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遺伝子の小さな箱庭  作者: 妙義 豊


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いつか帰る

夕方


ユーリイは村の外れを歩いていた


特に目的があった訳ではない


今日教わったことを頭の中で整理しながら歩いているうちに、いつの間にか人の少ない場所まで来ていた


少し先に人影が見える


ミークニーだった


木陰に腰を下ろし、珍しく何もしていない


「何してるんだ?」


「休憩です。」


「珍しいな。」


「自分でもそう思います。」


ユーリイは隣へ腰を下ろした


しばらく二人とも何も話さない


村から子供達の声が聞こえてくる


笑い声


誰かを呼ぶ声


遠くから何かを叩く音


どこかの家からは料理の匂いも漂ってきた


ここへ来たばかりの頃には気付かなかった音だった


あの頃は


生きているだけで精一杯だった


知らない場所


知らない人間


見たこともない建物


理解出来ない技術


何をされているのかすら分からない治療


警戒するなという方が無理だった


それが今では


子供達の声を聞いても振り返らない


村人と道ですれ違えば挨拶をする


腹が減れば食事の時間を考え


夜になれば明日は何を教わろうかと考える


いつの間にか


それが当たり前になっていた


「ここ。」


ユーリイが呟く


「いいところだな。」


「ええ。」


ミークニーはすぐに答えた


「本当に。」


食べ物がある


水がある


安全に眠れる


誰も襲ってこない


病気になれば診てもらえる


知りたいことを尋ねれば


二千年前の知識が返ってくる


何より


ここでは誰も


彼らを不能者とは呼ばなかった


腕に刻まれた番号を見ても


焼印を見ても


誰も顔色を変えない


ただ一人の人間として扱われる


それがどれほど奇妙なことなのか


ここへ来るまでの彼らは知らなかった


「居心地が良すぎる。」


ユーリイが苦笑する


「同感です。」


「お前なんか、放っておいたら一生あそこで勉強してそうだな。」


「否定は出来ません。」


「否定しろよ。」


「まだ学びたいことが山ほどありますから。」


「紙の山もな。」


ミークニーが僅かに眉を動かした


「見たのですか。」


「ミトゥが愚痴ってたぞ。」


「余計なことを。」


「お前、あいつにも持たせるつもりだろ。」


「まだ頼んでいません。」


「頼むつもりなんだな。」


ミークニーは答えなかった


ユーリイが笑う


「ほどほどにしとけよ。」


「分かっています。」


「昨日も同じこと言ってなかったか?」


「必要なものを選別している途中です。」


「増えてるらしいぞ。」


「必要なものが増えたのです。」


「それ、選別って言わないだろ。」


ミークニーは何も答えない


その顔を見て


ユーリイはまた笑った


やがて


その笑いが消える


「でも。」


「はい。」


「いつまでも居ていい訳じゃないな。」


ミークニーも黙った


遠くから聞こえる子供達の声が、少しだけ大きくなる


「ええ。」


それだけだった


二人とも理由を口にはしなかった


口にする必要もなかった


帰る場所がある


待っている者がいる


帰らなければ伝えられないことがある


死んだ仲間達のこと


樹海で何が起きたのか


そして


王女は生きている


それを国へ伝えなければならない


ここにいれば安全だ


少なくとも


帰らずの樹海を再び歩くよりは遥かに安全だった


食べ物にも困らない


眠る場所にも困らない


村人達は自分達を受け入れてくれている


このままここで暮らそうと思えば


もしかすると


それも出来るのかもしれない


だが


自分達はここへ逃げ込むために樹海へ入った訳ではない


「ここにいたら。」


ユーリイが呟く


「楽なんだけどな。」


「そうですね。」


「飯も美味い。」


「ええ。」


「死ぬ心配もない。」


「おそらく。」


「おそらく?」


「人生に絶対はありません。」


「そういうところだぞ。」


ミークニーが少し笑った


「それでも。」


ユーリイは村を見る


「帰らないとな。」


「はい。」


今度の返事には


迷いがなかった


村の中心では


タッカーが子供達に囲まれていた


最近では珍しくもない光景だった


最初の頃


子供達は遠巻きに彼らを見ていた


身体の大きな男達


見慣れない服


見慣れない武器


腕には番号


身体には傷


怖がる子供もいた


だが


タッカーが厨房へ顔を出すようになってから


その距離は急速に縮まった


パンを作れる


菓子も作れる


頼めば簡単なものなら一緒に作らせてくれる


失敗しても怒らない


そして


何より身体が大きい


いつの間にか


子供達にとってタッカーは格好の遊び相手になっていた


「タッカー!」


「何だ。」


「これ!」


小さな女の子が何かを差し出す


形の歪んだ小さなパンだった


「焼いた!」


「お前が?」


「うん!」


タッカーは受け取る


裏を見る


横を見る


「ちゃんと焼けてるじゃねえか。」


「ほんと?」


「ああ。」


女の子の顔が一気に明るくなる


「食べて!」


「今?」


「うん!」


「晩飯前だぞ。」


「食べて!」


「分かった、分かった。」


タッカーは一口齧る


少し硬い


だが


食べられないほどではない


「どう?」


子供達が一斉に顔を覗き込む


タッカーは少し考える


「悪くない。」


「やった!」


「ただ、もう少し水を増やしてもいいな。」


「みず?」


「ああ。あと捏ねる時に――」


「また明日作る!」


「おう。」


「タッカーも作る?」


「時間があったらな。」


「明後日も?」


「ああ。」


「その次も?」


「何だよ。」


タッカーが笑う


「毎日作る気か?」


「うん!」


「飽きるぞ。」


「飽きない!」


別の子供がタッカーの袖を引いた


「タッカー。」


「何だ?」


「いつまでもいてね。」


タッカーは一瞬


何を言われたのか分からないような顔をした


「いつまでも?」


「うん。」


「ずっと。」


別の子供も言う


「ずっとパン作って。」


「俺はパン作るためにここにいるんじゃないぞ。」


「じゃあ何するの?」


「何するって……。」


タッカーは少し困る


説明したところで


この子供達にどこまで分かるのか


「まあ。」


頭を掻く


「俺達はいつか帰るぞ。」


その一言で


子供達が静かになった


さっきまで騒いでいた声が


ぴたりと止まる


「……帰るの?」


「ああ。」


「どこに?」


「俺達の国だよ。」


「なんで?」


「なんでって。」


タッカーが苦笑する


「俺達にも帰るところがあるからな。」


子供達は顔を見合わせた


そして


意味を理解したらしい


「えー!」


「いや!」


「帰っちゃだめ!」


「ずっといて!」


「ちょ、ちょっと待て。」


一斉に子供達が飛びつく


一人が腕へしがみつき


一人が服を掴み


小さな子供など腰へ抱きついた


「おい、引っ張るな。」


「やだ!」


「帰らないって言って!」


「いや、それは無理だって。」


「なんで!」


「だから俺達にも帰るところが――」


「ここにいればいい!」


「そういう訳にもいかないんだよ。」


「やだ!」


「ずっとパン作って!」


「パンならお前達も作れるだろ。」


「タッカーが作って!」


「無茶言うな。」


「やだー!」


「だから引っ張るなって!」


服が伸びる


タッカーが一人を引き剥がそうとすると


反対側から別の子供がしがみつく


そちらを何とかしようとすれば


今度は後ろから抱きつかれる


「お前ら!」


怒鳴った


つもりだった


だが


子供達は誰一人怖がらない


むしろ面白がって


さらにしがみついてくる


「帰っちゃだめ!」


「ずっといて!」


「分かったから!」


「帰らない?」


「それは別だ!」


「じゃあ駄目!」


「何なんだよ!」


少し離れた場所で


村人達がその様子を笑いながら見ていた


誰も助けようとはしない


「おい!」


タッカーが村人達を見る


「見てないで何とかしてくれ!」


返ってきたのは笑い声だけだった


「くそ……。」


悪態を吐きながら


タッカーも笑っていた


ようやく一人を抱き上げる


「ほら。」


「帰るのは今日じゃねえ。」


「明日?」


「明日でもねえよ。」


「じゃあ明後日?」


「それも知らん。」


「ずっと?」


「だから、それは無理だって。」


「やだ!」


「話が戻ってるじゃねえか。」


また笑い声が上がった


少し離れた道を


ユーリイとミークニーが歩いていた


村の中心が騒がしい


何事かと見れば


子供達にまとわりつかれているタッカーが見えた


「何をしているのでしょう。」


「さあな。」


近付くにつれ


声が聞こえてくる


「帰っちゃだめ!」


「ずっといて!」


「だから、いつかは帰るんだって!」


ユーリイが足を止めた


ミークニーも止まる


二人は顔を見合わせた


「……大変そうですね。」


「助けるか?」


「必要でしょうか。」


二人でもう一度見る


タッカーは子供を一人抱え


もう一人に服を引っ張られながら


何やら必死に説明している


だが


顔は笑っていた


「いらないな。」


「そうですね。」


二人はそのまま歩き出した


後ろから


また子供達の声が聞こえる


「ずっといて!」


「無理だって!」


「なんで!」


「帰るところがあるからだよ!」


ユーリイは振り返らなかった


ミークニーも振り返らない


帰る日は


まだ決まっていない


荷物をまとめ始めた訳でもない


エンロから


帰れと言われた訳でもない


ナストロンドでの日々は


明日も続く


その次の日も


きっと同じように続く


けれど


ここへ来た時には考えることすら出来なかった言葉が


いつの間にか


誰の口からも


当たり前のように出るようになっていた


帰ったら


持って帰る


帰るところ


そして


いつか帰る


まだ先の話


そう思っている


それでも


ナストロンドで過ごす時間に


初めて


終わりというものが見え始めていた


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