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遺伝子の小さな箱庭  作者: 妙義 豊


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歌姫の籠

コンサートホール前に立つタッカーは、居心地悪そうに辺りを見回した。


こっちは闘技場とは少し客層が違う。


向こうでは酒瓶を片手に大声を上げているような女も多かったが、こちらは少し落ち着いた身なりの者が多いように感じる。


もちろん祭りである以上、屋台もあれば酒を飲んでいる者もいる。


だが、着飾った女たちや家族連れが目立つ。


タッカーは自分の服を見下ろした。


別に汚れているわけではない。


それでも周囲と見比べれば、どうにも場違いな気がした。


「なんか、俺がいていい場所じゃねーな」


頭をぼりぼり掻いて、一人ごちる。


「もし?」


「うん?」


振り返る。


少し離れたところに、数人の女が立っていた。


「こんな所に殿方が一人でいて、お連れと離れたのですか?」


「ああ、俺は一人で来てるんだよ」


「一人で!」


女たちが顔を見合わせる。


「男一人でいるなんて!ねぇ?」


「本当に信じられない」


「信じられませんわ」


どうやら姉妹なのだろう。


似たような顔つきで、似たような服装をしている。


一番年上らしい女が、心配そうにタッカーを見る。


「あなた、お気をつけませ」


「ああ、気を付けるわ」


タッカーは軽く手を上げた。


女たちはまだ何か言いたそうだったが、そのまま人混みへ消えていった。


「……そんなに珍しいかねぇ」


珍しい。


タッカー自身、それくらいは分かっている。


ただ、普段いる場所ではもう誰も気にしないだけだ。


パン屋の客はタッカーが何者なのか知っている。


一人で市場へ出ようが、荷物を担いで歩こうが、いちいち騒がれることもない。


こうして知らない人間ばかりの場所へ出てくると、嫌でも思い知らされる。


「おい」


今度は別の方向から声が飛んできた。


「あんた一人なのか?」


「あ?」


振り向くと、先ほどの女たちとは随分雰囲気が違った。


酒でも入っているのか、少しやさぐれた感じの女が四人。


そのうちの一人が、にやにや笑いながら近づいてくる。


「じゃあ、攫ってもいいってことだな」


「ああ?」


「だからさぁ、こんな所に男が一人でいるなんて、攫ってくれって言ってるようなもんじゃないか。なぁ?」


「ああ、やっちまおうぜ」


「高く売れそうじゃん」


笑い声。


タッカーが小さく息を吐いた。


「やれやれ、これだから人が多い所は嫌なんだよ。職場なら客もみんな事情を分かってくれているんだがなぁ」


「あ?」


一人がタッカーの肩へ手を伸ばした。


その手が届く前に、


タッカーの手が、その手首を掴んだ。


「……え?」


ぎりっ。


「いっ……!」


さっきまでぼんやりしていたタッカーの目から、笑いが消えた。


そのまま女の手を押し戻す。


「冗談なら、その辺にしとけ」


低い声だった。


「本気でやろうってのか?」


肩を回す。


ごきり、と骨が鳴った。


「だったら、お尻ぺんぺんくらいじゃ済まさねーぞ」


女たちの笑いが止まる。


目の前にいるのは男だ。


だが、大柄で、太い腕をしている。


何より、今の一瞬。


手首を掴まれた女だけは分かった。


力が違う。


「……冗談だよ」


「じょうだん、じょうだん」


「ならいい」


手を離す。


女は手首を擦りながら、仲間と顔を見合わせた。


「行こうぜ」


「ああ」


四人が人混みへ消えていく。


タッカーはその背中を見送った。


「ったく……」


「あはははは!」


今度は後ろから笑い声が聞こえた。


「こんなところで男が一人でいる方が悪いよ」


「あん?」


聞き覚えのある声だった。


振り返る。


派手な服。


目を引く化粧。


何人もの女を従え、楽しそうにこちらを見ている。


「あんたは……ラローザ……」


ラローザ・ドゥーニィ。


色街の顔役がそこにいた。


相変わらず複数の取り巻きを連れている。


「久しぶりだね。例の事件以来かい」


「あんたはこんなところで何しているんだ?」


「あんたは馬鹿かい」


ラローザが呆れたように笑った。


「花の月の第一週目にコンサートホールにいるのは、歌姫を観に来たに決まっているじゃないか」


「あんた、歌が好きなのか」


「ああ」


意外そうな顔をするタッカーに、ラローザが眉を上げた。


「何だい、その顔は。私が歌を聴いちゃいけないのかい?」


「いや、そういうわけじゃねーけどよ」


「いけ好かない女が主催の大会だけどさ、私はこのコンクールが好きでね」


「いけ好かない女?」


「こっちの話さ」


ラローザはコンサートホールを見上げた。


「エドナ・シアーネなんて、今じゃ王国一のディーヴァだよ。あの頃から凄かったねぇ。最初の一声で会場が静まり返ったんだ」


「へぇ」


「それに、ほら……」


タッカーが眉間に皺を寄せる。


「えーっと、確かブルーマ……ブルーネ……」


「ブルーナ・サターンだね」


ラローザが呆れたように笑う。


「あの女のも良かったよ。今じゃ二人とも、こんな大会に出るような歌手じゃないけどね」


「ああ、それだ」


「本当に知ってるのかい?」


「名前くらいは聞いたことある」


「その程度かい。ブルーナも相当有名だよ」


「歌が良けりゃ、誰が歌ってたっていいだろ」


「はっ、あんたらしいねぇ」


ラローザが笑う。


「まあ、私は二人が優勝した大会も会場にいたんだ」


「随分昔から見てんだな」


「まあね」


ラローザが肩をすくめる。


「ただ、ここ最近は小粒っていうか、碌な奴が出てこないけどな」


「そんなに違うのか?」


「違うねぇ」


即答だった。


「上手い奴はいるよ。そりゃ王国中から集まってくるんだからね。でも……」


ラローザが少し考える。


「もう一度聴きたいって思う奴がいない」


「そんなもんか」


「そんなもんさ」


ラローザはタッカーを上から下まで眺めた。


「で?あんたこそ何しに来たんだい?」


「ああ、ちょっと仕事でな」


「仕事?」


「詳しくは言えねー」


「あら、つまらない男」


「悪かったな」


「まあいいさ」


ラローザが歩き出す。


取り巻きたちもその後をついていく。


すれ違いざま、タッカーの肩を軽く叩いた。


「せっかく来たんだ。仕事ばっかりしてないで歌も聴いていきな」


「ああ」


「それと」


「ん?」


「さっきみたいなのには気をつけるんだね」


タッカーが眉をひそめる。


「さっきは俺が悪いって言ってなかったか?」


「あはは!それとこれとは別だよ」


「勝手な奴だな」


「女なんてそんなもんさ」


笑いながら、ラローザたちはコンサートホールへ入っていった。


タッカーはその背中を見送る。


「歌ねぇ……」


入口の向こうから、楽器の音が聞こえてくる。


まだ本番ではない。


音合わせでもしているのだろう。


少し離れた場所では、出場者らしい若い女たちが行き来している。


華やかな衣装を着た者。


付き添いに囲まれた者。


目を閉じて何かを呟いている者。


声を出して喉を整えている者。


闘技場とはまるで違う。


だが、これから勝負に挑む者たちが集まっているという意味では、同じなのかもしれない。


タッカーは頭を掻いた。


「まあ、俺は俺の仕事をするか」


そう言って、コンサートホールへ足を向けた。


歩きながら、


ふと、


小さく鼻歌を口ずさむ。


昔から知っている曲だった。


母ちゃんの一人が、よく歌っていた歌。


タッカー自身、曲の本当の名前を知ったのはずっと後になってからだ。


今では誰もが別の名で呼んでいる。


『月の輝く夜』


タッカーは何気なく、その旋律を口ずさみながら歩いていった。


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