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遺伝子の小さな箱庭  作者: 妙義 豊


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ある一日

カーン!カーン!カーン!


王都の中心からやや西側にある教会の鐘が鳴る


カーン!カーン!カーン!


六回


早朝六時を知らせる鐘の音だ


この国の多くの人々は、この鐘の音とともに一日を始める


私もその一人だった


「……もう朝かぁ」


眠い目を擦りながらベッドから起き出す


窓の外は、ようやく空が白み始めたところだった


大きく伸びをしてから、身支度を始める


先日行われた花の月の二つの催しは、無事に幕を閉じた


剣の乙女と歌姫の籠


どちらも王都を大いに賑わせた催しだったが、我々にとっては少々複雑な結果に終わった


まず、剣の乙女トーナメントにおける不正の究明


こちらは結局、目的を果たせなかった


町の何でも屋であるシーゲルが、黒幕をあと一歩のところまで追い詰めたそうだが、最終的には取り逃がしてしまったらしい


まあ、あの男がそこまで追い詰めたのなら、相手も相当なものだったのだろう


そして、もう一つ


私の同僚であるアデルハイトが、あの王国十傑の一人、エルザ・ハーゲンを倒して優勝してしまった


いや、優勝したこと自体は素晴らしい


実際、私も驚いたし、誇らしく思っている


問題はその後だ


せっかく身分を隠して出場していたというのに、あの子はあっさり正体を明かしてしまったのだ


おかげで、なぜか私までオーレリアに怒られる羽目になった


何故だ


私は何もしていない


本当に理不尽である


しかも、殿下ときたら


「あら、よく頑張りましたね」


と、苦笑しながらアデルハイトを労っていた


……本当に理不尽だ


そんなことを思い出しながら制服に袖を通し、鏡の前で襟元を整える


今日はエリスと二人で殿下の護衛を担当する日だ


殿下は通常の公務に加え、王族として国会に出席される


長い一日になりそうだった


実際、その予想は当たった


午前中の公務を終え、午後からは国会への出席


私とエリスは殿下の傍らに控え、周囲に目を配り続けた


国会が終わった後も、仕事は終わらない


出席していた貴族のうち、地方貴族を中心とした懇親会が開かれ、殿下もそれに参加することになったからだ


広間には多くの貴族が集まっていた


領地の話


交易の話


今年の収穫の見通し


話題は様々だ


殿下は一人一人と言葉を交わし、ときには笑みを浮かべ、ときには真剣な表情で耳を傾けていた


私は少し離れた位置から周囲を警戒し、エリスは殿下のすぐ傍らに控えている


そのときだった


一人の初老の女性が、殿下に近づいてきた


身なりからして貴族であることは間違いない


しかし、私には見覚えがなかった


エリスも気づいたらしく、さりげなく姿勢を正す


殿下は女性の姿を認めると、穏やかな表情を浮かべた


「ペルツ子爵、久しぶりだ。達者であったか」


女性は足を止め、恭しく頭を下げた


「ご無沙汰しております、メローペ殿下」


「息災そうで何よりだ」


「殿下がご帰還された折には、お見舞いにも伺わず、大変申し訳ございませんでした」


「いや、構わぬ。そなたにも事情があったのであろう」


子爵は静かに頭を下げた


そして、ふと私とエリスに目を向けた


「あなた方は、殿下の近衛騎士ですね」


「はい」


「三年前の遠征にも、参加されていたのですか?」


私が答えるより先に、殿下が口を開いた


「ああ、彼女たちは私とともに不帰の樹海から帰ってきた者たちだ」


その言葉を聞いた瞬間、子爵の表情が変わった


「……そうでしたか」


子爵は私たちに近づくと、私とエリスの手を取った


両手で包むように


「よくぞ……」


声が震えていた


「よくぞ、殿下を王都までお連れ帰ってくださいました」


子爵の目から涙がこぼれた


「あなた方のおかげで、我が娘も浮かばれます」


私は、何と答えればよいのか分からなかった


隣のエリスも、言葉を失っていた


「彼女はペルツ子爵だ」


殿下が静かに言った


「エレナ・ペルツ少尉の母君だ」


エレナ


その名を聞いた瞬間、胸の奥が締めつけられた


忘れるはずがない


森を抜けた私たちを襲った賊


ようやく故郷に帰れると思った、その矢先の出来事


エレナは殿下を守り、命を落とした


王都まで、あと少しだった


私とエリスは姿勢を正し、敬礼した


「子爵閣下、ご挨拶が遅れましたこと、深くお詫び申し上げます!」


「申し訳ございません!」


子爵は首を横に振った


「よいのですよ」


そして、涙を拭いながら微笑んだ


「私も、この三年間は領地に引きこもっておりましたから。お会いする機会がなかったのも仕方のないことです」


そう言って、もう一度私たちの手を握った


「娘は……最後まで、殿下のお役に立てたのですね」


「そうだ」


殿下が答えた


「エレナは最後まで私を守ってくれた」


その声は、いつもより少し低かった


「彼女のおかげで、今の私がある」


殿下は子爵を真っ直ぐに見つめた


「エレナは私の誇りだ」


子爵は何度もうなずいた


何度も


そして、深く頭を下げた


「……ありがとうございます、殿下」


その後、子爵はしばらく殿下と話をしてから、静かにその場を離れていった


私たちは、その後ろ姿を見送った


三年前


樹海から生還した私たち近衛の生き残りは、王都に住む戦死した同僚たちの家族を訪ねて回った


遺品を届けるため


そして、彼女たちの最期を伝えるためだった


生き残った者の義務だと思っていた


いや、今でもそう思っている


だが、あれほどつらい仕事はなかった


「なんで……」


ある母親は、私たちの顔を見るなり泣き崩れた


「なんでよ!」


娘の遺品を受け取った母親は、私たちに詰め寄った


「どうして、あの子が死ななきゃならなかったの!」


何も答えられなかった


「なんで、あんたたちは生きてるのよ!」


その言葉に、誰も顔を上げられなかった


「……あんたらが死ねばよかったんだよ!」


それでも、私たちは頭を下げ続けた


罵倒されるのは仕方がない


殴られても仕方がないと思っていた


実際、私たちは生きて帰ってきたのだから


だが


一番堪えたのは、何も言われなかったときだった


ある家を訪ねたときのことだ


私たちが差し出したのは、小さな布包みだった


中に入っていたのは、スカーフの切れ端


それだけだった


母親はそれを受け取ると、椅子に腰を下ろした


そして、包みを開いた


しばらく見つめていた


何も言わなかった


やがて、指先でそっと布を撫で始めた


何度も


何度も


まるで、そこに娘がいるかのように


私たちは立ち尽くしていた


謝罪の言葉も


慰めの言葉も


何一つ、口にすることができなかった


母親は、最後まで私たちを見なかった


ただ、スカーフの切れ端を撫で続けていた


あの光景を、私は今でも覚えている


三年が過ぎた


私たちは王都に戻り、殿下の傍らで働いている


笑うこともある


くだらないことで言い争うこともある


アデルハイトが優勝すれば喜ぶし、オーレリアに理不尽に怒られれば腹も立つ


そんな日常が戻ってきた


だが、今日、ペルツ子爵に会って思い出した


私たちが帰ってこられたのは、私たちだけの力ではなかった


エレナ


そして、あの森で命を落とした多くの仲間たち


彼女たちがいなければ、私たちはここにいない


懇親会が終わり、殿下とともに広間を後にする


廊下を歩く殿下の背中を見つめながら、私は三年前のことを思い返していた


ふと隣を見ると、エリスも俯き加減に歩いていた


きっと、同じことを考えているのだろう


殿下も、いつもより口数が少なかった


三年


もう三年も経った


それでも、あの森で失ったものは、少しも遠くなってはいなかった


今の私たちがあるのは、多くの犠牲の上なのだ


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