我が騎士
王国には、古くから少女たちに親しまれている一冊の物語がある。
『忠義の盾』
騎士や兵士に憧れる少女たちなら、一度は読んだことがあると言われるほど有名な物語だった。
一人の少女が
仕えるべき王女と出会い
その傍らで成長し
やがて一人の騎士となる。
少女は王女の盾となり
幾度となくその危機を救った。
そして最後には
王女の命を守るため
自らの命を落とす。
大切な騎士を失った王女は
その死を乗り越え
やがて真の王となり
国を強国へと導いていく。
物語のクライマックス。
傷ついた騎士が
最後まで王女の前に立ち続ける場面に
多くの少女が涙した。
完全な作り話ではない。
長い王国の歴史の中で実際に起きた事件を元に
物語として書き直されたものだった。
登場人物にも
それぞれ実在した人物がいる。
ネメシス・ペルサキスも
かつてはそんな物語に憧れた少女の一人だった。
貴族の娘ではない。
名門の出でもない。
それでも優秀だったネメシスは
王立士官学校への入学を果たした。
そしてそこで
一人の少女と出会った。
イオネ・アデス。
後の
アバディーン・アンガス王国第十九代国王。
だが
この頃のイオネは
王太子ですらなかった。
十三人姉妹の一人。
いずれ王家を離れ
どこかへ降下するはずの
一人の王女に過ぎなかった。
「子供っぽいと言われるだろうけど、私は『忠義の盾』が好きでね」
まだ若いネメシスが笑う。
「それで、子供の頃から棒を持って騎士の真似事なんてしていた。憧れだったよ」
「君みたいな無礼な子は、騎士になんてなれないんじゃないか?」
クラリス・ヴァイスフェルトが呆れたように言った。
後に王国宰相となる少女も
この頃はまだ一人の学生だった。
「学校内とはいえ、いきなり殿下に近付くなんて。間者か何かと思ったぞ」
「本当にそうよ」
別の少女も口を挟む。
「私たちなんて子供の頃からお仕えして、やっと普通にお話しできるようになったっていうのに。少し悔しかったわ」
「はは、悪いね」
ネメシスは悪びれる様子もなく笑った。
そして
隣にいる王女を見る。
「でも、私はそれで仕えるべき主と出会った」
「はっ?」
イオネが目を丸くした。
「我か?」
「もちろん」
「勝手に決めるな」
「もう決めた」
「お前な……」
イオネは眉間を押さえた。
「それに、我を庇って死ぬような部下ならいらんぞ」
『忠義の盾』
最後まで主を守り
そのために命を落とした騎士。
ネメシスは少し笑った。
「死なないから安心してくれ」
そして
何でもないことのように言った。
「私は、イオネ殿下が年老いて死ぬ間際まで側にいる」
イオネがネメシスを見る。
「……長いぞ」
「望むところだ」
「なら」
クラリスが口を開いた。
「私もその道を同行しようか」
「クラリス、お前まで」
イオネは大きく息を吐いた。
「私は降下して、ひっそりと田舎に引きこもるつもりだぞ」
二人を見る。
「軍で成り上がるか、もっといい主君を探せ」
「嫌だね」
ネメシスは即答した。
「私が決めることだ」
「私も同意見だ」
クラリスも続く。
「お前たちは……」
呆れたような声。
それを聞いて
二人は笑った。
遠い昔。
まだ誰も
イオネ・アデスが女王になるなどとは思っていなかった頃の話だった。
「我々の師である、ネメシス・ペルサキス大佐の名誉の回復を願います」
その名が
謁見の間に響いた。
クラリスの目が大きく見開かれた。
「なっ……それは――」
「よい」
低い声が遮った。
クラリスが口を閉じる。
イオネは玉座から
目の前に跪く男を見つめていた。
「ネメシス……」
小さく
その名を口にする。
何年ぶりに
自分の口からその名を呼んだだろう。
「我の前で、その名を出すことの意味が分かっておるのか?」
ユーリイは頭を下げたまま答えた。
「はい」
「ネメシス・ペルサキスは、我の不興を買った者だ」
「承知しております」
「ならば、なぜ願う」
ユーリイは僅かに顔を上げた。
「教官が陛下の不興を買い、新兵練兵所の校長になったことは聞いております」
言葉を選ぶ。
それでも
言わなければならない。
「ですが、教官は常に我々に言っていました」
イオネは黙っている。
「『お前たちの命は女王陛下のものだ』と」
クラリスが僅かに目を伏せた。
「そして」
ユーリイは続ける。
「『だから、簡単に捨てるな』とも」
静かだった。
誰も
声を発しない。
「我々は捨て石隊です」
「死ぬことを前提に使われる兵でした」
「それでも教官は、生きろと教えてくれました」
「考えろ」
「生き残る方法を探せ」
「最後まで諦めるなと」
ユーリイは一度
息を吸った。
「メローペ殿下がお戻りになれたのも」
右の壁際に立つメローペへ
一瞬だけ視線を向ける。
「私たちがここまで生きて帰れたのも」
再び
女王を見る。
「全て、あの人の教えがあったからです」
沈黙。
イオネは何も言わなかった。
しばらく
ユーリイを見つめている。
やがて
ゆっくりと口を開いた。
「……あい分かった」
一拍。
「その件は、一旦置いておく」
ユーリイの表情が僅かに曇る。
だが
イオネはそれ以上何も言わず
その隣へ視線を移した。
「そちは何を望む」
ミークニー・ザッカー。
突然自分へ向けられた言葉に
僅かに身体を強張らせる。
顔を上げる。
一瞬
躊躇った。
「私は……」
隣にいるユーリイを見る。
そして
前を向いた。
「同じく、ネメシス教官の名誉回復を願います」
イオネの眉が
僅かに動いた。
次を見る。
「そちは」
「自分も同じものを」
タッカーだった。
「ネメシス教官の名誉回復をお願いします」
次。
「私もです」
次。
「自分も」
次。
また
同じ名。
金を望む者はいなかった。
土地を望む者も。
宝石を望む者も。
自らのために
何かを求める者はいなかった。
一人。
また一人。
同じ願いが
謁見の間に積み重なっていく。
イオネは
その一人一人の顔を見ていた。
――死なないから安心してくれ。
遠い昔の声。
――私は、イオネ殿下が年老いて死ぬ間際まで側にいる。
忘れたことなどなかった。
あの日
何の遠慮もなく自分の前へ現れた
無礼な少女。
勝手に主君と決め
勝手に側にいると宣言した。
その後
本当に側にいた。
戦場でも。
王宮でも。
自分が王太子になった後も。
女王になった後も。
そして
いなくなった。
「次」
クラリスの声が響く。
最後の一人。
マース・ハナーキが顔を上げた。
緊張しているのか
口が僅かに震えている。
それでも
言った。
「わっ、私も……」
一度
言葉に詰まる。
「ネメシス教官の名誉回復を願います!」
十一人。
全員だった。
イオネは
何も言わない。
――私は、イオネ殿下が年老いて死ぬ間際まで側にいる。
「……馬鹿者め」
小さな声だった。
クラリスだけが
玉座を見る。
「陛下……」
イオネは目を閉じた。
約束を破りおって。
自分より先に
死におって。
そして
こんなものを
残していきおって。
ゆっくりと目を開く。
そこには
十一人の男たちがいた。
かつて
ネメシスが生きろと教えた者たち。
その十一人が
今
自分の娘を連れて
ここへ帰ってきた。
「そちらの言うことは分かった」
イオネの声が
謁見の間に響く。
十一人が顔を上げる。
「しかし」
一拍。
「それを願いとして聞くわけにはいかぬ」
男たちの顔に
僅かな動揺が走った。
ユーリイも
言葉を失う。
拒絶された。
そう思った。
だが
「忠臣の名誉を正すことは、我がするべきこと」
イオネは
真っ直ぐ前を見ていた。
「そちらへの褒美で、なされるべきことではない」
クラリスが
静かに頭を下げる。
イオネは立ち上がった。
謁見の間にいた者たちの視線が
玉座へ集まる。
「我が騎士」
その言葉に
クラリスが顔を上げた。
「ネメシス・ペルサキスの名誉を回復する」
誰も動かない。
「その階級を少将とし」
一拍。
「子爵位を授ける」
静寂。
イオネは
十一人を見渡した。
「これを、アバディーン・アンガス王国第十九代国王、イオネ・アデスの名において命ずる」
クラリスが
深く頭を下げた。
「御意」
そして
十一人へ向き直る。
「貴殿らの願いについては、追って改めて聞くこととする」
ユーリイが顔を上げた。
「しかし――」
クラリスは
僅かに表情を緩めた。
「陛下のお言葉を聞いていなかったのか?」
ユーリイは口を閉じる。
忠臣の名誉回復は
褒美ではない。
だから
彼らはまだ
何も願っていない。
「本日のところは下がりなさい」
十一人は
深く頭を下げた。
「はっ!」
その声が
謁見の間に響いた。




