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遺伝子の小さな箱庭  作者: 妙義 豊


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消された英雄①

メローペ第四王女が王都への帰還を果たしてから、しばらくが過ぎたある日


王国最大手の新聞、アンガス・トリビューンの片隅に、小さな記事が掲載された


『故ネメシス・ペルサキス大佐の名誉回復』


アバディーン・アンガス王室は、故ネメシス・ペルサキス大佐の功績を再評価し、その名誉を回復すると発表した


併せて、同人を少将に任じ、子爵位を授ける


記事は、それだけだった


なぜ名誉を回復する必要があったのか


どのような功績が認められたのか


具体的な説明はなかった


王女の奇跡的な帰還


救出の功労者として称えられたセリナ・ロスリーとクレール・ドロワ


二人の英雄を取り上げた記事は、連日のように紙面を賑わせていた


そんな中に埋もれた、数行の記事


ほとんどの読者は、目を留めることすらなかっただろう


そもそも、ネメシス・ペルサキスという名前を知る者自体が少なかった


知っている者にしても


かつて王室への反逆に関わったとされる軍人


その程度の認識でしかない


だが


その小さな記事に、首を傾げた者がいた


――


アンガス・トリビューン、王室部局


「キャップ、ちょっといいですか?」


主任記者のナナエ・タカサキは、編集局長クァシン・リーの机に新聞を置いた


「なんだ?」


「このペルサキスって、あのペルサキスですよね?」


クァシンが記事を一瞥する


「ああ、そのペルサキスだ」


「王室への反逆に関わって、僻地に飛ばされたっていう?」


「そうだ」


「……おかしくないですか?」


「何がだ」


「反逆者だった人ですよ? それが今になって名誉回復って」


「王室がそう発表したんだろう」


「しかも少将ですよ。子爵位まで授けてる」


ナナエは記事を指で叩いた


「一体、何をした人なんですか?」


「知らん」


「知らんって……」


隣の机で原稿を整理していた若い記者が顔を上げた


「でもキャップ、王室への反逆って普通は死刑でしょう?」


「容疑をかけられたことと、有罪になったことは違う」


「じゃあ、無実だったんですか?」


「それも知らん」


クァシンは手元の原稿に視線を戻した


「王室報道官が発表した。それを王室詰めの記者が記事にした。それだけだ」


「随分あっさりしてますね」


「大きく扱う理由があるなら、書いた記者がそうしている」


「でも、少将ですよ?」


「だから?」


「大佐から少将への昇進なんて、普通じゃありませんよ」


「普通じゃないことを王室が決めたんだろう」


「……」


ナナエは記事を見つめた


ネメシス・ペルサキス


聞き覚えのある名前だった


王室に反逆した軍人


かつては高い地位にいたが、失脚して辺境へ追いやられた人物


その程度の知識しかない


そもそも、反逆者という認識すら、どこで聞いたものだったか思い出せなかった


「キャップ」


「今度はなんだ」


「この人、調べてもいいですか?」


クァシンが顔を上げた


「何か出ると思うのか?」


「分かりません」


「なら、どうしてだ」


ナナエは新聞を持ち上げた


「王女殿下が帰還されて、救出の英雄たちが表彰されて、その話題で王都中が沸いているんですよ」


「ああ」


「なのに、その時期に突然、昔の反逆者の名誉回復です」


「……」


「関係があるのか、それとも偶然なのか。気になりません?」


クァシンはしばらく彼女を見ていた


やがて、小さく息を吐いた


「通常の仕事を遅らせるなよ」


「ありがとうございます!」


「まだ何も出てないぞ」


「出るかどうか、調べてみます」


ナナエは新聞を畳んだ


そのときはまだ、ほんの小さな疑問だった


翌日には忘れてしまってもおかしくない


そんな程度の


――


同じ頃


王宮の一室で、一人の近衛騎士が古い軍歴簿を開いていた


オーレリア・ド・モンテス


メローペ第四王女に仕える近衛騎士の一人である


机の上には、士官学校の卒業記録、軍の人事記録、過去の戦闘報告書が積み上げられていた


いずれも、一人の軍人に関するものだった


ネメシス・ペルサキス


「……本当に、この方が」


オーレリアは小さく呟いた


メローペ王女が帰還できた理由


それを考えるたび、彼女の脳裏には十一人の男たちの姿が浮かんだ


帰らずの樹海


水も食料も尽き


武器も失い


いつ死んでもおかしくなかった日々


自分たち近衛騎士は、王女を守るために訓練されてきた


そのための装備を与えられ


そのための教育を受けてきた


だが、最後まで王女を守り抜いたのは


王国で最も軽んじられていた男たちだった


捨て石隊


生きて帰ることなど、最初から期待されていなかった兵士たち


彼らは諦めなかった


何もないところから生き残る方法を考え


傷ついた仲間を支え


そして、王女を連れて帰ってきた


あの男たちは、どうしてあれほどのことができたのだろう


その疑問に、ユーリイ・シーゲルは答えていた


ネメシス教官に教わったのだと


『考えろ』


『生き残る方法を探せ』


『最後まで諦めるな』


そして、王宮での謁見


女王陛下は十一人の男たちに、望む褒美を一つ与えると告げた


金でも


土地でも


地位でも


望めば、手に入れられたはずだった


だが、十一人は誰一人として自分のための褒美を願わなかった


全員が、同じ名を口にした


ネメシス・ペルサキス


自分たちを育てた教官の名誉回復


あの場にいたオーレリアは、今でもその光景を鮮明に覚えていた


一人が願い


次の一人も同じ願いを口にする


そして最後の一人まで


誰も迷わなかった


彼らにとって、その教官はどのような人物だったのだろう


そこまで慕われる軍人とは


一体、どのような人物なのだろう


そして何より


あの極限状態で、自分たちを救ってくれた男たちを育てたのは


どんな人物だったのだろう


オーレリアは、それが知りたかった


彼女は軍歴簿の最初の頁を開いた


ネメシス・ペルサキス


王国東部、カヴァラ出身


平民の家庭に生まれ、王立士官学校へ入学


卒業時の成績は上位二十名以内


「……優秀な方ね」


だが、首席ではない


際立った天才というわけでもなかった


在学中の評価を読み進める


勤勉


規律に厳格


戦術研究に熱心


特に集団戦術学と生存術に優れる


兵站の重要性を繰り返し主張し、補給を軽視した作戦立案に対しては、上級生や教官にも異議を唱えた


「……あら」


オーレリアは少し笑った


上級生にも教官にも、か


ずいぶんと気の強い学生だったらしい


さらに頁をめくる


卒業後は陸軍に配属


複数の部隊を歴任


実戦での評価は高く、着実に昇進を重ねていた


ただし


人事評価の欄には、同じような記述が繰り返されていた


上官に対する発言が率直に過ぎる


貴族出身の士官との軋轢あり


指揮能力は優秀だが、協調性に問題を認める


「……なるほど」


オーレリアは頬に手を当てた


優秀ではある


だが、上司にするには少々厄介な人物だったのかもしれない


それでも、軍歴は順調に伸びていた


准将


そこまで昇進した記録がある


ところが


ある時期を境に、経歴が突然変わっていた


大佐への降格


新兵練兵所校長への異動


理由の欄には、簡潔な記述しかない


『王室に関わる重大事案による処分』


「……重大事案?」


オーレリアの指が止まった


具体的な内容がない


軍法会議の記録も、ここには添付されていない


ただ、処分の結果だけが残っている


そして、それ以降の記録は極端に少なくなっていた


新兵練兵所での勤務


訓練課程の見直し


新兵の生存率向上に関する意見書


補給と衛生に関する改善提案


それらが淡々と並んでいる


「……あの人たちは、ここで教わったのね」


オーレリアは、十一人の男たちを思い浮かべた


しかし、その後の記録を見た瞬間


彼女の手が止まった


「……え?」


最後の軍歴


メンヒ渓谷防衛戦


戦死


そこまでは知っていた


だが


添付されていた戦闘報告書の数字が、どうにもおかしかった


敵軍


ダウランギリ王国軍、約二万


守備側


予備役兵、約二千


農民兵、約三千


合計、約五千


「……四倍?」


オーレリアは思わず声に出した


正規軍二万に対して


予備役と農民兵を合わせた五千


しかも、戦闘の結果は


『敵軍の侵攻を阻止。敵部隊は撤退』


さらに


守備側の戦死者


約千名


「……そんな」


何かの間違いではないか


オーレリアは報告書を読み直した


だが、数字は変わらなかった


敵二万


味方五千


戦死者約千


王都に迫る敵軍を、寄せ集めに近い兵力で撃退している


しかも、その大部分を生還させていた


「こんな戦いが……」


オーレリアは士官学校で学んだ戦史を思い返した


メンヒ攻防戦


名前は知っている


王都の混乱に乗じて侵攻してきたダウランギリ軍を、国境付近で撃退した戦い


王国の危機を救った防衛戦の一つ


だが


その指揮官が誰だったかなど、教わった記憶がない


「……ネメシス・ペルサキス大佐」


彼女は、報告書に記された名前を見つめた


――


「ええっ!?」


アンガス・トリビューンの資料室に、ナナエの声が響いた


「ちょっと、これ本当なの!?」


机の上には、過去の新聞と軍事年鑑が広げられていた


メンヒ攻防戦


ナナエもまた、その名前にたどり着いていた


王国が内政の混乱に揺れていた時期


隣国ダウランギリの侵攻


王都へ続く要衝、メンヒ渓谷


そこを突破されれば、敵軍は数キロ先の王都へ迫る


当時の王都に、それを迎え撃つ余力はほとんどなかった


その戦いを指揮した人物


ネメシス・ペルサキス大佐


「嘘でしょ……」


ナナエは資料をめくった


敵軍二万


守備軍五千


敵軍撤退


味方戦死者約千


何度見ても、同じ数字だった


「これ、英雄じゃない!」


しかも、勝っただけではない


四倍の敵を相手に、守備側の八割が生還している


これほどの戦果を挙げた指揮官なら、普通は王国中に名前が知られていてもおかしくない


なのに


「……どうして?」


ナナエは過去の新聞を調べた


戦闘そのものの記事はあった


ダウランギリ軍撃退


王都への侵攻阻止


王国軍の奮戦


だが、指揮官の名前はほとんど出てこない


ようやく見つけた記事にも、戦死した将兵の一人として小さく記されているだけだった


「……反逆者だから?」


ナナエは呟いた


それなら、なぜそんな人物が王都の命運を左右する防衛戦を指揮していたのか


そもそも、反逆者だったのなら


どうして最後まで王国のために戦ったのか


分からない


分からないことばかりだった


――


王宮の一室


オーレリアは、ネメシスの軍歴簿を閉じた


新聞社の資料室


ナナエは、古い記事を机に並べた


二人は互いの存在を知らない


調べ始めた理由も違う


一人は、自分たちを救った男たちの師を知りたかった


もう一人は、小さな新聞記事の不自然さが気になった


だが


二人が行き着いた疑問は


まったく同じものだった


「どうして、こんな人の功績が消されているの?」


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