二人のディーヴァ
歌姫の籠。
その名を聞けば、王都で知らぬ者は少ない。
長い歴史を持つ歌の祭典であり、この舞台から幾人もの名歌手が羽ばたいていった。
その中でも、今なお名を知られる二人がいる。
ブルーナ・サターン。
そして、
エドナ・シアーネ。
特にエドナは、今では王国一のディーヴァと呼ばれるまでになっていた。
だが、
その二人が歌姫の籠に姿を見せることは、いつしかなくなっていた。
「エドナ・シアーネさんですよね?」
コンサートホールへ向かっていたエドナが足を止める。
振り返ると、一人の女が紙束を抱えて駆け寄ってきた。
その後ろから、別の記者たちも集まってくる。
「歌姫の籠に顔を出すのは十年ぶりでは?どういう心境の変化ですか?」
「あら、よく覚えてるわね」
「もちろんです!最後にいらしたのは――」
「ごめんなさい」
エドナは軽く片手を上げた。
「今日はプライベートで来ているので、インタビューは受けたくないんだけど……」
記者たちが残念そうな顔をする。
エドナは少し考えて、
「一つだけ」
「はい!」
「今年は面白そうだったからかな」
「面白そう?」
記者が食いつく。
「それは、大会の審査方法の変更ですか?」
エドナはにっこり笑った。
「ちゃお~」
「あ!ちょっと、エドナさん!」
ひらひらと手を振り、そのまま歩いていく。
記者たちは追いかけようとしたが、エドナの連れがやんわりと間へ入った。
「今年は面白そう……」
残された記者が呟く。
それだけでも記事にはなる。
十年間、歌姫の籠から距離を置いていた王国一のディーヴァが、
今年は来た。
理由は、
面白そうだから。
「審査方法の変更……やっぱり、それなのかな」
答えはもらえなかった。
だが、
答えをもらったような気もした。
—
「ブルーナ・サターンさんですか?」
別の場所。
声をかけられた女が振り返る。
少女が一人、期待に満ちた目で自分を見上げている。
「違うわ」
「え?」
ブルーナの後ろにいた女たちが、くすくすと笑う。
「お嬢さん、ラッキーだったわね」
一人が言った。
「ここにいるのはブルーナ・サターンのそっくりさん、ルブルー・ウラヌス」
「こんにちは、ブルーナ・サターンです」
「ちょっと!」
取り巻きたちが吹き出した。
少女は目の前の女と、その後ろの女たちを交互に見る。
やがて少しだけ肩を落とした。
「あらあら、がっかりしないの」
ブルーナが笑う。
「そっくりさんでも逢えたらめっけものよ」
「そうですね」
少女は少し考えて、
「うん、ありがとうございます」
「あら、いい子」
ブルーナが腰を屈め、少女と目線を合わせる。
「あなたは、ブルーナが好き?」
「はい!」
少女は大きく頷いた。
「母様たちと妹たちの次に好きです」
一瞬、
ブルーナが目を丸くした。
そして、
「家族が好きなのね。素敵だわ」
少女の頭を軽く撫でる。
「いい子にはご褒美をあげます」
「?」
ブルーナが一枚のカードを取り出した。
続いて、どこから出したのか一本のペンまで出てくる。
さらさらと何かを書き、
「はい」
少女へ差し出した。
「ありがとうございます」
受け取った少女がカードを見る。
「……え?」
その目が大きく見開かれた。
何度も見たことがある。
家にもある。
特徴的な筆跡。
そこに書かれていたのは、
ブルーナ・サターンのサインだった。
「え?あなたは本当は……」
「しー!」
人差し指を唇に添える。
ブルーナはにっこり笑うと、少女の前から歩き去っていった。
「……」
少女は呆然とその後ろ姿を見送る。
そして、
「あ……」
気付いた。
ブルーナについていく女たち。
家に貼ってあるライブポスターに描かれている、
バックバンド。
ダンサー。
「あああああ!」
振り返ったブルーナが、少女へ向かってもう一度人差し指を唇に添えた。
「しー!」
少女は慌てて両手で口を塞ぐ。
ブルーナたちは笑いながら人混みへ消えていった。
—
「遅い」
「あら、待った?」
「少し」
「相変わらずねぇ。十年ぶりなんだから、もうちょっと再会を喜びなさいよ」
「昨日も会ったでしょう」
「あ、そうだった」
エドナが呆れた顔をする。
ブルーナはその隣に並んだ。
二人でコンサートホールを見上げる。
「懐かしいわね」
「そうね」
先ほどまでふざけていたブルーナの声が、少しだけ変わった。
「来るの、久しぶりだわ」
「私ほどじゃないでしょう?」
「十年だっけ?」
「ええ」
「頑固ねぇ」
「あなたに言われたくないわ」
二人が笑う。
かつて、
二人もこの場所に立っていた。
まだ何者でもなかった頃。
歌って、
競って、
そしてここから飛び立った。
ブルーナ・サターンという歌手も、
エドナ・シアーネという歌手も、
この籠から羽ばたいた。
だからこそ、
見ていられなくなった。
「変わると思う?」
ブルーナが聞いた。
エドナはすぐには答えなかった。
コンサートホールへ入っていく人々を見る。
「さあ」
「冷たいわねぇ」
「期待して裏切られるのは、もう飽きたもの」
「それでも来たじゃない」
「あなたもね」
「まあね」
今年から審査方法が変わる。
審査員だけではなく、
歌を聴いた観客の声が、結果へ反映される。
大きな変化ではないのかもしれない。
何も変わらないのかもしれない。
それでも、
二人は来た。
「カリーナもいるんでしょう?」
ブルーナが呟いた。
「いるわ」
「そう」
それだけだった。
二人とも、
その名をよく知っていた。
カリーナ・キャサリン。
かつては、
良い歌手だった。
「行きましょうか」
「ええ」
二人のディーヴァが歩き出す。
一人は十年ぶりに。
もう一人も、久しぶりに。
自分たちがかつて飛び立った籠へと戻ってきた。
今年は、
少しだけ面白そうだったから。




