鍛冶師
マースが足を止めた。
目の前には、奇妙な建物が建っている。
半球を伏せたような丸い屋根。
屋根からは二本の煙突が突き出し、ゆっくりと白い煙が空へ伸びていた。
壁の素材も見慣れない。
石とも金属とも違う、不思議な質感をしている。
「ここかな……。」
ロッキーに教えられた場所。
マースは小さく息を吸った。
「すいませーん!」
しばらくすると、中から一人の人物が姿を現した。
煤で顔も服も真っ黒だった。
年の頃は五十代ほどに見える。
「はーい。どちらさん?」
「ここにジクロさんという鍛冶師がいると聞いたのですが。」
「あら。」
その人物は笑った。
「私がジクロだけど?」
「え?」
思わず聞き返す。
「あなたが……ジクロさん?」
「ええ。」
マースは首を傾げた。
「ロッキーさんが『ジクロ爺さん』って言っていたので……。」
「あら、嬉しい。」
ジクロはくすりと笑う。
「爺さんっていうのは本当なの。」
「私、これでも今年で六十五歳よ。」
「ろ、六十五歳ですか!?」
「どう見ても五十代にしか……。」
「ふふっ。」
ジクロは少し照れくさそうに笑った。
「最近の若い子は口が上手ね。」
「それで、私に何か用?」
マースは慌てて腰のナイフへ手を伸ばいた。
「ロッキーさんから、このナイフが少し曲がっているって聞いて。」
「ここへ来れば調整してもらえるって。」
「ああ、なるほど。」
「ちょっと見せてくれる?」
「はい。」
マースは両手でナイフを差し出した。
ジクロはそれを静かに受け取る。
まるで壊れ物でも扱うような手つきだった。
そして。
先ほどまでの柔らかな笑顔が消える。
職人の顔だった。
光へかざし。
角度を変え。
刃先をじっと見つめる。
しばらく沈黙が続いた。
やがて、小さく頷く。
「……いいナイフね。」
「手入れもしっかりしている。」
さらに刃を見つめる。
「これを打った職人、相当腕がいいわね。」
その一言に、マースの表情が少し緩んだ。
「卒業の時、教官から頂いた大切なナイフなんです。」
「そう。」
ジクロはそれ以上は聞かなかった。
誰にもらったかではない。
どんな刃なのか。
どれだけ大切に使われてきたか。
職人として見ていた。
「ふーん。」
「曲がっているって言ったの、ロッキー?」
「はい。」
「ここから見てごらんなさい。」
ジクロがナイフを横へ向ける。
「この角度。」
「見える?」
マースも同じ目線まで腰を落とした。
じっと刃を覗き込む。
「あっ……!」
本当に僅かだった。
紙一枚にも満たないほどの歪み。
だが、一度気付くと確かに真っ直ぐではない。
「見えた?」
「はい……。」
「いい目をしてる。」
ジクロは優しく笑う。
「この歪みに気付けたのは、あなたがこのナイフを大事に使ってきたからよ。」
「道具を大切にする人ほど、小さな変化に気付けるものなの。」
マースは思わずナイフを見つめた。
ネメシスから渡された一本。
何度も薪を割り。
枝を削り。
料理にも使い。
毎日のように研いできた。
だからこそ。
この僅かな違和感にも気付けた。
「この程度なら、一時間もあれば直るわ。」
ジクロはそう言うと、工房の奥へ目を向けた。
「どうせなら、中も見ていく?」
「え?」
「鍛冶場。」
「せっかく来たんだから。」
マースの顔が明るくなる。
「はい!」
「ぜひ!」
「そう。」
ジクロは嬉しそうに頷いた。
「そういえば、あなたの名前は?」
「マっ……マース・ハナーキです。」
少し噛んでしまった。
ジクロは笑うこともなく、小さく頷いた。
「マースね。」
「いい名前。」
そう言って、工房の扉を開けた。
「じゃあ、行きましょうか。」
マースは深く一礼すると、その後を追って工房の中へ入っていった。




