帰ったら
現在、実家に帰省中のため、二日間投稿できませんでした。
申し訳ありません。
今後も『遺伝子の小さな箱庭』をよろしくお願いいたします。
机の上には、紙の束が積み上がっていた
一つではない
二つ
三つ
さらに、その横にもまだある
エリス・ラフォレはそれをしばらく眺めていた
そして、反対側にいるジゼルを見る
もう一度、紙の山を見る
「……これを全部?」
「はい。」
「無理でしょう。」
「分かっています。」
「では減らしてください。」
「それが出来れば苦労しません。」
エリスは黙った
ジゼルは真剣な顔で紙へ文字を書き写している
机の上に積み上げられているのは、この村へ来てから彼女が集め続けてきた資料だった
農業
作物
土壌
肥料
病害
保存方法
村で使われている道具の構造
建築
水路
それだけではない
ジゼル自身が興味を持ったもの
王国へ持ち帰れば役に立つと思ったもの
いつか誰かが必要とするかもしれないもの
それらを書き写しているうちに、いつの間にかこの量になっていた
エリスが一番上の束を手に取る
数枚捲り
元の場所へ戻した
「これだけでも相当な重さになりますよ。」
「分かっています。」
「他にも荷物はあるんですよね。」
「もちろん。」
「武器も持たなければなりません。」
「それも分かっています。」
「食料も必要です。」
「分かっています。」
エリスはジゼルを見る
「本当に分かっています?」
「分かっていますよ。」
ジゼルが僅かに眉を寄せた
「だから困っているんです。」
「では減らしてください。」
「それが出来ないから困っているんです。」
エリスは小さく息を吐く
その間にもジゼルの手は止まらない
また一枚
新しい紙が増えた
エリスはそれを見た
何も言わなかった
別の建物にも
よく似た光景があった
ミトゥ・ハーグボウは部屋へ入るなり足を止めた
「なに? これ?」
机の上に紙
椅子の上にも紙
棚にも紙
床の端にも、束ねられた紙が積まれている
その中心でミークニーが一人、何かを書いていた
「持って帰る予定の資料だ。」
「これ全部?」
「そのつもりです。」
ミトゥは紙の山を見る
ミークニーを見る
もう一度紙の山を見る
「お前、頭いいけど馬鹿だろ?」
ミークニーの手が止まった
「何故ですか。」
「持てねえだろ。」
「分かっています。」
「分かってて何でこんなにあるんだよ。」
「どれもとても重要なんですよ。」
ミークニーは一つの束を手に取る
「これは感染症について。」
別の束
「こちらは創傷治療。」
さらに別の束
「薬剤。」
「これは?」
「栄養。」
「こっちは?」
「出産。」
「これは?」
「衛生管理。」
「これは?」
「解剖。」
ミトゥは途中で聞くのをやめた
「減らせ。」
「選別しています。」
「これで?」
「これでも随分減らしました。」
ミトゥは絶句した
ミークニーは再び紙へ向かう
「それに。」
一枚捲る
「まだ足りない。」
「……。」
「昨日、新しく教えてもらった内容もあります。」
「……。」
「薬草についても、もう少しまとめておきたい。」
「……。」
「それから。」
「もういい。」
ミトゥが手を上げた
「好きにしろ。」
「そうします。」
「ただし。」
ミトゥは紙の山を指差した
「俺に持たせるなよ。」
ミークニーの手が止まる
「……。」
「おい。」
「まだ何も言っていません。」
「今、絶対俺にも持たせるつもりだっただろ。」
「そんなことはありません。」
「目を見て言え。」
ミークニーは紙へ視線を戻した
「続きを書きます。」
「お前なあ……。」
ミトゥの声を聞きながら
ミークニーは新しい紙へ文字を書き始めた
村の一角では
リュシエンヌが別の意味で忙しかった
目の前にはいくつもの籠が並んでいる
乾燥させた果物
保存食
香辛料
布
小さな木工品
それらを一つずつ手に取り
眺め
匂いを嗅ぎ
時には村人へ何かを尋ねている
その様子を見つけたユーリイが足を止めた
少し迷った後
声を掛ける
「何をされているんですか?」
「調査。」
「何のです?」
「これ。」
リュシエンヌが小さな袋を持ち上げた
「王都で売れると思わない?」
ユーリイは袋を見る
「自分には、商売のことはよく分かりません。」
「売れるわよ。」
即答だった
今度は乾燥させた果物を手に取る
「これは?」
「ですから、自分に聞かれても。」
「一応、シーゲルの意見も聞いてるの。」
「一応ですか……。」
リュシエンヌは気にした様子もなく、次の籠を見る
「これもいいわね。」
「香辛料ですか?」
「ええ。」
少量を指先に取る
「王都では見たことがない。」
「持って帰るんですか?」
「出来れば。」
ユーリイは並んでいる籠を見渡した
「これを全部?」
「全部とは言ってないでしょう。」
そう言いながら
リュシエンヌは別の品物も手に取る
ユーリイはしばらくその様子を見ていた
「……持てるんですか?」
リュシエンヌの手が止まった
籠を見る
少し考える
「無理ね。」
「ですよね。」
「だったら作り方を聞いておけばいい。」
「なるほど。」
「向こうで同じ材料が手に入れば作れるかもしれない。」
「無ければ似た材料を探せばいい。」
既にリュシエンヌの頭の中では、次のことが始まっているらしい
「帰った後の商売のことを、もう考えているんですね。」
「当然でしょう。」
リュシエンヌは何でもないように答えた
「生きて帰るんだから。」
ユーリイは一瞬黙った
「……そうですね。」
リュシエンヌは既に村人を捕まえ、香辛料について尋ね始めている
ユーリイはその後ろ姿を少しだけ見ていた
生きて帰る
少し前なら
そんな言葉を当たり前のように口にする者はいなかった
「今頃、王城はどうなっているでしょうね。」
マルグリットが何気なく口にした
メローペが顔を上げる
二人は村の広場の端にいた
少し離れた場所では村人達が作業をしている
子供達が走り回り
その向こうでは畑仕事を終えた者達が道具を片付けていた
いつもの光景だった
「どうって?」
「殿下。」
マルグリットが少し呆れたように見る
「我々が王都を発って、どれだけ経ったとお思いですか。」
「ああ……。」
メローペもようやく意味を理解した
「そうね。」
しばらく考える
「お母様は心配しているでしょうね。」
「心配どころではないと思います。」
「怒っているかしら。」
マルグリットは少し考えた
「それは。」
「それは?」
「お戻りになられれば分かるかと。」
「やっぱり怒ってると思ってるでしょう。」
「私は何も申し上げておりません。」
「顔に書いてあるわ。」
マルグリットは答えなかった
メローペは小さく笑う
しかし
その笑みは少しずつ消えていった
「アトラスお姉様も。」
「はい。」
「タイゲラ達も。」
「はい。」
「心配してるでしょうね。」
「当然です。」
「……そうよね。」
風が広場を抜けていく
二人とも
しばらく何も言わなかった
帰らずの樹海
そう呼ばれる場所へ入った
帰還する者はほとんどいない
王城にいる者達が
今の自分達をどう思っているのか
考えなくても分かる
「マルグリット。」
「はい。」
「私達。」
メローペはそこで一度言葉を止めた
「随分長くここにいるわね。」
「そうですね。」
「最初は。」
村の方を見る
「こんな場所があるなんて、想像もしてなかった。」
「私もです。」
安全な場所
温かい食事
清潔な寝床
傷ついた身体を治してくれた者達
そして
二千年前から残された知識
ここへ辿り着いた時には
誰も想像していなかった日々だった
「居心地が良いわね。」
メローペが小さく笑った
「はい。」
マルグリットも否定しなかった
「ずっとここにいたら。」
メローペが何気なく口にする
そして
自分で首を横へ振った
「……駄目ね。」
マルグリットは何も言わなかった
「帰らないと。」
「はい。」
短い言葉だった
それ以上
何かを確認する必要はなかった
メローペは再び広場を見る
「帰ったら。」
静かに口を開く
「まず、お母様に謝らないといけないわね。」
「まずは、ご無事なお姿をお見せください。」
「その後?」
「叱られてください。」
メローペがマルグリットを見る
「やっぱり叱られるのね。」
「当然です。」
「マルグリットも一緒よ。」
「何故私まで。」
「私を止められなかった。」
「無茶を仰らないでください。」
メローペが笑う
マルグリットも
ほんの僅かに表情を緩めた
広場には
いつもと変わらないナストロンドの時間が流れていた
誰も荷物をまとめてはいない
帰る日が決まった訳でもない
それでも
少しずつ
ほんの少しずつ
彼女達の言葉の中に
帰った後のことが
混じり始めていた




