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遺伝子の小さな箱庭  作者: 妙義豊
21/91

異物

宮中は、静かに浮かれていた。


戦は小康。

王女は帰還した。

奇跡と呼ばれ、人々は安堵している。


だが、その内側で、秩序はわずかに歪んでいた。


ーー


廊下。


イレーヌ・ブーブ伯爵は足を止める。


視線の先に、男がいる。


「……なぜ、宮中に男がいる」


場の空気が張り詰める。


奥医師セレスティアが穏やかに口を開く。


「新任の御典医にございます」


「隣は護衛。陛下のご差配です」


イレーヌ

「しかし」


セレスティア

「ご存じのはず」


「メローペ殿下のご帰還に尽力した者たちにございます」


一拍。


イレーヌ

「ああ……あの」


男が一歩出る。


「セレスティア様、よろしいでしょうか」


視線がイレーヌに向く。


「伯爵閣下、初めまして。ミークニー・ザッカーと申します」


袖をわずかに上げる。


腕。


刻まれた番号と焼き印。


「ご覧の通り」


「私やこの男が、この宮中で間違いを犯すことはありません」


丁寧だが、わずかに棘がある。


イレーヌは目を細める。


「……そうか」


それ以上は問わない。


短く見定めると、その場を離れる。


この邂逅は、良いものではなかった。


ーー


数日後。


「賊だ!」


悲鳴が宮中を裂く。


影が走る。

刃が光る。


短い音。


一人、倒れる。

続けて、もう一人。


近衛が動く頃には、全てが崩れていた。


静寂。


第八王女アステローペの前に、黒い影。


ノクス。


血。


「……ノクス」


アステローペは動けない。


隣でケラエノが息を呑む。


「……こわい」


小さく漏れる。


理解はしていない。


だが分かる。


これは良くないものだ。


ノクスが震える。


低く唸る。


暴れかける。


ミークニーが踏み込む。


「押さえろ」


短い。


ユーリイがしゃがむ。


「噛め」


腕を差し出す。


牙が食い込む。


ノクスの動きが止まる。


ミークニーの手が動く。


針。糸。


縫合。


速い。


正確。


血が止まる。


呼吸が落ち着く。


「……よし」


ミークニーはふっと表情を緩める。


「姫様方、もう大丈夫ですよ」


穏やかに笑う。


アステローペの目がわずかに揺れる。


ケラエノが息を吐く。


張り詰めていた空気が、少しだけほどける。


ミークニーが視線を移す。


ユーリイの腕。


深い歯形。


「次はお前だ」


ユーリイ

「後でいい」


「よくない」


腕を取る。


処置を始める。


イレーヌはそれを見ていた。


軽い男。


そう思っていた。


違う。


あれは。


戦場の人間だ。



そして。


同時に。


人を安心させることができる男だ。


ーー


現在。


廊下ですれ違う。


ミークニー

「これは伯爵閣下」


軽く会釈する。


イレーヌは足を止める。


「……貴殿は、三年前と変わらぬな」


ミークニー

「そうですか」


「進歩がないとも言えますね」


イレーヌ

「違う」


一拍。


「変わらぬのは、そこではない」


ミークニーは少しだけ笑う。


何も言わない。


イレーヌも、それ以上は言わない。


最初の緊張は、もうない。


完全な信頼でもない。


だが。


異物では、なくなっていた。


静かに。


確実に。

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