剣を持つ理由
数日後。
ユーリイは再び、フロレンスの事務所を訪れていた。
今回は一人だった。
「遅かったじゃないか」
「仕事してたんだよ」
「私の仕事も仕事だろ」
「先に受けた仕事があったんだ」
「律儀な男だねぇ」
フロレンスが机の向こうから笑う。
ユーリイは椅子へ腰掛けた。
ふと、本棚を見る。
帳簿。
王都の地図。
過去の大会記録。
その中に、妙な本が一冊混じっていた。
『黒百合の君』
「……」
「何だい」
「いや」
「またかい」
フロレンスがユーリイの視線を追う。
一瞬だけ止まった。
「……何か文句あるのかい」
「何も言ってないだろ」
「だったら見るんじゃないよ」
「本棚だぞ」
「人の本棚をじろじろ見るんじゃない」
ユーリイは隅へ目を向ける。
大きなぬいぐるみ。
「そっちも見るんじゃないよ!」
「何も言ってねえって」
「顔が言ってんだよ!」
フロレンスが机を叩いた。
その時、扉が開いた。
「親分」
若い女が一枚の紙を持って入ってくる。
「今年の参加者、最終分です」
「そこ置いとくれ」
「はい」
若い女は紙を置き、ユーリイへ軽く頭を下げて出ていった。
フロレンスが紙を広げる。
「ちょうどいい」
ユーリイの前へ滑らせた。
「見な」
参加者の一覧。
所属。
年齢。
過去の戦績。
ユーリイには知らない名前ばかりだった。
「どれだ?」
「まだ分からない」
「分からない?」
「今年は金の入り方が遅い」
フロレンスが腕を組む。
「例年なら予選が始まる少し前から動き始める。まだ断定するには早いね」
ユーリイが一覧を眺める。
その途中で、一つの名前に印が付けられていることに気づいた。
「これは?」
「ああ」
フロレンスが妙な顔をした。
「今回、もう一つおかしなことがある」
「何だ」
「騎士団長が出る」
ユーリイが顔を上げた。
「団長?」
「ああ。上位貴族の私騎士団を預かる、正真正銘の団長様だ」
「そんな奴が、こういう大会に出るのか?」
「普通は出ないね」
フロレンスが即答する。
「負ければ騎士団の看板に傷がつく。勝ったところで、騎士団長なんだから当然だと言われる」
「割に合わないな」
「だろ?」
フロレンスがその名前を指で叩いた。
「それでも出る」
「理由は?」
「知らない」
ユーリイが紙を見る。
「本人に聞いたのか?」
「聞けるかい。私を何だと思ってる」
「盛り場の顔役」
「自分で言うのと人に言われるのじゃ腹立たしさが違うね」
ユーリイは一覧へ視線を戻した。
「何か知ってるから出る、と?」
「さあね」
フロレンスが肩を竦める。
「ただ――」
別の名前を指す。
「この娘も同じ騎士団だ」
「部下か」
「ああ」
過去の戦績を見る。
特別目立つものはない。
地方大会で何度か上位。
騎士団内の序列も五番手前後。
強い。
だが、王国大会の優勝候補と呼ぶほどではない。
「もう一人」
フロレンスが指を動かす。
別の騎士団。
こちらも有力貴族の領地に属する私騎士団だった。
「こっちは?」
「私が気にしてる方さ」
「理由は」
「領主」
フロレンスが短く答える。
ユーリイは黙って続きを待つ。
「昔の優勝者の何人かと、金の流れを辿ると妙なところで名前が重なる」
「その貴族がやってるのか?」
「分からない」
「……」
「だから調べるんだろ?」
「そうだったな」
フロレンスが笑った。
「私は賭場の人間だ。剣なんて振れない」
「十分振れそうな腕してるけどな」
「ぶん殴る方が得意さ」
腕を曲げる。
確かに太い。
「私に分かるのは金だけだ」
フロレンスは机の上の帳面を叩いた。
「金はね、結構お喋りなんだよ」
「喋るか?」
「喋るさ。誰が欲をかいてるのか、誰が怯えてるのか、誰が何かを知っているのか」
頁を捲る。
「でも、剣が何を喋ってるのかは私には分からない」
ユーリイが参加者一覧を取った。
「それを見ろって?」
「ああ」
「俺は剣術家じゃないぞ」
「知ってる」
「我流だ」
「それも聞いてる」
「だったら」
「人が殺し合ってる時に、何がおかしいかを見る目はあるだろ?」
ユーリイが黙った。
フロレンスは笑っている。
「買いかぶりすぎだ」
「だから言ったろ」
頬杖をつく。
「私は、そういう勘だけはいいんだ」
ユーリイは小さく息を吐いた。
参加者一覧を折り畳み、懐へ入れる。
「分かった」
「頼むよ」
立ち上がる。
扉へ向かおうとして、
ユーリイが止まった。
本棚を見る。
『黒百合の君』
その横。
大きなぬいぐるみ。
「……」
「だから見るんじゃないよ!」
「何も言ってないだろ」
「今度笑ったら殴るよ!」
ユーリイは扉を開けた。
「怖い怖い」
「おい!」
扉を閉める。
廊下を歩きながら、懐の紙へ手を触れた。
騎士団長。
その部下。
そして、
怪しい貴族領から参加する一人の騎士。
まだ何も起きていない。
少なくとも、
表向きは。




