、しっかり休むようにと言っていた者が、連日無理をしていたようだが?」
「……え?」
ミークニーの動きが止まった
「夜遅くまで薬を調べ、ろくに眠らず、翌朝からまた調査に出かけていたそうではないか」
「い、いえ、それは……」
「それは?」
「調査のために、必要なことでして……」
「ほう?」
伯爵が目を細めた
「必要ならば、眠らなくてもいいと?」
「いえ、そういうわけでは……」
ミークニーは、ばっと後ろを振り返った
(あれ?いない)
つい先ほどまで、扉のそばに控えていたはずのアイダ・アクーニャの姿が消えている
(アクーニャ殿……!)
いつの間に出ていったのだろう
いや、そもそも、いつ報告したのだろうか
「どこを見ている?」
「……いえ」
「以前から言っているだろう。医師だからといって、無理をしていい道理などないと」
「はい……」
「患者には休めと言い、自分は休まん。それで倒れたらどうするつもりだ?」
「……申し訳ありません」
「ザッカー殿が倒れれば、困る者がどれほどいると思っている?」
「……はい」
「それに、医師が自分の身体を大切にできずに、どうして他人の身体を大切にできる?」
「……おっしゃる通りです」
「まったく……」
伯爵は大きくため息をついた
「せっかく良い報告を聞けたと思ったら、最後にこれだ」
「……」
「今日はもう仕事をせず、帰って休むこと。いいな?」
「……はい」
「薬の調査もだぞ?」
「……はい」
「少しだけ、などというのもなしだ」
「……はい」
完全に先回りされていた
ミークニーは肩を落とした
――
その頃、執務室の外では
「……アクーニャ隊長」
「はい?キロス」
扉の前に控えていたアイダが振り返った
パメラ・キロスが、少し呆れたような顔をしている
「……いつ、伯爵に報告したんです?というか、容赦ないですね」
「当然でしょう。私たちはブープ様の騎士ですから」
アイダは何事もなかったかのように答えた
「それに、ザッカー殿が倒れられては困ります」
「まぁ、それはそうですけど……」
「そうですよ、キロス」
横からモニカ・ロハスが口を挟んだ
「ロハスまで……」
パメラは肩をすくめた
執務室の扉の向こうからは、まだ伯爵の声が聞こえている
どうやら、説教は終わりそうにない
三人は顔を見合わせた
「……少し、離れましょうか」
アイダが小声で言った
「そうですね」
「ええ」
三人は、執務室の扉から少し離れた廊下へと移動した
もちろん、何かあればすぐに駆けつけられる距離である
ただ、今だけは
伯爵とザッカー殿を、二人きりにしておこう
そんな三人の、ささやかな気遣いだった
執務室の中では、今日もミークニーへの説教が続いていた




