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遺伝子の小さな箱庭  作者: 妙義 豊


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選択肢

エンロが全員を集めたのは


昼食を終えて少し経った頃だった


特別な用事があると言われた訳ではない


ただ


話しておきたいことがある


そう言われただけだった


いつもの部屋には


メローペ


マルグリット


クレール


ジゼル


オーレリア


リュシエンヌ


そして


ユーリイ達が集まっていた


エンロは全員が揃ったことを確認すると


少しだけ考えるように腕を組んだ


「君たちは。」


突然そう切り出した


「帰るのかい?」


誰もすぐには答えなかった


質問の意味が分からなかった訳ではない


むしろ


あまりにも当たり前のことを聞かれたからだった


最初に答えたのはメローペだった


「ええ。」


迷いのない返事だった


「帰るわ。」


エンロが頷く


「そうか。」


それだけ言って


しばらく黙った


メローペが僅かに首を傾げる


「どうしたの?」


「いや。」


エンロは全員を見渡した


「少し気になってね。」


「君たちから、君たちの国の話を聞いた。」


「王国のこと。」


「軍のこと。」


「家族のこと。」


「それに。」


一度言葉を切る


「男達が、どう扱われているのかも。」


ユーリイ達の表情が僅かに変わった


「君たちの国では、男はとても少ない。」


「だから大切にされている。」


「最初はそう聞いていた。」


「でも。」


エンロは首を傾げた


「話を聞けば聞くほど。」


「俺には、それが本当に大切にされているのか分からなくなった。」


誰も口を挟まない


「男は家に属する。」


「誰と結婚するか。」


「誰との間に子供を作るか。」


「何人の女性との間に子供を残すか。」


「本人の意思より。」


「家や血統の都合が優先されることも珍しくない。」


エンロの視線が


ユーリイ


ミークニー


タッカー達へ向く


「そして。」


「生殖能力を失えば。」


「家を離される。」


「国へ渡され。」


「軍へ送られる。」


ユーリイは何も言わなかった


「君たちは名前まで変えられた。」


「それまでの家族との関係も切られた。」


「死ぬ可能性の高い任務へ送られる。」


「実際。」


エンロの声が僅かに低くなる


「君たちは、ここへ来た。」


帰らずの樹海


誰もその言葉を口にはしなかった


「それが。」


「君たちの国なんだろう?」


ユーリイは少しだけ考えてから


頷いた


「そうだね。」


「全部がそうって訳じゃないけど。」


「大体は合ってる。」


「そうか。」


エンロは小さく息を吐いた


「だったら。」


「俺には一つ分からないことがある。」


ユーリイが顔を上げる


「何?」


「どうして帰るんだい?」


部屋が静かになった


エンロは責めている訳ではない


ただ


本当に分からない


そんな顔をしていた


「君たちはここで癒された。」


「怪我も治った。」


「長い間抱えていた身体の異常も治療した。」


「生殖能力も戻った。」


「二千年の間に少しずつ失われていた、本来持っていたはずの身体機能も出来る限り戻した。」


「今の君たちは。」


「ここへ来た時より遥かに健康だ。」


一度


男達を見る


「そして。」


「君たちが国へ帰れば。」


「生殖能力を持つ男に戻る。」


その言葉に


男達が僅かに顔を強張らせる


「それが知られれば。」


「君たちの国では、どうなる?」


誰も答えない


エンロは少し待った


「また。」


「誰かの家に属するのかい?」


「……。」


「子供を作ることを求められる?」


「……。」


「誰との間に子供を残すのか。」


「それを自分で決められるのかな。」


「エンロ。」


メローペが静かに口を開いた


「それは。」


言葉が止まる


否定しようとした


だが


簡単には否定出来なかった


男が少ない


だからこそ


一人の男が多くの女性との間に子供を残す


王国では


それは当たり前のことだった


男を守るため


家を残すため


血を繋ぐため


必要な制度だと考えられている


「君たちの社会を否定するつもりはないよ。」


エンロが続けた


「二千年も外の世界から離れて暮らしてきた俺達が。」


「今の社会へ口を出す資格があるとも思わない。」


「きっと。」


「そうならざるを得なかった理由もあるんだろう。」


「ただ。」


少しだけ眉を寄せる


「俺には。」


「男が子種を提供する存在として扱われているように見える。」


誰も動かなかった


「女性達の家に属する財産。」


「血統を残すための男。」


「言い方は悪いけど。」


エンロは一度言葉を選んだ


「まるで。」


「種馬や種牛だ。」


空気が止まった


ユーリイが僅かに目を伏せる


タッカーも何も言わない


ミークニーは考えるように俯いていた


少し前


この同じ場所で聞いた話が


全員の頭を過った


二千年前


旧人類が新人類へ求めたもの


丈夫で


従順で


人の命令を理解し


必要なら繁殖させる


家畜


もちろん


同じではない


王国の男達は人間として扱われている


財産を持つことも出来る


家族も持つ


愛されてもいる


それでも


エンロの言葉を


ただの見当違いだと笑う者はいなかった


「皮肉だね。」


エンロが小さく呟いた


「二千年前。」


「旧人類は君たちの祖先を、自分達に都合のいい家畜として作った。」


「そして二千年後。」


「その子孫達の社会では。」


「今度は男が。」


「子供を残すための貴重な存在として囲われている。」


「……。」


「もちろん。」


エンロはすぐに続けた


「同じだと言うつもりはない。」


「全く違うものだ。」


「でも。」


「俺には少し似て見えた。」


沈黙が続く


やがて


マルグリットが口を開いた


「では。」


「あなたは何を仰りたいのですか。」


エンロはマルグリットを見る


「簡単なことだよ。」


そして


再び全員を見る


「帰らなくてもいい。」


何人かが顔を上げた


「君たちには。」


「ここに残るという選択肢もある。」


今度こそ


誰も言葉を発しなかった


エンロは静かに続ける


「君たちは新人類だ。」


「俺達とは違う。」


「遺伝子も違う。」


「生物学的には。」


「同じ人類と呼んでいいのかさえ、昔の学者なら議論したかもしれない。」


「でも。」


「そんなことは。」


「この村では何の問題にもならない。」


エンロは笑った


「もう分かっているだろう?」


「ここで君たちを不能者と呼ぶ者はいない。」


「男だから何かをしろと言う者もいない。」


「女だから何かをしろと言う者もいない。」


「誰かの家へ属する必要もない。」


「子供を作ることを求める者もいない。」


「作りたければ作ればいい。」


「作りたくなければ作らなくていい。」


「誰かと一緒に暮らしたければ暮らせばいい。」


「一人で暮らしたければ。」


「それでもいい。」


タッカーが顔を上げた


エンロと目が合う


「タッカーなら。」


少し笑う


「もう仕事にも困らないだろう?」


「え?」


「子供達が放してくれそうにない。」


何人かが小さく笑った


タッカーは困ったように頭を掻く


「それは……。」


否定出来なかった


「ミークニーも。」


「はい?」


「ここにある医療資料。」


「全部読むには一生掛かるかもしれないよ。」


ミークニーの表情が


ほんの一瞬だけ動いた


ユーリイが横を見る


「お前。」


「何ですか。」


「今、ちょっと残りたいと思っただろ。」


「思っていません。」


「本当か?」


「……非常に魅力的な条件ではあります。」


タッカーが吹き出した


「思ってるじゃねえか。」


「条件として評価しただけです。」


僅かな笑いが起こる


だが


すぐに静かになった


誰も


エンロの提案を冗談だとは思っていなかった


マースは腰に手を触れる


そこには


今日


一本増えたナイフがある


ジクロの工房


金属を打つ音


教わった砥石の当て方


まだ


何かを習ったと言えるほどのものではない


それでも


あの工房へ行けば


ジクロは追い返さないだろう


タッカーには


パンを待つ子供達がいる


ミークニーには


まだ読み切れない資料がある


ユーリイにも


まだ知りたいことが山ほどあった


ここには


食べ物がある


水がある


安全な寝床がある


医療がある


学ぶ場所がある


働く場所がある


そして


誰も彼らを捨て石とは呼ばない


残る


その選択は


決して悪いものではなかった


むしろ


自分達だけの幸せを考えるなら


それが一番正しいのかもしれない


長い沈黙の後


ユーリイが口を開いた


「ありがたい話だと思います。」


エンロがユーリイを見る


「ここが嫌だから帰るんじゃないんだ。」


ユーリイは周囲を見た


窓の向こうには


いつもの村がある


畑


家


道を歩く人々


遠くから聞こえる子供達の声


「むしろ。」


少しだけ笑う


「居心地が良すぎるくらいだよ。」


「ここの暮らしは、王国の貴族より恵まれたものだと思う。」


「そうかもしれないね。」


エンロも笑った


「でも。」


ユーリイの表情が戻る


「俺達には、帰るところがあるんだ。」


エンロは何も言わない


「待ってる人もいる。」


「俺達がどうなったのか。」


「何があったのか。」


「それを知らない人達もいる。」


ユーリイは一度


メローペを見る


「それに。」


「俺達は。」


少し言葉を探す


「帰るために、ここまで生きてきたんだと思う。」


メローペが静かにユーリイを見る


ユーリイはエンロへ視線を戻した


「だから。」


「俺は帰るよ。」


エンロは頷かなかった


他の男達を見る


「ユーリイは、そう言ってる。」


「でも。」


「これは君達一人一人の話だ。」


「彼が帰るから。」


「王女が帰るから。」


「仲間が帰るから。」


「それだけで決めなくていい。」


その言葉に


ユーリイも何も言わなかった


エンロの言う通りだった


「残りたい者がいるなら。」


「俺は止めない。」


「この村も。」


「その者を受け入れる。」


タッカーが小さく息を吐いた


そして


頭を掻く


「ありがたいけど。」


エンロを見る


「俺も帰るよ。」


「そうか。」


「子供達には怒られそうだけどな。」


少し笑う


「それでも。」


「帰らなきゃならないところがある。」


ミークニーも口を開いた


「私も帰ります。」


ユーリイが横を見る


「資料は?」


「持てるだけ持って帰ります。」


「全部は無理だぞ。」


「分かっています。」


「本当に?」


「今その話はしていません。」


また


小さな笑いが起きた


マースも


他の男達も


一人


また一人と


自分の意思を口にした


残ると答えた者はいなかった


エンロは急かさなかった


最後まで聞いた


そして


女性達を見る


「君達にも同じことを言ってるんだよ。」


メローペが少し驚く


「私達も?」


「当然だろう?」


エンロは不思議そうに答えた


「男だけ残っていいなんて話じゃない。」


「ここに残りたいなら。」


「誰でも残ればいい。」


「身分も関係ない。」


メローペが小さく笑った


「王女でも?」


「ここじゃ王女じゃなくても困らないよ。」


「そうね。」


メローペは笑う


それから


少しだけ考えた


「とても魅力的な話だと思う。」


「でも。」


「私は帰るわ。」


「私を待っている人達がいるもの。」


マルグリットが続く


「私もです。」


クレール


ジゼル


オーレリア


リュシエンヌ


答えは同じだった


全員の答えを聞き終え


エンロはしばらく黙っていた


「そうか。」


やがて


小さく頷く


「分かった。」


それだけだった


残念そうな顔もしない


引き止めもしない


説得もしない


「なら。」


エンロは立ち上がった


「帰る方法を考えないとね。」


その言葉で


部屋の空気が


ほんの少し変わった


今まで何度も


帰ったら


そう話してきた


いつか帰る


そう口にしてきた


けれど


今


初めて


帰らない道もあると知った


ここに残ってもいい


ここで生きてもいい


誰にも追い出されない


それを知った上で


全員が


帰ることを選んだ


帰還はもう


いつか来るものではなかった


自分達で選んだ


次の目的になっていた


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