枷
「人類の罪なんだ。」
エンロがそう言ってから、しばらく誰も口を開かなかった
二千年前
今の自分達からすれば、神話や伝説よりも遠い時代の話
その時代に生きていた人間が、どのような姿をしていたのかすら想像できない
しかし、その者達が生み出したものが自分達だと言われた
人の手によって作られ
家畜と呼ばれ
働くために生み出された者達
そして今、その子孫がこの部屋にいる
ユーリイは自分の手を見つめた
先ほども見た手だった
何も変わっていない
指が五本あり
握れば拳になり
開けば物を掴める
ずっと自分のものだった手
それなのに、先ほどまでとは少し違って見える
「……なんというか。」
タッカーが頭を掻く
「よく分からんな。」
全員の視線が向く
「いや、話は分かったんだ。」
「俺達の祖先がどうやって作られたのかも。」
「昔、何があったのかも。」
「でもよ。」
タッカーは自分の胸を軽く叩いた
「だからって、俺が俺じゃなくなる訳でもねえだろ。」
「そうだな。」
ユーリイが小さく答える
「明日起きたら角が生えている訳でもない。」
「いや、君達の祖先に角を生やすような改良はされていないよ。」
エンロが真面目な顔で答えた
「分かってるよ!」
タッカーが思わず声を上げる
張り詰めていた空気が僅かに緩んだ
ミークニーが小さく笑う
メローペも口元に僅かな笑みを浮かべた
しかし、すぐに静けさが戻る
「私は……。」
オーレリアが口を開いた
「少し怖いです。」
エンロが彼女を見る
「何がだい?」
「私達が、ではありません。」
オーレリアは首を横へ振る
「そこまでのことが出来た人達がいたということがです。」
「人を作る。」
「その人の性質まで変える。」
「そのようなことが、本当に出来たということが……。」
「そうだね。」
エンロは静かに頷く
「俺も同じだよ。」
「俺達はその技術のほんの一部しか使えない。」
「ここに残された機械を使っているだけで、その全てを理解している訳じゃない。」
「だから、俺達にとっても二千年前の技術は十分に恐ろしいものだ。」
メローペはしばらく考え込んでいた
「エンロ。」
「うん?」
「先ほど、あなたは旧人類の一部の支配者層が新人類を家畜と考えていたと言いましたね。」
「言ったね。」
「でも、その旧人類の中から新人類を人として扱う者達も現れた。」
「そう。」
「そして、この村を作った人達もその中にいた。」
「そうだよ。」
メローペは小さく息を吐く
「なら。」
「私は旧人類という人達を憎むことは出来ません。」
誰も口を挟まない
「私達の祖先を作り、苦しめた者達も旧人類。」
「その祖先を救おうとした者達も旧人類。」
「そして、今こうして私達を救ってくれたあなた達も、その子孫なのでしょう。」
「それを全て同じものとして考えるのは違うと思います。」
エンロは少しだけ目を細めた
「うん。」
「俺もそう思うよ。」
「だから、さっきも一部の支配者層と言った。」
「人間なんて、二つに綺麗に分けられるものじゃないからね。」
「旧人類だから悪い。」
「新人類だから正しい。」
「そんな単純な話なら、二千年前の争いもあれほど複雑にはならなかったと思う。」
クレールが腕を組む
「新人類の側にも過激派がいたと仰っていましたね。」
「いたよ。」
「かなりね。」
「その話はいずれすることになると思う。」
エンロはそこで言葉を止めた
「ただ、今日全部話したら朝になる。」
「それは困るな。」
ユーリイが呟く
「だろう?」
エンロが笑う
再び僅かに空気が緩んだ
その中で、ミークニーだけが先ほどから黙っていた
俯きながら何かを考えている
やがて顔を上げた
「エンロ。」
「うん?」
「一つ聞いてもいいですか?」
「もちろん。」
「先ほど、あなたは私達の祖先には旧人類に対して従順になるような遺伝……。」
ミークニーの言葉が止まる
「遺伝子?」
エンロが助け舟を出す
「そう、それです。」
ミークニーは頷いた
「その遺伝子というものが組み込まれていたと言っていましたね。」
「言ったね。」
「それは……。」
一度、自分の胸元へ視線を落とす
「今でも我々の中にあるのですか?」
その言葉で、部屋の空気が変わった
ユーリイが顔を上げる
タッカーもミークニーを見る
先ほどまで二千年前の歴史として聞いていた話が、一瞬で自分達の話へ戻ってきた
「あるよ。」
エンロはあっさり答えた
何人かの表情が固まる
「正確には、あった、だけどね。」
「……あった?」
ミークニーが聞き返す
「そう。」
エンロは椅子へ深く腰を掛け直した
「さっきの話で、一部の団体や運動家達の活動によって、新人類へ掛けられていた様々な枷が排除されていったと言っただろう?」
「はい。」
「首輪や拘束具。」
「過剰な精神支配。」
「そういった目に見えるものは、次第に無くなっていった。」
「でもね。」
エンロの表情から笑みが消える
「一部の支配者層は、それだけでは安心出来なかったらしい。」
「彼らは誰にも気付かれない、とても小さな枷を残した。」
「遺伝子情報の中にね。」
ミークニーの目が僅かに見開かれる
「先ほど話した従順性とは別に、普段は何の働きもしない遺伝子が組み込まれていた。」
「何の働きもしない?」
「普段はね。」
エンロは頷く
「特定の条件が揃った時だけ働く。」
「特定の周波数の放射線を浴びせる。」
「あるいは、特定のウイルスへ感染させる。」
「そうしたものを合図として、その遺伝子が働き始めるように作られていた。」
マルグリットが眉をひそめる
「働き始めると、どうなるのです。」
エンロは少しだけ間を置いた
「旧人類へ逆らえなくなる。」
誰も声を発しない
「より正確に言えば、旧人類からの命令へ強く服従するようになる。」
「自分では逆らいたいと思っていても。」
「嫌だと思っていても。」
「命令へ従うことを優先するよう、身体そのものが変化する。」
「そんな仕組みだったらしい。」
メローペが思わず身を乗り出した
「そんなものが!」
「うん。」
「かなり悪趣味だろう?」
エンロは苦笑する
「表向きには首輪を外す。」
「拘束具も無くす。」
「新人類の扱いを改善したと宣言する。」
「でも、本当に必要になった時だけ使える鎖を身体の中へ残しておく。」
「しかも、本人にも周囲にも分からないように。」
「隠蔽遺伝子、と当時は呼ばれていたようだね。」
ミークニーの顔が険しくなる
「では、我々にもそれが……。」
「だから、あった、だよ。」
エンロはミークニーの言葉を遮るように答えた
「今は無い。」
「……無い?」
「うん。」
「幸運なことに、この施設を作った医療者の一人がね。」
「その分野。」
「遺伝子工学治療の第一人者だった。」
「彼はその隠蔽遺伝子の存在に気付き、除去するための治療法まで開発していた。」
ユーリイが嫌な予感でもしたように眉を寄せる
「まさか。」
「その、まさかだよ。」
エンロは笑った
「君達がここへ運び込まれた時。」
「怪我の治療と一緒に、勝手に治療させてもらった。」
「……勝手に?」
「うん。」
「勝手に。」
あまりに悪びれず答えるエンロに、ユーリイは額へ手を当てた
「今更だな……。」
「今更だね。」
エンロも頷く
「だから事後承諾になるけど、許してくれ。」
「とは言っても、君達へ何か新しいものを加えた訳じゃない。」
「むしろ逆だ。」
「旧人類の一部の支配者達が、自分達の都合で君達の祖先へ組み込んだものを取り除いただけ。」
「それだけだよ。」
ミークニーは自分の腕を見る
「では、他にも何か?」
「したよ。」
あっさり返ってきた
「やっぱりか……。」
ユーリイが呟く
「君達、酷い状態だったからね。」
「外傷だけじゃない。」
「感染症。」
「栄養状態。」
「疲労。」
「古い怪我。」
「身体のあちこちに問題があった。」
「それを治療する過程で、遺伝子情報も調べた。」
エンロは指を一本立てる
「そこで分かったのが。」
「君達新人類の身体は、二千年という長い世代交代の中で、本来持っていた機能の一部が少しずつ劣化していたということ。」
「劣化?」
「そう。」
「特に目立ったのは免疫機構だね。」
「本来の新人類は、君達よりもっと多くの病原体へ耐性を持っていたらしい。」
「身体能力も少し落ちていた。」
タッカーが自分の腕を曲げる
「それも治したのか?」
「治した。」
「……俺、前より力が強くなった気がするんだが。」
「気のせいじゃないよ。」
「おい。」
タッカーが思わず声を上げる
エンロは楽しそうに笑う
「でも、勘違いしないでくれ。」
「君達を強く改造した訳じゃない。」
「本来の君達の姿へ戻したと思ってくれればいい。」
「長い年月の中で失われたものを補い。」
「壊れていたところを直し。」
「旧人類の支配者層が自分達の都合で付け加えたものを取り除いた。」
「それだけ。」
「だから。」
エンロは全員を見渡す
「今の君達は、新しく作り替えられた訳じゃない。」
「むしろ。」
「二千年前、本来作られた新人類に近い姿へ戻った。」
誰もすぐには言葉を返せなかった
ミークニーは医療者として理解しようとしているのか、何度も小さく頷いている
その横でユーリイは、何とも言えない顔をしていた
「……勝手に色々やられたことだけは分かった。」
「ははは。」
「ごめん、ごめん。」
エンロは笑いながら頭を下げる
「でも、あの時の君達に一人ずつ説明して許可を取る余裕は無かったからね。」
「死にかけていたし。」
「それを言われるとな。」
ユーリイもそれ以上は何も言えなかった
エンロはそこで何かを思い出したようにユーリイを見る
「ああ。」
「そういえば、ユーリイ。」
「何だ?」
「君だけ少し違った。」
「俺?」
「うん。」
エンロは頷く
「何故か君には、さっき話した隠蔽遺伝子が確認出来なかった。」
ユーリイが眉を寄せる
「無かった?」
「無かった。」
「完全にね。」
「理由は?」
「分からない。」
エンロはあっさり答える
「二千年も経っているからね。」
「どこかの世代で失われたのかもしれないし、別の理由があるのかもしれない。」
「そこまでは俺にも分からない。」
「ただ、君には存在しなかった。」
「だから、その治療だけはしていない。」
「そうか。」
ユーリイはそれ以上聞かなかった
エンロも、その話を特別なこととして扱う様子はない
「とは言え。」
エンロはそのまま続ける
「君には別の異常があったけどね。」
「別の?」
「ホルモン分泌に関係する遺伝子の異常。」
「ああ。」
ユーリイが頷く
「それなら前に聞いた。」
「そうそう。」
エンロも頷いた
「そこを治療したことで、君の生殖能力不能が解消されたのは以前話した通りだ。」
一瞬
部屋の時間が止まった
「「「「「え!?」」」」」
女性達の声が重なる
ユーリイの身体が固まる
ミークニーが目を閉じる
タッカーは露骨に顔を逸らした
エンロだけが、不思議そうに女性達を見ていた
「あれ?」
首を傾げる
「君達男性陣の生殖能力不能が解消されたって話。」
「彼女達にはしてなかったっけ?」




