夜の賭場
その日、ユーリイとタッカーは盛り場を訪れていた。
今回の客は、色街の華ラローザ・ドゥーニィではない。
ラローザとは別の形で、夜の街を仕切ってきた女親分。
フロレンス・デシェルト。
彼女は所謂博徒。
腕っぷしと度胸で、いくつもの賭場を仕切ってきた女だった。
そんな彼女の若い衆がタッカーのパン屋の扉を叩いたのは、閉店間際の時間だった。
実際に二人がフロレンスと会ったのは、その翌日の夜半だった。
「おいおい、パン屋は朝が早いんだ。こんな時間に呼び出されちゃ起きれないだろがよ」
「俺なんて、お肌が荒れちゃうわよ。最近なんてエリザベスの所為で夜中に叩き起こされちゃうの」
「お肌がって面かよ。レモンスライスでも貼り付けてろよ」
「お前も三徹余裕って言ってたろ。下らねえこと言ってん……来たぞ」
ユーリイが顎で示す。
タッカーがそちらを見た。
比較的長身の二人より、僅かに背が低い女が歩いてくる。
太い腕。
厚い胸板。
袖を肘まで捲り上げ、堂々と肩を揺らして歩く姿は、女親分という言葉がそのまま服を着て歩いているようだった。
その後ろを、数人の若い女たちがついてくる。
女は二人の前で足を止めた。
「待たせたね。私はフロレンス、フロレンス・デシェルト」
「ユーリイ・シーゲル」
「タッカー・ナークニーだ」
「ああ、知ってるよ」
フロレンスが笑う。
「こっちだ。立ち話でするような話じゃない」
案内されたのは、賭場の二階にある一室だった。
分厚い扉。
大きな机。
壁際には酒瓶が並び、その横には何冊もの帳簿。
いかにも賭場の親分の部屋。
――なのだが。
部屋の隅に、大きなぬいぐるみが置かれていた。
何の動物なのかはよく分からない。
丸く、柔らかそうで、やたらと大きい。
ユーリイが見る。
フロレンスも見る。
「……」
「……」
「何だい」
「いや」
「何か言いたそうじゃないか」
「何も言ってない」
「なら見るんじゃないよ」
タッカーが吹き出しそうになり、咳払いで誤魔化した。
「座りな」
三人が机を囲む。
フロレンスは酒瓶に手を伸ばしかけ、止めた。
「まず確認したいんだけどね」
ユーリイを見る。
「ラローザの色街の麻薬蔓延を解決したのって、あんただろ?」
「いや、あれは国の捜査機関がやったことだ」
「あんた、私をなめているのかい?」
「……」
「そんな表向きの話なんか信じている奴なんて、この町じゃいないよ」
フロレンスが椅子に深く腰掛ける。
「この国じゃ、なんもできないって思われている男が夜の街を徘徊し、誰にも尻尾を掴ませなかった麻薬組織を壊滅させた」
口の端を上げる。
「夜の歌い手が諳んじる英雄より、あたし達には通っている話さ」
「買いかぶりだ」
「そうかい?」
フロレンスはユーリイを上から下まで眺めた。
「それより、あんたいい顔してるね」
「?」
「うちの一家全体の男にならないか」
タッカーが横を向いた。
肩が震えている。
ユーリイは小さく息を吐いた。
「光栄だが、俺はこういう奴だからな」
袖を捲る。
右腕。
十桁の数字。
そして、それを横切る一本の線。
フロレンスの笑みが消えた。
「不能者の証の横線かい」
「そうだ」
「噂は本当だったんだね」
少しだけ間を置く。
「気を悪くしたんなら謝るよ」
「いや、いい」
ユーリイが袖を戻す。
「でもね」
フロレンスは頬杖をついた。
「女が男を求めるのは、生殖能力だけじゃない」
「……」
「癒しや潤いって奴が必要なんだよ。特にあたしたちみたいな賭場の女はね」
「そういうもんか」
「そういうもんさ」
そして笑う。
「とは言っても、ラローザのところで飼われているような、なよなよした男には用がないけどね」
「ラローザが聞いたら怒るぞ」
「言わせときな」
フロレンスが鼻で笑った。
「私たちみたいな女はね、荒っぽさは勿論だけど、芯の通った男が好きなんだよ」
指を一本立てる。
「仲間を裏切らない」
もう一本。
「どんなことがあっても見捨てない」
そしてユーリイを指差す。
「色気があれば、なおいい」
「買いかぶりすぎだ」
「私は、そういう勘だけはいいんだ」
フロレンスが笑った。
「だからこの商売で生き残ってる」
タッカーが呟く。
「こいつ、猫一匹のために城へ殴り込むような奴だけどな」
「殴り込んでねえ」
「猫?」
「何でもない」
「面白そうじゃないか」
「本題に入ってくれ」
「はいはい」
フロレンスは机の上へ二冊の帳面を置いた。
「頼みたいことは二つある」
一冊目を開く。
「まずは、歌姫の籠」
王国が後援する音楽コンクール。
数多くの歌い手の中から、最も優れた歌姫を選ぶ。
籠の中にいた鳥が、才能という翼を広げ、大空へ飛び立つ。
そんな願いを込めて始められた大会だった。
「昔はね、本当にいい大会だったらしいよ」
フロレンスが言う。
「歌が上手い奴が評価される。貴族の娘だろうが、酒場の歌い手だろうが関係ない」
「今は違うのか」
「違うね」
いつからか、審査員が固定された。
特定の有力貴族が囲う歌い手ばかりが上位に並ぶようになった。
そして近年では、
優勝者まで、ほぼ順番で決まっている。
「露骨だな」
「嫌な大人の世界さ」
フロレンスは肩を竦めた。
「私も何度か文句を言った。でも悲しいかな、所詮は盛り場の顔役程度さ。聞いてくれる奴なんていやしない」
だが、今年。
事前の打ち合わせに、一人の女が現れた。
国王代理。
国務大臣。
イレーヌ・ブーブ伯爵。
代理人ばかりが並ぶ席へ、本人がやって来た。
そこでフロレンスは、以前から考えていた案を口にした。
審査員だけではなく、
会場にいる観客にも投票させる。
「伯爵は?」
「面白いってさ」
フロレンスが笑う。
「公平性を保つ意味でも、試してみる価値があるって」
「へえ」
「おかげで今回、試験的に導入されることになった」
もっとも、観客投票になれば全てが公正になるわけではない。
票を買う者も出る。
人を集める者もいる。
新しい仕組みには、新しい抜け道が生まれる。
「だから、何人か信用できる奴に声をかけてる。あんた達にも少し目を配ってもらいたい」
「それが一件目か」
「ああ」
フロレンスがもう一冊の帳面へ手を置く。
「でも、こっちが本命だ」
帳面を開いた。
そこには名前と数字が並んでいた。
「剣の乙女トーナメント」
王国各地から剣士が集まる武術大会。
騎士。
傭兵。
道場剣士。
出自を問わず、剣の腕を競う。
そして当然、
賭場では大きな金が動く。
「ここ数年、妙なことが起きてる」
フロレンスが何人かの名前を指で叩いた。
「優勝候補でもない。上位候補ですらない女が、突然勝ち上がって優勝を掻っ攫う」
「番狂わせなんて珍しくないだろ」
「一度ならね」
彼女たちには共通点があった。
所属していた騎士団や傭兵団でも、三本の指に入るほどではない。
五番手。
六番手。
強いことは強い。
だが、それ以上にはなれない。
長年そう評価されてきた剣士たちだった。
それが大会で突然覚醒する。
そして優勝。
「それだけなら、いい話なんだけどね」
フロレンスが次の頁を開く。
「翌年、誰一人として出てこない」
「誰も?」
「一人もだ」
所属していた騎士団や傭兵団も辞めていた。
王国大会の優勝者。
その肩書きがあれば、現役を退いても道場を開ける。
貴族家の指南役として招かれることもある。
だが、
誰一人としてそうしていない。
身体を壊し、実家へ戻った者。
人前へ出なくなった者。
まともな生活すら送れなくなった者。
「……妙だな」
ユーリイが帳面を見る。
「ああ」
フロレンスが別の頁を開いた。
数字。
賭け金。
倍率。
「それだけじゃない」
「?」
「おかしな年にはね、決まって予選の頃から、その女に妙な金が入る」
タッカーが帳面を覗き込む。
「優勝候補じゃないんだろ?」
「だから妙なのさ」
フロレンスの指が数字の列をなぞる。
「一人が馬鹿みたいな額を賭けるわけじゃない。小さく、細かく、あちこちから入ってくる」
「目立たないように?」
「そう見える」
ユーリイが顔を上げた。
「つまり、誰かが――」
「ああ」
フロレンスの顔から笑みが消えた。
「勝つ前から、勝つことを知っている」
部屋が静かになった。
外から聞こえる賭場の喧騒だけが、遠く響いている。
ユーリイが帳面を閉じた。
「今年もいるのか?」
「いる」
フロレンスが答える。
「だから、あんたに頼みたい」




