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遺伝子の小さな箱庭  作者: 妙義 豊


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美女捜索

ピピピ! チーチー! チュンチュン!


夜通し降っていた雨がやんで、すっかり晴れたようだ。


木窓の隙間から部屋に日が差し込んでいる。


まだ少しぼやけた頭を振って眠気を覚ます。


少し長い夢を見ていたようだ。


朝食をとり、身支度をしてタッカーのパン屋に向かう。


店の扉を開けると、焼きたてのパンの匂いが鼻をくすぐった。


「おう、来たか」


奥からタッカーが顔を出す。


「今日は手伝いか?」


「そのつもりだけど」


「残念だったな」


「なんだよ」


タッカーがにやりと笑う。


「今回はなんと美女の捜索だぞ」


「ほう、俺はお前から美女と聞いていい思い出がないんだが」


「そう言うなって、まずは見てみろよ」


タッカーから手渡された依頼書を見る。


「…………」


そこには、なんか得体のしれないカラフルな物体が描かれていた。


丸い何か。


三角の何か。


そこから何本かの線が伸びている。


一本だけ妙に長い。


生き物と言われれば、生き物に見えなくもない。


「美女?」


「美女」


「…………」


もう一度見る。


やっぱり分からない。


「で、これなに?」


「エリザベスちゃん、四歳」


今一度依頼書を見る。


「……美女?」


「正確には美猫だ」


「断る」


依頼書をタッカーへ突き返す。


「そう言うなよ。既に依頼料貰ってるんだからよ」


「勝手に受けるなよ」


「何でも屋だろ?」


「だからって猫まで探すのかよ」


「何でも屋なんだから猫くらい探せよ」


「依頼者は?」


「ナージャ・ペトロフ」


「ナージャ? 聞いたことあるな」


「ここの大家だよ」


「ああ、大家か」


ユーリイは依頼書を取り返した。


もう一度、そこに描かれた何かを見る。


「あてはあるのか?」


「ない、なので頑張ってくれ」


「お前も手伝うんよな?」


「パン屋に何させようとしているんだ? 俺ができるのはお前のために仕事とってきて、後は応援するくらいだ」


「…………」


頭をぼりぼり掻く。


「仕方がねーな」


「そうこなくっちゃな」


依頼書を折り畳もうとして、手を止める。


「で、これ描いたの誰だ?」


「俺だ」


「…………」


「大家も結構似てるって言ってたぞ」


ユーリイは何も言わず、依頼書を懐へしまった。


ナージャ・ペトロフは、パン屋の二階に住んでいた。


歳は五十を少し越えたくらいだろうか。


四人の姉妹と一緒に暮らしている。


娘たちは次期ハースの長女を除いて、全て外に働きに出ている。


ナージャは白いものが混じった髪を後ろで束ね、小さな眼鏡を掛けている。


「シーゲルさんですね」


「ああ。タッカーから話を聞いた」


「猫一匹のことで、すみませんねぇ」


「仕事だから気にしなくていい。それより、エリザベスのことを教えてくれ」


「はい」


ナージャはユーリイを部屋へ招き入れた。


「エリザベスはね、娘の猫だったの」


「娘さんの?」


「ええ」


部屋の壁に、軍服姿の若い女性の似顔絵が飾られている。


「ソフィアっていうの。末の妹が産んだ娘でね」


「軍人なのか」


「ええ。小さい頃から困っている人を見ると放っておけない子でね」


ナージャは似顔絵を見た。


「エリザベスも、あの子が拾ってきたのよ」


「どこで?」


「町外れの路地裏。もう三年くらい前になるかしら」


少し考える。


「雷の鳴る雨の日だったわ」


「雨の日?」


「ええ。まだ本当に小さな子猫でね。泥だらけで、死にかけていたわ」


ナージャは懐かしそうに笑った。


「ソフィアったら、その子を抱えて町中のお医者さんを駆け回ってね」


「猫を診てもらうために?」


「そう。でも、どこへ行っても断られたみたい」


「それで?」


「最後に行った小さな治療院で診てもらえたの。それで助かったのよ」


「そうか」


ユーリイは部屋を見回した。


窓辺には小さな敷物。


その横には、猫が使っていたらしい皿。


「いつから帰ってない?」


「三日前から」


「普段は外に出るのか?」


「ええ。でも、夕方には必ず帰ってきたわ」


「よく行く場所は?」


「ソフィアの部屋かしら。あとは、あの子と一緒によく縁側で日向ぼっこしていたわね」


「他には?」


「近所に猫が集まる場所があるの。エリザベスもよくそこへ行ってたみたい」


ユーリイは頷いた。


「分かった。探してみる」


「あの……」


「ん?」


ナージャは少し俯いた。


「あの子が大切にしていた子なの」


「…………」


「何とか、探してちょうだい」


「分かった」


ユーリイは立ち上がった。


「娘さんにも聞いてみたいんだけど、どこにいる?」


ナージャの表情が止まった。


「死にました」


「……それは」


「先日の大雨で、土砂崩れがあったでしょう?」


「ああ」


「軍の救助隊として行っていたの」


ナージャは壁の似顔絵を見る。


「まだ埋まっている子供がいるって」


「…………」


「救助作業中に、もう一度崩れて……」


それ以上、ナージャは言わなかった。


ユーリイも聞かなかった。


「……分かった」


扉へ向かう。


「あの子が大切にしていた子を、お願いします」


「ああ」


ユーリイは部屋を出た。


まず、ソフィアについて確かめることにした。


向かったのは、以前から顔を知っている軍曹のところだった。


「ソフィア・ペトロフ?」


「ああ。先日の土砂崩れで亡くなったと聞いた」


軍曹は少し考えた。


「はい、ペトロフ一等兵ですね」


机の上に置かれた書類を確認する。


「ソフィア・ペトロフ一等兵。聞いていた通り、先日起こったダトロッコ渓谷の土砂崩れの二次災害で死亡しています」


「そうか」


「発生から七十二時間後でした。巻き込まれた二家族のうち、子供が三人まだ見つかっていなかったんです」


軍曹の表情が曇る。


「その捜索中に二次崩落が起きました。彼女は同僚のカテリーナ・イワノフ一等兵と一緒に帰らぬ人となりました」


「ダトロッコ渓谷……」


「あそこは、ここから見えるマムール山脈に向かう途中にある渓谷の一つです。ここからですと、大体二十キロくらいでしょうか」


ユーリイは少し考えた。


「分かった。ありがとう」


「いえ、お役に立てて光栄です」


軍曹は姿勢を正し、


ユーリイに敬礼した。


ユーリイは軽く手を上げ、その場を後にした。


外へ出ると、遠くにマムール山脈が見えた。


その手前。


二十キロ。


ユーリイはしばらく山の方角を見ていた。


「……ダトロッコ渓谷ではないな」


猫がソフィアの死んだ場所を知っているはずがない。


それに二十キロは遠すぎる。


ユーリイは町へ戻った。


まず、ソフィアの部屋。


ベッドの下。


机の下。


棚の隙間。


窓の外。


いない。


次に、ソフィアとエリザベスがよく日向ぼっこをしていたという縁側。


いない。


近所を歩く。


魚屋。


肉屋。


路地。


屋根。


何人かに聞いてみたが、ここ数日は見ていないという。


猫が何匹も集まるという空き地にも行った。


五匹。


いや、六匹。


突然現れた男を警戒するように、こちらを見ている。


その中に三毛猫もいた。


ユーリイは依頼書を取り出した。


猫を見る。


絵を見る。


「…………」


もう一度、猫を見る。


「これじゃ分からねえな……」


一匹が、にゃあと鳴いた。


結局、その中にもエリザベスはいなかった。


町外れへ向かう。


三年前、ソフィアがエリザベスを拾ったという路地裏。


古い家々の間にある狭い路地。


積まれた木箱。


壊れた樽。


壁と壁の間。


一つずつ確認する。


「エリザベス」


返事はない。


奥まで入る。


「エリザベス」


いない。


拾われた場所にも、


エリザベスはいなかった。


それから数日。


ユーリイは時間を見つけては町を歩いた。


エリザベスが行きそうな場所。


猫が隠れそうな場所。


餌をもらえそうな場所。


似た猫を見たという話を聞けば、そこへ行く。


だが、


見つからない。


その日は朝から空が暗かった。


昼を過ぎた頃には、大粒の雨が落ち始めた。


やがて雨脚は強くなった。


屋根を叩く音。


道を流れる水。


空が光る。


少し遅れて、


ゴロゴロゴロ――


雷が鳴った。


ユーリイは構わず町を歩いた。


軒下。


路地。


物置。


空き家。


猫が入り込めそうな場所を、一つずつ見て回る。


「エリザベス!」


雨音に声が消える。


「エリザベス!」


返事はない。


日が傾く頃には、服から水が滴っていた。


髪も顔もずぶ濡れ。


靴の中まで水が入っている。


それでも、


見つからなかった。


ユーリイはパン屋へ戻った。


そのまま二階へ上がる。


扉を叩く。


「はい」


ナージャが扉を開けた。


そして、


目の前に立つユーリイを見て目を丸くする。


「まあ!」


「すまない」


「そんなに濡れて」


「今日も見つからなかった」


ナージャは首を振った。


「いいのよ」


「でも」


「そんなに濡れてまで探してくれたんでしょう?」


ナージャは少し笑った。


「まず身体を拭きなさい。風邪を引くわよ」


「俺は大丈夫だ」


「若いからって、そんなこと言って」


ナージャはユーリイを見ながら、ふと目を細めた。


「そういえば……」


「ん?」


「ソフィアがエリザベスを拾ってきた時も、今のあなたみたいだったわね」


「俺みたい?」


「ええ」


ナージャが懐かしそうに笑う。


「頭から足の先まで、びしょ濡れで」


「…………」


「泥だらけの小さなエリザベスを抱えて帰ってきたの」


ゴロゴロゴロ――


外で雷が鳴った。


ユーリイは動きを止めた。


――雷の鳴る雨の日だったわ。


最初に聞いたナージャの言葉。


町外れの路地裏。


三年前。


雷。


雨。


「…………」


ユーリイが窓を見る。


雨は降り続いている。


空が光った。


「ナージャ」


「なに?」


「もう一度行ってくる」


「え?」


ユーリイは扉へ向かった。


「ちょっと、シーゲルさん!」


扉を開ける。


「そんな格好でどこへ――」


「確かめたいことがある」


階段を駆け下りる。


外へ飛び出した。


激しい雨。


雷。


ユーリイは走った。


町外れ。


何度も歩いた道。


雨水を蹴り上げながら走る。


細い路地へ入った。


「エリザベス!」


雨音。


返事はない。


奥へ進む。


「エリザベス!」


木箱。


樽。


壁際。


数日前と同じ場所。


だが、


一番奥。


木箱と壁の隙間。


何かがいた。


「…………」


ユーリイは駆け寄った。


泥だらけの三毛猫。


濡れた毛が身体に張り付いている。


身体はすっかり痩せ細っていた。


「おい」


反応がない。


しゃがみ込み、そっと触れる。


冷たい。


「おい!」


抱き上げる。


軽い。


あまりにも軽い。


胸に手を当てる。


僅かに、


動いている。


「……生きてる」


ユーリイは懐から依頼書を取り出した。


雨に濡れないよう身体で庇いながら開く。


得体のしれないカラフルな物体。


腕の中の三毛猫。


絵。


猫。


「…………」


意外と似ていた。


「タッカーの奴……」


依頼書を懐へ戻す。


小さな身体を胸元へ抱き寄せる。


エリザベスの瞼が、


ほんの僅かに動いた。


「エリザベス」


返事はない。


ユーリイは立ち上がった。


そして、


再び雨の中を走り出した。


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