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遺伝子の小さな箱庭  作者: 妙義 豊


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医療調査③

「おはよう」


待ち合わせ場所にいたユーリイが声をかけた


「おはょぅ……」


三人の女性騎士を伴って現れたミークニーは、少し眠そうだった


前日のユーリイのように大きな欠伸をすることはなかったが、目元には疲れが見える


「何だよ、今日は昨日と逆だな」


ユーリイが笑う


「昨日、王城に帰ってから、いただいた薬を少し調べていましたから」


「おいおい、大丈夫か?」


「こんなのは普通ですよ」


ミークニーは軽く肩をすくめた


「何より、戦場では数日まともに眠れないこともあったでしょう?」


「……そうだな」


ユーリイは苦笑した


軍にいた頃、満足に眠れないことなど珍しくなかった


行軍が続けば睡眠時間は削られ、敵の襲撃を警戒して夜通し見張りに立つこともあった


負傷者が出れば、衛生兵だったミークニーは夜を徹して手当てに当たった


不帰の樹海では、それがさらに過酷なものになった


あの頃を思えば、多少の寝不足など大したことではないのかもしれない


もっとも、身体に良いはずもないのだが


「で、何か分かったのか?」


「ええ」


ミークニーは手にした鞄を軽く叩いた


「王都の医療水準は、本当に千差万別といったところですね」


「昨日もそんなこと言ってたな」


「診察の内容だけでなく、処方された薬にもかなりの差がありました」


「へえ」


「もちろん、まだ五軒を調べただけですが……」


ミークニーは少し寂しそうに笑った


「同じ王都の医師でも、ここまで違うものなのかと」


「まあ、医者だって人間だからな」


「そうですね」


「で、今日は?」


「昨日と同じように調査を続けます、ただ、結果が大きく変わらないようなら、王都中心部の調査は今日で一区切りにするつもりです」


「なるほど」


「その後は、下町や貧民街も調べたいと思っています」


「そっちはまた違うだろうな」


「ええ、恐らく」


二人が話している間、アイダ・アクーニャは少し離れた場所で周囲に目を配っていた


モニカ・ロハスとパメラ・キロスも、それぞれ違う方向を警戒している


三人ともブープ伯爵家の騎士だった


ユーリイは何気なく通りの向こうへ視線を向けた


少し離れたところに、買い物籠を提げた女性がいる


そのさらに先には、荷車のそばで立ち話をする二人の女性


どちらも、特に変わった様子はない


だが、ユーリイは小さく笑った


「……なるほどね」


「どうかなさいましたか?」


アイダが尋ねる


「いや、何でもない」


ユーリイは首を振った


アイダも、それ以上は尋ねなかった


「アクーニャ殿、本日の協力者の方々は?」


ミークニーが尋ねる


「はい、予定どおり手配しております」


「ありがとうございます」


「昨日と同様、診察を終えた方から順次報告を受けられるようにしてあります」


「助かります」


ミークニーが頷いた


「では、始めましょうか」


――


前日と同様、アイダが手配した協力者たちが治療院を訪れた


いずれも実際に軽い症状や怪我を抱えた女性たちである


ミークニーは事前に全員を診察し、症状を把握していた


協力者たちには、医師からどのような質問を受け、どんな診察をされ、何を説明されたのかを覚えておくよう伝えてある


診察後には聞き取りを行い、処方された薬を預かる


必要な場合には、翌日以降もミークニー自身が経過を確認する


その作業を繰り返していった


一軒目は、比較的大きな治療院だった


患者の話を丁寧に聞き、診察も適切に行われていた


二軒目は、古くから営業している医院だった


医師は経験豊富らしく、診断そのものに大きな問題はなさそうだったが、処方された薬については少し疑問が残った


三軒目は、新しく開業したばかりの治療院だった


建物も器具も新しく、清潔に保たれている


ただ、患者の話によれば、医師は症状を十分に確認しないまま薬を処方したらしい


「……ふむ」


ミークニーは何かを書き込んだ


「どうした?」


「いえ、少し気になることがありまして」


「薬か?」


「それもありますが、診察の進め方ですね」


「なるほど」


四軒目は、王都でも評判の良い治療院だった


診察は丁寧で、患者への説明も分かりやすい


処方された薬も、少なくとも聞き取った症状に対して不自然なものではなかった


「どうだ?」


ユーリイが尋ねる


「やはり、昨日とあまり変わりませんね」


ミークニーは手帳を閉じた


「良い医師もいれば、そうでない医師もいる、診療費が高いからといって、必ずしも質が高いわけではありません」


「逆もあるわけだ」


「ええ」


「まあ、そんなもんかもしれんな」


「ただ、少なくとも王都の中心部では、一定以上の水準を持つ医師が多いようです」


「患者も多いし、競争もあるからな」


「そうですね」


ミークニーは少し考えた


「では、最後の一軒へ行きましょう」


――


最後に訪れたのは、王都中心部から少し外れた場所にある、小さな治療院だった


周囲には商店や住宅が立ち並び、人通りもそれなりにある


タッカーのパン屋がある地域と、治安はさほど変わらないだろう


建物は古かったが、入口や窓はきれいに手入れされていた


看板も質素で、特に目を引くような装飾はない


「ここか?」


「ええ」


ミークニーは建物を見上げた


「最後は、私たちも患者として診てもらおうと思います」


「……ん?『私たち』?」


ユーリイが振り返る


「お前が?」


「はい」


「いいのか?」


「ええ、アクーニャ殿には、私たちの保護者として同行していただきます」


「そうか……じゃあ行ってら」


「……」


「ん?」


「『私たち』ですよ」


「え?俺もか?いいよ!俺は健康だ」


「そういう事を言ってるんじゃないです」


「俺は病院が嫌いなんだ」


「これも仕事ですよ」


「……」


ユーリイは黙り込んだ


その様子を見ていたアイダが、わずかに口元を緩める


「では、お二人ともこちらへ」


「……分かったよ」


ユーリイは渋々頷いた


「ったく、何で俺まで……」


「せっかくですから」


「せっかくで病院に行く奴がいるかよ」


ミークニーは笑った


モニカとパメラを外に残し、三人は治療院へ入った


――


「この私の連れ二人を診てもらいたいのですが」


受付でアイダが告げた


「はい、どのような……」


受付の女性は、アイダの後ろに立つ二人を見て目を丸くした


「……男!?」


「ええ」


アイダは平然と答えた


「こちらの先生が優秀だと聞きまして」


「は、はい」


「彼らは我が家にとって大切な男たちですので、評判の先生に診ていただきたくて連れてまいりました」


「わっ、分かりました」


受付の女性は慌てて姿勢を正した


「少々お待ちください」


二人の名前と症状を確認し、受付を済ませる


待合室には数人の女性患者がいた


男性が二人も入ってきたことで、周囲の視線が一斉に集まる


「……目立つな」


ユーリイが小声で呟いた


「仕方ありませんよ」


ミークニーも小声で答えた


「一人でも珍しい男が、二人も来るなんて天変地異ものですから」


「……お前、他人事みたいに言うなよ」


「事実でしょう?」


「まあ、そうだけどよ……」


「お二人とも、こちらへ」


アイダが空いている椅子を示した


三人は並んで腰を下ろした


しばらく待っていると、名前を呼ばれた


まずはユーリイが診察を受ける


本人はどこも悪くないと主張していたが、医師はその言葉だけで済ませることはなかった


普段の仕事や食事、睡眠について尋ねられ、身体の状態も確認された


「特に問題はなさそうですね」


「そうですか」


「ただし、無理はなさらないように」


「はい」


ユーリイは素直に頷いた


続いて、ミークニーの番になった


「よろしくお願いいたします」


診察室に入ったミークニーが頭を下げる


机の向こうには、落ち着いた雰囲気の女性医師が座っていた


年齢は五十代ほどだろうか


髪には少し白いものが混じっている


「こんにちは」


女性医師は微笑んだ


「本当に男性なのね」


「はい、駄目ですか?」


「いえいえ、そんなことはないわ」


女性医師は首を振った


「ここに男性が来るのは珍しいものだから、気を悪くしたならごめんなさい」


「いえ」


「それで、今日はどうなさいました?」


「最近、疲れが取れなくて」


「疲れが?」


「はい」


「いつ頃からかしら?」


「ここ数日、少し忙しくしていまして」


「お仕事で?」


「ええ」


「眠れていますか?」


「睡眠時間は少し短いかもしれません」


「食事は?」


「きちんと取っています」


「熱が出たり、身体のどこかが痛んだりは?」


「特にはありません」


「分かりました、では、少し診せてくださいね」


女性医師は立ち上がった


まず体温を確認する


続いて顔色や目、喉の状態を調べ、聴診器を当てた


胸の音を聞き、呼吸の状態を確かめる


さらに腹部を触診し、手足の状態も確認していった


診察は丁寧だった


必要なことを尋ね、必要な場所を調べる


無駄な動きはない


しかし、急いでいる様子もなかった


ミークニーは、医師の一つ一つの動作を静かに見ていた


やがて女性医師は椅子に戻った


「そうねえ……」


少し考える


「はっきりしたことは言えないけれど、今のところ大きな異常は見当たらないわね」


「そうですか」


「ただ、少しお疲れ気味のようね」


「……はい」


「最近忙しいと言っていたでしょう?」


「ええ」


「だったら、まずはしっかり休むことね」


女性医師は穏やかに続けた


「美味しいものを食べて、十分に眠ってください、それでも疲れが取れないようなら、また診せに来てちょうだい」


「お薬は出ないのですか?」


ミークニーが尋ねた


「お薬?」


女性医師は少し首を傾げた


「必要かしら?」


「……」


「今のあなたに、無理に薬を飲ませる理由はないと思うけれど」


「そうですか」


「もちろん、何か別の症状が出てくれば話は変わるわ、でも、今は休養が一番でしょうね」


「……なるほど」


ミークニーは小さく頷いた


少しの沈黙が流れた


女性医師は、そんなミークニーの顔をじっと見つめていた


そして、ふっと笑った


「それで、知りたいことは分かったかしら?」


「……はい?」


「御典医殿?」


ミークニーの表情が変わった


「……ご存じだったのですか?」


「ええ」


女性医師は楽しそうに笑った


「あなたは私の顔を知らなかったようだけどね」


「……申し訳ありません」


「謝ることじゃないわ」


女性医師は椅子に座り直した


「それにしても、過労で医者に診てもらうって、どんな金持ちよって思ったわ」


「……」


「しかも男性でしょう?最初は何事かと思ったけれど、顔を見て納得したわ」


「そうでしたか……」


「もっとも、本当に疲れているのは間違いなさそうだけどね」


女性医師は笑った


「昨年、あなたが王都の医師を対象に勉強会を開いたでしょう?」


「ええ」


「あれに参加したのよ」


「ああ、そうだったのですね」


「ええ、私はあなたが典医になる少し前に王城を辞めたの」


「……やはり、そうでしたか」


「あら?」


女性医師が片眉を上げた


「私が元典医だということは、知っていたのね?」


「はい」


ミークニーは素直に頷いた


「こちらに、王城を辞められた元典医の方がいらっしゃると聞いていました」


「なるほど」


「ただ、お顔までは存じ上げませんでしたので」


「それで、わざわざ自分で診察を受けに来たの?」


「ええ」


ミークニーは微笑んだ


「一度、診ていただきたいと思っていました」


女性医師はしばらく彼を見つめた


そして、声を立てて笑った


「まあ!」


「……?」


「現役の御典医殿が、元典医の腕前を確かめに来たってわけね」


「失礼でしたでしょうか?」


「いいえ、全然」


女性医師は楽しそうに首を振った


「むしろ、面白いじゃない」


「そう言っていただけると助かります」


「それで?」


女性医師は少し身を乗り出した


「私の診察は、合格だったかしら?」


ミークニーは微笑んだ


「ええ、大変勉強になりました」


「そう、それは良かったわ」


女性医師は満足そうに頷いた


「でも、私もあなたには驚かされたのよ」


「何がでしょう?」


「さっき話した勉強会のことよ」


女性医師は言った


「王城を辞めた後、不能者部隊出身の男性が典医になったという話は聞いていたわ」


「……」


「しかも、その男性が王都の医師たちを集めて勉強会を開くというじゃない」


女性医師は笑った


「どんな人なのか、興味が湧いてね」


「そうでしたか」


「行ってみたら驚いたわ」


「何がでしょう?」


「知らないことばかりだったもの」


女性医師はあっさりと言った


「典医だった私にとっても、目から鱗が落ちるような話ばかり、大変勉強になったわ」


「そう言っていただけると嬉しいです」


ミークニーは微笑んだ


「今後も、また開いていただけるのかしら?」


「ええ、そのつもりです」


「それは楽しみね」


「王都の医師の質を上げるためには、知識を共有することが大切だと思っていますから」


「そうね」


女性医師は頷いた


「私もそう思うわ」


ミークニーは少し考えてから尋ねた


「失礼ですが、王城を辞められたのは、何か理由があったのでしょうか?」


「あら、気になる?」


「ええ、少し」


女性医師は窓の外へ視線を向けた


「そうねえ……」


しばらく考えた後、口を開いた


「別に、王城が嫌になったわけじゃないのよ」


「はい」


「王城には優秀な医師も多いし、設備も薬も揃っている、医師として学べることもたくさんあったわ」


「ええ」


「でもね、私はもっと普通の人たちを診たかったの」


「普通の人たち、ですか」


「そう」


女性医師は微笑んだ


「商人でも、職人でも、働く女性でも、子供でも、病気になったら誰でも来られる、そんな場所で医者をしたかったのよ」


「……なるほど」


「王城での仕事も嫌いじゃなかったわ、奥医師を目指してみないか、なんて話もあったけれどね」


「奥医師に?」


ミークニーは少し驚いた


「ええ、でも、私はそちらより、こっちの方が性に合っていたの」


女性医師は何でもないことのように笑った


「出世することだけが、医者の仕事じゃないでしょう?」


「……その通りですね」


ミークニーは静かに頷いた


「それに、ここへ来て分かったこともたくさんあるわ」


「どんなことでしょう?」


「王城では当たり前に使えた薬が、町では高価すぎて手に入らないこともある、診察に来るのが遅れた理由を聞けば、仕事を休めなかったから、なんてことも珍しくない」


「……」


「だから、同じ病気でも、王城とは違う考え方をしなければならないことがあるのよ」


ミークニーは頷いた


「それは、私も今回の調査で感じています」


「でしょうね」


女性医師は笑った


「でも、だからこそ面白いのよ、医者の仕事って」


「ええ」


二人は顔を見合わせて微笑んだ


やがてミークニーが立ち上がった


「本日はありがとうございました」


「こちらこそ」


「大変勉強になりました」


「それは良かったわ」


ミークニーが診察室を出ようとした時だった


「ちょっと!」


女性医師が声をかけた


「はい?」


「一つ言い忘れたわ」


「何でしょう?」


女性医師は少し厳しい顔をした


「あなたが健康なのは事実だけれど、少し疲れ気味なのも事実よ」


「……はい」


「仕事柄、ゆっくり休むのは難しいと思うけれど、それでも可能な限りしっかり休みなさい」


「ええ」


「医者の不養生が一番たちが悪いんですからね」


「……はい」


ミークニーは苦笑した


「お心遣い、痛み入ります」


「分かればよろしい」


女性医師は満足そうに頷いた


「では、また勉強会でお会いしましょう」


「はい、ぜひ」


――


支払いを済ませて治療院を出ると、ユーリイが待っていた


「おう、どうだった?」


「素晴らしい医師でした」


ミークニーは即答した


「へえ」


「診察も丁寧でしたし、必要のない薬を処方することもありませんでした」


「そりゃ良かったな」


「ええ」


「でも、何だか随分長かったな」


「少し話し込んでしまいまして」


「知り合いだったのか?」


「いえ、初対面です」


「初対面であんなに話し込んだのか?」


「実は、あの方は元典医なんです」


「……へえ!」


ユーリイは目を丸くした


「そんな人が、こんなところで町医者をやってるのか」


「ええ、ご自身で選ばれた道だそうですよ」


「ふうん……色んな人がいるもんだな」


「本当に」


ミークニーは微笑んだ


ユーリイは治療院を振り返った


小さな建物だった


立派な門もなければ、豪華な装飾もない


患者たちが出入りする、ごく普通の町の治療院である


「さて、これで十軒か」


「ええ、ひとまず王都中心部の調査は一区切りですね」


「次は下町か?」


「そのつもりです」


「じゃあ、また呼んでくれ」


「ええ、よろしくお願いします」


――


夕方


ユーリイと別れたミークニーは、三人の騎士と共に王城へ向かっていた


「ザッカー殿」


アイダが声をかけた


「はい?」


「今日はしっかり休んでくださいね」


「はいはい」


ミークニーは軽く答えた


アイダはじっと彼を見た


「……帰ったら、また薬の調査をなさるおつもりでしょう?」


「……」


「昨日の分もまだ終わっていないのに、今日の分まで増えたんですよ?」


「……少しだけです」


「少し?」


「ええ、ほんの少し」


アイダは呆れたようにため息をついた


「……伯爵に伝えますよ」


「……」


ミークニーは一瞬、言葉に詰まった


「分かりました」


そして、観念したように頷いた


「今日はこのまま休むことにします」


「それがよろしいかと」


アイダは満足そうに微笑んだ


後ろでモニカとパメラが顔を見合わせる


二人とも、笑いを堪えていた


「……まったく」


ミークニーは小さく呟いた


「どこへ行っても、医者には休めと言われるものですね」


「ご自身が医者だからこそ、でしょう」


アイダが答えた


「……違いありませんね」


ミークニーは苦笑した


王都中心部の医療調査は、ひとまず一区切りとなった


十軒の治療院を訪ね、診察内容を聞き取り、処方された薬を集めた


医療の質には大きな差があった


高い診療費を取るからといって、優れた医師とは限らない


反対に、小さな治療院にも、確かな腕と経験を持つ医師がいた


そして、王都の中心部でさえこれほどの差があるのなら


さらに外れた地域では、どうなのだろうか


ミークニーは鞄の中の手帳に目を落とした


調べなければならないことは、まだ山ほどある


だが、今日は休むことにしよう


そうしなければ、今度こそ伯爵に叱られてしまう


ミークニーは小さく笑った


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