別れ
ナストロンドを出発したのは
まだ朝の早い時間だった
帰還する者達は
いつもより大きく膨らんだ荷物を背負っていた
食料
水
武器
着替え
それだけなら
ここへ来た時と大きくは変わらない
だが今は
それ以外の物があまりにも多い
ナストロンドで手に入れた物
村の者達から譲り受けた物
これから王国で育てるための種
そして
ここで学んだ知識を書き留めた
大量の資料
「……重い。」
誰かが呟いた
「だから減らせと言っただろ。」
「どれも必要なんです。」
ミークニーが答える
「お前、帰るまでにその台詞何回言うつもりだ。」
「必要なものは必要なんですよ。」
「そうかよ。」
呆れた声が返る
その少し離れた場所では
ジゼルも大きな荷物を背負っている
結局
最後まで資料を減らし切ることは出来なかったらしい
エリスが
その荷物を見て小さく息を吐いた
「中尉。」
「何?」
「結局、それだけ持っていくんですね。」
「減らしたわ。」
「……そうですか。」
「減らしたのよ。」
「はい。」
それ以上
エリスは何も言わなかった
ジゼルも
何も言わなかった
ナストロンドを出て
一行は森の中を進んだ
先頭を歩くのは
エンロ達だった
ナストロンドを中心として
およそ三キロ
防衛システム
レベル1の範囲
ここだけは
隠蔽効果を解除することが出来ない
そのため
エンロをはじめとする何人かの村人が
外縁まで案内することになっていた
三キロ
平地ならば
大した距離ではない
だが
ここは道のない森だった
太い木の根を越え
密生した草木を避け
時には大きく迂回する
背中には
普段よりも重い荷物がある
それでも
エンロ達が迷うことはなかった
何度も歩いてきた場所なのだろう
王国の者達は
その後ろを付いていく
そして
数時間が過ぎた頃
エンロが足を止めた
「ここだ。」
ユーリイ達も立ち止まる
見たところ
何か特別なものがある訳ではない
同じような木々が続いているだけだった
だが
エンロはその先を指した
「ここから先は、レベル1の外側になる。」
そして
振り返る
「私達が付き合えるのは、ここまでだ。」
その言葉で
一行の空気が少し変わった
ここを越えれば
本当に帰路が始まる
エンロは
ユーリイだけではなく
その後ろにいる全員を見た
「もう一度だけ聞くね。」
少しだけ笑う
「君達は、私達と一緒に生きないかい?」
誰も
すぐには答えなかった
ユーリイは
一度だけ後ろを振り返った
その答えは
既に聞いていた
一日前
ナストロンド
「一つ、確認しておきたい。」
ユーリイの声に
集まっていた男達が顔を上げた
出発を翌日に控え
それぞれが荷物の整理をしていた
「王女殿下からも了承は頂いている。」
ユーリイは全員を見る
「ここに残りたい者がいたら、残ってもいい。」
何人かが顔を見合わせる
「ここに残ったことで」
「任務放棄や逃亡として処罰することは求めないと、王女殿下から言質も頂いている。」
「だから」
一度
言葉を止める
「残りたい奴がいるなら、今が最後だ。」
「無理に俺達と一緒に帰る必要はない。」
少しの沈黙があった
最初に口を開いたのは
モーリス・マスだった
「確かに、ここはいい所だ。」
周囲を見る
「飯はある。」
「寝る場所もある。」
「俺達を不能者扱いする奴もいない。」
「ここに残れば」
少しだけ笑う
「多分、王国にいた頃より楽に暮らせるんだろうな。」
「ああ。」
アン・ピノーが頷いた
「だが、なあ。」
モーリスを見る
「ああ。」
二人が笑う
「やっぱ俺達が帰るのはな。」
最後まで言う必要はなかった
「聞くまでもないだろ。」
ヨシーカが言った
隣にいたヤースも
ほとんど同時に口を開く
「俺もだ。」
「そういうことだ。」
タッカーも続いた
ユーリイが他の者達を見る
誰も
残るとは言わない
その中で
ミトゥが鼻を鳴らした
「大体よ。」
皆がミトゥを見る
「俺達が付いていかなきゃ」
口元を歪める
「王女様達、のたれ死んじまうぜ。」
一瞬
部屋が静かになった
ミークニーが呆れた顔をする
「こらこら。不敬ですよ。」
「本当のことだろ。」
「そういう問題ではありません。」
「本人の前じゃ言わねえよ。」
「当たり前です。」
誰かが吹き出した
それをきっかけに
笑いが広がる
「ははは!」
「違いねえ。」
「じゃあ殿下の前で言ってみろよ。」
「嫌だよ!」
「何でだよ。」
「撃たれたくねえ。」
「だから不敬だと言っているでしょう!」
また笑いが起きた
ユーリイも
小さく笑う
以前なら
こんな冗談すら出なかった
王女と近衛
正規軍の士官
そして
不能部隊
本来なら
気軽に言葉を交わすような間柄ではない
それは今も
大きく変わった訳ではなかった
それでも
樹海を歩き
共に戦い
同じ場所で暮らした時間は
ほんの少しだけ
互いの距離を変えていた
やがて
笑い声が収まる
ユーリイは
もう一度全員を見た
「分かった。」
小さく頷く
「じゃあ」
「一緒に帰ろう。」
「ああ。」
誰かが答えた
続いて
いくつもの声が重なった
ユーリイは
前へ向き直った
目の前には
エンロがいる
「ここまでやってくれて」
「ナストロンドの皆には、本当に感謝している。」
エンロは黙って聞いていた
「ここが嫌だから帰るんじゃない。」
「むしろ」
ユーリイは少しだけ笑う
「居心地が良すぎるくらいだ。」
「でも」
一度
仲間達を見る
「俺達は、このまま王国に帰る。」
エンロは
ユーリイの後ろにいる者達を見渡した
誰も
その言葉を否定しない
やがて
小さく頷いた
「そうか。」
そして
穏やかに笑う
「君達の選んだ未来に幸あれ、だね。」
「ああ。」
エンロは
今度は森の先へ目を向けた
「では、最後にもう一度確認しておこう。」
皆の表情が引き締まる
「レベル2とレベル3の隠蔽効果は、今朝から解除している。」
「解除していられるのは十日間。」
「今日も含めて、まだ十分時間はある。」
森の奥を指す
「この方角へ真っ直ぐ進んでくれ。」
「普通なら」
「十日も必要な距離じゃない。」
「だけど」
エンロは
一行の荷物を見る
「君達は随分と荷物が増えた。」
何人かの視線が
ミークニーとジゼルへ向いた
「……。」
「……。」
二人とも何も言わない
「それに」
エンロは周囲の木々へ目を向ける
「ここは君達の国では『帰らずの樹海』という名前だったよね。」
「私達は『迷いの森』と呼んでいるが」
一度
言葉を切る
「どちらにしても、油断していい場所じゃない。」
「解除したのは隠蔽効果だけ。」
「森そのものが安全になった訳じゃない。」
「獣もいる。」
「崖も沢もある。」
「天候が崩れることだってある。」
「だから」
エンロは
改めて皆を見る
「十日を使い切るつもりでは歩かないでくれ。」
ユーリイが頷く
「出来るだけ早く抜けろってことだな。」
「そういうこと。」
「そして十日を過ぎれば」
「レベル2とレベル3の隠蔽効果は元に戻る。」
エンロの表情が少しだけ真剣になる
「その時まだ森の中にいれば」
「君達は再び迷う。」
「一度ここへ来たことも」
「帰り道を知っていることも関係ない。」
「分かった。」
ユーリイは
エンロが示した方角を見る
木々がどこまでも続いている
「真っ直ぐだな。」
「真っ直ぐ。」
エンロが頷く
「この方角を外さず進めば」
「十分に森を出られると思うよ。」
「分かった。」
そのやり取りを聞いていたメローペが
一歩前へ出た
「エンロさん。」
「はい。」
メローペは姿勢を正す
「何から何まで、本当にありがとうございました。」
エンロも
静かにメローペを見る
「私達は、あなた方に命を助けて頂きました。」
「それだけではありません。」
「身体を治して頂き」
「食事を与えて頂き」
「住む場所を貸して頂きました。」
「そして」
メローペは
自分達が歩いてきた方向を見る
木々に遮られ
もうナストロンドを見ることは出来ない
「たくさんのものを頂きました。」
「知識も」
「技術も」
「私達が持っていなかったものを、本当にたくさん。」
エンロは
何も言わず聞いている
「本来であれば」
「王国を挙げて、あなた方へ感謝を示さなければならないほどのことです。」
「ですが」
メローペは僅かに表情を曇らせる
「帰国した後」
「私達が再びナストロンドを目指しても」
「ここへ辿り着くことは出来ないのでしょう。」
「そうだね。」
エンロが答える
「おそらく無理だと思う。」
メローペは頷いた
「ならば」
「私達には、言葉でしか謝意を示すことが出来ません。」
深く
頭を下げる
「どうか、お許し下さい。」
「殿下。」
マルグリットが僅かに動く
だが
止めなかった
エンロは少し驚いたようにメローペを見る
そして
穏やかに笑った
「いいんですよ。」
メローペが顔を上げる
「あなた達の存在は」
「私達にとっても、いい刺激になりました。」
エンロは
一緒に来たナストロンドの者達を見る
「私達は、ずっとここで暮らしてきた。」
「外へ出ることもなく」
「外から誰かが来ることも、ほとんどない。」
「閉鎖された鳥かごの鳥のようなものです。」
少しだけ笑う
「そんな私達が」
「君達から外の世界のことを知ることが出来た。」
「君達の国のこと。」
「今の人々の暮らし。」
「食べ物や農業。」
「色々な話を聞いた。」
後ろにいたナストロンドの者達も
僅かに笑う
「楽しかったですよ。」
メローペの表情が
少しだけ緩んだ
「だから」
エンロは続ける
「感謝するのは、私達も同じです。」
「……ありがとうございます。」
「ただ」
エンロが困ったように笑う
「またおいで、とは言えないんですけどね。」
メローペも笑った
「そうですね。」
「次は辿り着けませんから。」
「そういうことです。」
エンロは
王国の者達を見渡す
「君達の無事な帰還を願っていますよ。」
それを合図にした訳ではなかった
だが
あちこちで
別れの言葉が交わされ始めた
共に畑へ出た者
技術を教わった者
食事を共にした者
長い時間を過ごせば
それぞれに親しくなった相手がいる
短く礼を言う者
固く握手を交わす者
笑って別れを告げる者
それぞれが
最後の言葉を交わしていた
やがて
一人
また一人と
別れの言葉を終える
最後に
ユーリイがエンロの前へ立った
「エンロ。」
「うん。」
「本当に世話になった。」
「こちらこそ。」
エンロが右手を差し出す
ユーリイも
右手を出した
固く
握手を交わす
「じゃあ。」
エンロが言う
「ここから先は、君達だけだ。」
「ああ。」
「真っ直ぐだよ。」
「分かってる。」
「十日を使い切るつもりで歩かないこと。」
「それも分かってる。」
エンロが笑う
「なら大丈夫だ。」
「ああ。」
二人の手が離れる
「元気で。」
「エンロも。」
ユーリイは
一歩下がった
メローペが
最後にもう一度頭を下げる
ナストロンドの者達も
それぞれ手を上げた
王国の者達も
一人
また一人と
森の奥へ向かって歩き始める
ユーリイも
その後を追う
少し進んだところで
一度だけ振り返った
エンロ達は
まだそこにいた
何人かが
手を振っている
ユーリイも
小さく手を上げた
そして
前へ向き直る
王国の者達は
森の外へ
ナストロンドの者達は
村へ
それぞれ
別の方向へ歩き始めた
もう一度
ナストロンドへ戻ろうとしても
自分達だけでは辿り着けない
長く
不思議な時間を過ごした場所は
再び
迷いの森の奥へ隠れていく
ユーリイは
前を歩く仲間達を見る
背負った荷物は
ここへ来た時より
ずっと重い
だが
その中にあるものは
失わずに済んだ命と
これから先へ持っていくものばかりだった
二十五人は
再び
帰らずの樹海へ足を踏み出した




