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遺伝子の小さな箱庭  作者: 妙義 豊


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夕餉

ナストロンドを出発してから


ユーリイ達は順調に歩みを進めていた


あまりにも順調だった


森は深い


足元には木の根が這い

時折、倒木が行く手を塞ぐ


急な斜面もあれば

迂回しなければならない場所もある


それでも


歩けば前へ進む


それだけのことが

以前の彼らには許されなかった


「ちょっと待って!待ってくださいっす」


リナが声を上げた


全員が足を止める


リナは道から少し外れた一本の木へ近づいていった


「ここ、覚えてるっす」


太い幹に手を当てる


「ほら、ここに銃痕あるでしょ?」


指差した先には

樹皮が抉れた痕がいくつも残っていた


「私、この木の裏に隠れて敵兵の攻撃受けたんすよ」


何人かが木を見上げる


「ああ……ここか」


「覚えてるっすか?」


「ああ、覚えてる。あの時は酷かったな」


「本当っすよ。顔を出したら撃たれるし、逃げようにも後ろにも敵がいるし」


リナはそう言って笑った


今は


銃声一つ聞こえない


木々の間から敵兵が現れることもない


「じゃ、行きましょうか」


再び歩き始める


その場所を通り過ぎるのに

数分もかからなかった


それからしばらくして


今度は別の者が

大きな岩を指差した


「あれ、見覚えないか?」


「……あるな」


「ここで一晩動けなくなった場所じゃないか?」


「ああ」


往路では


敵の存在に行く手を阻まれ

僅かな距離を進むだけで日が暮れた


負傷者を抱え

周囲を警戒し


次にどこから襲われるかも分からないまま

夜を迎えた


今は何もない


ただ


森があるだけだった


同じ木々


同じ岩


同じ斜面


戦いの痕跡さえ

そのまま残っている


なのに


何も起こらない


「……凄いな」


誰かが呟いた


何が凄いのか


説明する必要はなかった


ナストロンドの防衛機構


それが止まっている


かつて彼らを苦しめた森は


今はただの森になっていた


日が傾き始める頃


一行は野営に適した場所を見つけた


周囲を確認し

警戒する者を残して準備を始める


簡易な天幕が張られ


薪が集められ


火が起こされた


その火の前で


タッカーが大きな鍋を覗き込んでいた


「おい、それ全部入れるのか?」


横から覗いたユーリイが言った


「全部じゃねえよ」


タッカーは答えながら

切った芋を鍋へ放り込む


「せっかく貰ったんだ。王国に着く前にたっぷり食おうぜ」


「随分豪勢だな」


「今まで散々ひでえもん食ってきたんだ。帰りくらいいいだろ」


「それもそうだな」


「ちょっと」


声がして


二人が振り返る


リュシエンヌが

食材の置かれた袋を見ていた


「ちゃんと種イモや、種子は確保してよね」


「少尉、大丈夫ですよ」


タッカーは答えた


「貰った食材は一週間分以上あります。それに、今日だけで全体の四分の一は進んだと思いますよ」


リュシエンヌがタッカーを見る


「分かるの?」


「絶対とは言いませんがね」


タッカーは鍋を混ぜる手を止めた


そして


空を見上げた


「今日は星がよく見える」


そこにいた者達が


つられるように空を見上げた


木々の切れ間から


星空が見える


「あそこに見えるのが北天星です。北を指し示す星と言われています。」


ユーリイが言った


何人かが

その指の先を見る


「どれ?」


「あそこです」


「一番明るいの?」


「その少し右です」


「……分からないわ」


「まあ、北天星そのものはともかく」


ユーリイは空を見上げたまま続ける


「方角はほぼ合っています。それと、今日歩いた時間と速度、途中で通った川と尾根を、持ってきた地図の写しと照らし合わせると……」


少し考える


「今日は十二キロ前後進んだと思います」


「十二キロ?」


リュシエンヌが聞き返した


「はい。不帰の樹海をおよそ半径三十キロと考えれば、ナストロンドから樹海の辺縁までの四分の一程度は進んだと考えていいと思います」


しばしの沈黙


何人かは頷いていた


そして


何人かは


明らかに途中から分かっていなかった


「……つまり?」


誰かが聞いた


タッカーが鍋を混ぜながら答えた


「俺の言った通り、今日はかなり進んだってことですよ」


「ああ」


「そういうことか」


「最初からそう言ってよ」


「自分はそう言いましたよ」


笑い声が上がった


ユーリイは少し呆れた顔をしていたが


やがて自分も笑った


「よし」


タッカーが鍋の中を覗く


一口味を確かめ


頷いた


「できたぞ」


その声で


皆が集まってきた


器が配られ


湯気の立つ料理が注がれていく


二十五人分


一つの鍋から


順番に


「これ、ナストロンドで食べた芋っすか?」


「だよ」


「味が違う気がするっす」


「そりゃ作ってる奴が違うからな」


「不味いとは言ってないっすよ」


「ならいい」


「美味しいっす」


「だろ?」


タッカーが嬉しそうに笑う


「これ、王国でも作れるのかな」


「そのために持って帰るんでしょう?」


「貰った芋、つまみ食いしちゃだめよ」


「食わないって」


「さっき見てたじゃない」


「見ただけだよ」


「怪しい」


「何でだよ」


あちこちで


そんな会話が続いていた


ミークニーは

器の中の芋を見つめていた


一口食べ


何かを考える


「この作物は――」


「ザッカー軍曹」


声をかけられる


「何だい?」


「飯の時くらい、難しい話は無しにしません?」


「僕はまだ何も言ってないよ」


「今から言う顔してました」


「……そんな顔があるのかい?」


「あります」


周囲から笑い声が上がる


ミークニーも


仕方なさそうに笑った


少し離れた場所では


別の者達が

ナストロンドで食べた料理の話をしている


あれが美味かった


いや


こっちの方が良かった


王国に帰ったら作れないだろうか


あの調味料はどうやって作るんだ


そんな話が


火を囲んだあちこちから聞こえてくる


王女も


近衛も


クレール達も


そして


かつて不能者と呼ばれた者達も


同じ火を囲み


同じ鍋から食べていた


誰かが笑う


誰かが器を差し出す


タッカーが


「まだあるぞ」


と言って


そこへ料理をよそう


食料は十分にある


道程も順調だった


今日一日


誰も傷つかなかった


誰も


欠けなかった


二十五人の声が


夜の森に響いていた


そのまま夜は更けていった


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