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遺伝子の小さな箱庭  作者: 妙義豊
20/92

丁寧な圧

昼を少し回った頃。


店の中は落ち着いている。


朝の波は過ぎ、棚にはまだ十分な数のパンが残っている。

客足は途切れてはいないが、間がある。


炉の火は弱められている。

だが消してはいない。


いつでも戻せる。


タッカーは台の前に立っていた。

手は動いているが、急いではいない。


セリナは窓際にいた。

外を見ている。


「来るっすね」


小さく言う。


タッカーは顔を上げない。


「分かってる」


足音が止まる。


迷いがない。


一拍。


扉が叩かれる。


控えめな音。


「……開いてる」


タッカーが言う。


扉が開く。


入ってきたのは女だった。


装いは落ち着いている。

質はいいが、目立たない。


動きに無駄がない。


一歩だけ中に入り、店内を一巡する。


棚。窓。裏口。


確認は一瞬で終わる。


「失礼いたします」


声は丁寧。


距離も保っている。


タッカーは顔を上げる。


「何の用だ」


女は軽く一礼する。


「ご挨拶に参りました」


「不要だ」


間を置かずに返す。


女は崩れない。


「そうおっしゃらずに」


懐から封を取り出す。


厚手の紙。

封も整っている。


差し出す。


「こちらを」


タッカーは受け取らない。


視線だけで見る。


「読めば分かります」


「分かってる」


一拍。


「だから受け取らない」


女は手を引かない。


ほんのわずかに圧がかかる。


「確認はなさらないのですか」


「必要ない」


短い。


空気が少しだけ締まる。


女はそこで引く。


封を下ろす。


「では、口頭で」


許可は取らない。


そのまま続ける。


「我が主は、貴方様の価値を理解する者が増えていることを憂慮しております」


「そのすべてが善意とは限りません」


静かに置く。


沈黙。


タッカーが袖をわずかに上げる。


焼き印が見える。


「囲う気か」


一拍。


「俺は種なしの元軍人だ」


視線は外さない。


「あんたの言うような価値ある男じゃない」


間。


「世間のお情けで生きてるだけの人間だよ」


女は一瞬だけ視線を落とす。


すぐに戻す。


「……承知しております」


間。


「それでもなお、保護の必要があると判断しております」


「不要だ」


即答。


迷いはない。


女は頷く。


「理由をお聞かせ願えますか」


「ここでいい」


短い。


「それだけだ」


女は数秒だけ黙る。


押すか、引くか。


判断する。


「承知しました」


あっさり引く。


「本日はこれで」


一礼。


だが、終わらない。


「再度、お伺いすることになるかと」


「好きにしろ」


興味はない。


女はわずかに微笑む。


「その際は、また」


それ以上は言わず、踵を返す。


音を立てずに外へ出る。


扉が閉まる。


静けさが戻る。


完全には同じではない。


セリナが壁から離れる。


「綺麗に来たっすね」


「綺麗だな」


タッカーが言う。


「でも中身は同じっす」


「だろうな」


セリナが窓の外を見る。


通りはいつも通り。


だが、気配は消えていない。


「増えるっすね」


「増えるな」


タッカーは短く答える。


「どうするっすか」


「変わらん」


一拍。


「逃げない」


「従わない」


セリナがうなずく。


「了解っす」


迷いはない。


タッカーが手を動かす。


止めていた分を取り戻すように。


「ねえ」


セリナが言う。


「なんだ」


「パン屋」


タッカーは顔を上げない。


「なんだ」


「面倒なことになるっすね」


一拍。


「もうなってる」


短い答え。


セリナが小さく笑う。


「違いないっす」


タッカーが炉を見つめる。


火はまだ安定している。


「焼けるぞ」


「了解っす」


それだけ。


日常は続く。


だが。


選択肢は減っている。


静かに。


確実に。


圧が、近づいている。

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