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遺伝子の小さな箱庭  作者: 妙義 豊


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十日間

皆で帰ると決めてから


およそ一か月が過ぎた


だからといって


ナストロンドでの暮らしが大きく変わった訳ではない


ユーリイ達は相変わらず畑へ出た


土を耕し


作物の世話をし


村の者達から農具の扱いや


土地の見方を教わる


農作業が終われば


今度はそれぞれが興味を持った場所へ向かった


クエスの元へ通う者もいる


工房へ顔を出す者もいる


村人達の仕事を手伝いながら


その技術を教わる者もいた


帰ると決めたからこそ


残された時間を無駄にしたくない


誰かがそう言った訳ではない


だが


皆が同じように考えているようだった


「……これも必要ですね。」


ミークニーは一枚の紙を手に取り


しばらく眺めた後


横に積まれた紙の山へ置いた


そして


別の一枚を手に取る


「これも。」


また同じ山へ置く


その隣には


既にいくつもの紙束が積み上がっていた


持ち帰る予定の資料だった


その量は


一か月前より明らかに増えている


減らすつもりだったはずなのだが


新しいことを学ぶ度に


必要な資料も増えていった


ミークニーは腕を組み


紙の山を睨む


「……。」


しばらく考える


そして


先ほどとは別の紙を手に取った


「これも必要ですね。」


紙の山が


また少し高くなった


別の場所では


ジゼルも似たようなことをしていた


机の上に並べられた資料を前に


一枚ずつ確認している


必要


必要


これも必要


こちらも必要


しばらくして


ジゼルの手が止まる


持ち帰る物として選んだ資料と


残す物として分けた資料


その差は


あまりにも大きかった


もちろん


持ち帰る物の方が多い


「……。」


ジゼルは眉間を押さえる


そして


もう一度最初から資料を見始めた


少し離れた場所から


鈍い音が響く


「ぐっ!」


一人の男が地面へ転がった


「今のは良かった。」


ヨシーカが頷く


その横で


ヤースも満足そうに腕を組んでいる


「もう一回やろう。」


「待て。」


地面へ転がった男が身体を起こす


「さっきも、もう一回って言っただろ。」


「だから、もう一回。」


「俺は練習台じゃないぞ。」


「練習相手だ。」


「何が違うんだ。」


「全然違う。」


ヨシーカが当然のように答える


男は周囲を見る


だが


他の者達は目を逸らした


「お前ら。」


誰も助けようとしない


ヤースが一歩前へ出る


「じゃあ次、俺な。」


「ちょっと待て!」


再び


鈍い音が響いた


アデルハイドも


相変わらず剣を振っていた


村で教わった動きを


何度も繰り返す


足を運び


剣を振る


止める


構える


そして


また最初から


派手な動きではない


だが


以前より明らかに無駄が減っている


教わったことを


身体へ染み込ませるように


何度も


何度も繰り返していた


皆が皆


ここで過ごす時間を


己のペースで過ごしていた


帰る日は


確実に近付いている


それでも


まだ今日ではない


だから今日も


昨日と同じように過ごす


そんな日々が


一か月ほど続いた


その日


ユーリイはエンロと二人で歩いていた


畑から少し離れた道を進む


「本当に帰っちゃうんだね?」


エンロが不意に言った


ユーリイは少しだけ笑う


「本当によくしてもらったのに申し訳ない。」


「謝ることじゃないよ。」


エンロも笑った


「それが君達の選んだ道だ。」


「私がとやかく言うことじゃない。」


「そう言ってもらえると助かる。」


しばらく


二人は黙って歩いた


ユーリイが足元の小石を蹴る


「エンロ。」


「うん?」


「本当に俺達を帰していいのか?」


エンロがユーリイを見る


「どういう意味だい?」


「ここのことだ。」


ユーリイは周囲を見る


畑


建物


その向こうに広がる森


「俺達は色々なことを知った。」


「この村のことも。」


「旧人類のことも。」


「新人類のことも。」


「ここの技術についても。」


一度


言葉を止める


「外へ帰れば」


「ここの秘密が漏れる危険があるぞ?」


「なるほど。」


エンロは小さく頷いた


「それを心配していたのか。」


「しない方がおかしいだろ。」


「まあ、そうだね。」


エンロは少し考える


「医療リソースは枯渇寸前だ。」


「君達に行ったような治療を、これから何人に出来るかも分からない。」


「だけど」


エンロは森を見る


「ここの隠蔽機構は、まだしばらくは強固だ。」


ユーリイも森へ目を向ける


「仮に君達が」


「外でこの場所について話したとしても」


「そして」


「ここを目指す者が現れたとしても」


エンロは淡々と続ける


「ほぼ全ての探索者は森に飲まれる。」


「道を見失い」


「同じ場所を歩き」


「自分がどこにいるのかすら分からなくなる。」


「そして」


少しだけ間を置く


「運が悪ければ、そのまま食い殺される。」


ユーリイは顔をしかめた


自分達にも


覚えがあり過ぎる話だった


「それは」


エンロが続ける


「一度ここへ来た君達も変わらない。」


ユーリイがエンロを見る


「俺達も?」


「うん。」


「道を覚えていても?」


「関係ない。」


エンロはあっさり答える


「隠蔽機構が働いている限り」


「君達がもう一度この村へ来ようとしても」


「再び森の中で迷う。」


「……そうだったな。」


ユーリイは小さく息を吐いた


「杞憂だった。」


「心配してくれたこと自体はありがたいけどね。」


エンロが笑う


「それで。」


「帰る方法についてなんだけど。」


ユーリイが顔を上げる


「十日間だけ」


エンロは指を一本立てた


「レベル2とレベル3までの隠蔽効果を解除しよう。」


「レベル2?」


「この施設の隠蔽機構はいくつかの範囲に分かれている。」


エンロは足を止めた


「レベル1。」


「この施設を中心に、およそ三キロ。」


「レベル2が、およそ十キロ。」


「そしてレベル3が、およそ三十キロ。」


ユーリイが眉を寄せる


「三十キロ……。」


「そう。」


「普段はそれらが重なって働いている。」


「外から来た者は、まずレベル3の影響を受ける。」


「そこを抜けてもレベル2。」


「さらに、その内側にはレベル1がある。」


「なるほど。」


ユーリイは少し考える


「それで、十日間だけ全部解除するのか?」


「いや。」


エンロは首を横へ振った


「レベル1は解除出来ない。」


「出来ない?」


「少なくとも、今の俺達にはね。」


エンロは苦笑する


「だから」


「レベル1の範囲を抜けるところまでは、私と何人かが一緒に行こう。」


「三キロの外まで?」


「そう。」


「そこから先は」


「君達だけで進んでもらう。」


ユーリイは黙って森を見る


今まで


何度も見てきた森だった


村のすぐそばにある


何の変哲もない木々


だが


その向こうは


自分達が命を削りながら進んできた


帰らずの樹海だ


「十日間。」


エンロがもう一度言った


「レベル2とレベル3の隠蔽効果を解除する。」


「その間なら」


「少なくとも、隠蔽機構によって道を狂わされることはない。」


「ただし」


エンロの表情が少しだけ真剣になる


「森そのものが安全になる訳じゃない。」


「獣もいる。」


「地形も変わらない。」


「天候だって俺達にはどうにも出来ない。」


「それに」


「十日を過ぎれば、隠蔽機構は元に戻る。」


ユーリイが頷く


「つまり」


「十日以内に樹海を出ろってことだな。」


「そういうこと。」


「もし出られなければ?」


エンロは少しだけ困ったように笑った


「再び樹海で迷うことになる。」


「……。」


「そこは注意してくれ。」


「簡単に言うな。」


「事実だからね。」


ユーリイは苦笑した


「分かった。」


そして


もう一度森を見る


十日


長いのか


短いのか


今のユーリイには分からない


だが


一つだけはっきりした


帰る


そう決めてから


一か月


いつかだったその日は


ようやく


具体的な形を持った


「そのようにメローペ殿下にも伝えるよ。」


「頼む。」


エンロは頷いた


ユーリイは森から視線を外す


そして


村の方へ歩き始めた


あと十日で


この森を抜けなければならない


そして


その十日が始まる日は


もう


すぐそこまで来ていた


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