手仕事
カリカリカリ……。
小さな音が続いていた。
木を削る音だった。
「おい、マース。」
声を掛けられ。
マースは手を止めて顔を上げた。
「ああ、タッカー。」
「何やってるんだ?」
「これ?」
マースは手にしていた木片を持ち上げた。
「駒を作ってるんだよ。」
「こまぁ?」
「そう。」
マースは当然のように答える。
「チェスの駒。」
「……お前、とうとうそこまで行ったのか。」
「何が?」
「いや。」
タッカーはマースのそばへ寄った。
そこには削りかけの木片が幾つか並べられていた。
二つのキング。
一つのクイーン。
まだ形は粗い。
左右も完全には揃っていない。
それでも。
少し離れて見れば、何を模したものなのかは十分に分かる。
マースの手元にあるのもクイーンだった。
こちらはまだ途中で。
先端の形を整えるため、少しずつ木を削っているところだった。
タッカーが一つを手に取る。
「へえ……。」
くるくると回して眺める。
「大したもんだな。」
「そう?」
「ああ。」
「俺だったら途中で面倒になって、ただの棒になる。」
「それは駒じゃないよ。」
「ポーンって言い張ればいい。」
「無理があるだろ。」
タッカーは笑いながら、手にしたキングを戻した。
「でも、これ全部作るのか?」
「そのつもり。」
「三十二個だぞ?」
「分かってるよ。」
「同じ奴、何個もいるぞ?」
「分かってるって。」
「ポーンなんか十六個だぞ?」
「だから分かってるよ。」
マースは苦笑した。
「ずーっとチェス打ってたらさ。」
削りかけのクイーンを見る。
「自分のが欲しくなってね。」
「村のを借りりゃいいじゃねぇか。」
「そうなんだけど。」
マースは少し笑った。
「帰ったら借りられないだろ?」
「ああ……。」
タッカーも納得した。
「そりゃそうだ。」
マースは再びナイフを当てる。
カリ。
カリカリ。
少しずつ木が削れていく。
タッカーはその手元をしばらく眺めていた。
「それ、後で磨くのか?」
「うん。」
「ただ、今は道具がないからね。」
マースは削った部分を指で撫でた。
「もっと細かく彫りたいところもあるんだけど、このナイフだけじゃ限界があるし。」
「じゃあ、これで完成?」
「まさか。」
マースは笑った。
「国に帰ったら道具を探して、ちゃんと仕上げるよ。」
「へえ。」
タッカーは再び駒を見る。
「三十二個全部?」
「三十二個全部。」
「……好きだねぇ。」
「好きなんだよ。」
「そうかい。」
タッカーは呆れたように笑った。
◇
「へえ。そんなことが。」
エンロが面白そうに頷いた。
「そうなんだよ。」
タッカーは笑う。
「チェス好きが高じて、とうとう駒まで手作りし始めてさ。」
「マースさんが?」
「ああ。」
「器用なんですね。」
「俺から見ればな。」
タッカーは肩を竦めた。
「ナイフ一本で木をカリカリ削ってるよ。」
「一度見てみたいですね。」
「いや、まだ大したもんじゃないぞ。」
タッカーは手で大まかな形を作る。
「ナイフで粗く削った程度だ。本人も細かい仕上げができないから、国に帰ったら道具を揃えて仕上げるって言ってた。」
「それなら。」
エンロは不思議そうに首を傾げた。
「ここで仕上げればいいのでは?」
「……え?」
「木工所がありますから。」
タッカーが瞬きをする。
「木工所?」
「ええ。」
「この村に?」
「ありますよ。」
「そこで、ああいう細かいものも作れるのか?」
「多分、マースさんがお望みの加工は一通りできると思いますが。」
「本当かい?」
「ええ。」
エンロは笑った。
「せっかく作るのでしたら、行ってみますか?」
◇
「ふわぁ……。」
木工所へ入ったマースは。
しばらく、その場から動かなかった。
目の前には。
見たことのない道具が並んでいた。
木を切るもの。
削るもの。
穴を開けるもの。
磨くもの。
一目で用途が分かるものもある。
だが。
どうやって使うのか想像すらできないものもあった。
王国にも木工職人はいる。
道具だってある。
鋸も。
鑿も。
鉋も。
マースとて、そうしたものを見たことくらいはある。
だが。
ここに並ぶものは違った。
「……これ、何に使うんです?」
マースが大きな機械を指差す。
「それは――」
エンロが答えようとして。
奥から声が飛んできた。
「おーい! 勝手に触るなよ!」
「触ってませんよ!」
「ならいい!」
男がこちらへ歩いてくる。
その後ろから、もう一人。
女性も一緒だった。
エンロが二人を紹介する。
「こちらが、ここの責任者のロッキーとイヴ。」
「プロフェリン夫妻です。」
男が手を上げた。
「ロッキーだ。よろしく。」
「マースです。」
マースも頭を下げる。
「よろしくお願いします。」
イヴもマースを見る。
「イヴだよ。」
「よろしく。」
「はい。」
ロッキーは早速、マースの腰や手元を見た。
「なんでも、チェスの駒を作りたいんだって?」
「ええ。」
マースは少し照れ臭そうに笑った。
「もう作り始めてはいるんですけど。」
「ほう。」
「でも、細かい仕上げができなくて。」
「作ったの持ってきた?」
「はい。」
マースは包んで持ってきた駒を取り出した。
キング。
クイーン。
そして。
まだ作りかけのクイーン。
ロッキーが手を出す。
「ちょっと見せてもらっていいか?」
「ええ。」
マースは作りかけのクイーンを渡した。
ロッキーは何も言わず。
駒を回す。
上から見る。
横から見る。
指で表面を撫でる。
削られた跡を見る。
「……これ。」
「はい?」
「何で作った?」
「何で?」
マースは腰を見る。
「ナイフですけど。」
「ナイフだけ?」
「ええ。」
ロッキーがイヴを見る。
「見てみろよ。」
「どれ?」
イヴが駒を受け取る。
同じように。
くるくると回して眺める。
「へえ……。」
指先で細工をなぞる。
「こりゃ、大したものだね。」
「そうですか?」
「ああ。」
イヴは駒の上部を指差す。
「ここなんか、かなり凝ってる。」
「まだ途中なんですけど。」
「途中だからだよ。」
ロッキーが横から駒を覗き込む。
「これ、あと少し彫りを入れて。」
指でなぞる。
「それから形を整えて、研磨してやれば。」
もう一度全体を見る。
「十分、製品として通用するぞ。」
「製品……。」
マースは少し驚いた顔をした。
「そんなにいいですか?」
「少なくとも、ナイフ一本でここまでやったなら大したもんだ。」
ロッキーが手を出す。
「そのナイフも見せてくれ。」
「これですか?」
「ああ。」
マースは腰からナイフを抜いた。
一瞬。
手が止まる。
それから。
柄の方をロッキーへ向けて手渡した。
「どうぞ。」
ロッキーは受け取ったナイフを見る。
刃を見る。
柄を見る。
角度を変え。
光に透かすようにして眺める。
「……いいナイフだ。」
マースの顔が少し緩んだ。
「そうですか。」
「ああ。」
ロッキーは刃先へ目を近づける。
「手入れもしっかりしてる。」
「大事なものなので。」
「へえ。」
ロッキーが顔を上げる。
「誰かに貰ったのか?」
「はい。」
マースはナイフを見る。
「学校を卒業した時に。」
少しだけ間を置く。
「教官から貰ったものです。」
「そうか。」
ロッキーはもう一度ナイフを見る。
「なら、大切にしないとな。」
「はい。」
「ただ。」
ロッキーの表情が少し変わった。
「ここ。」
刃を傾ける。
「ほんの少しだけ歪みがあるな。」
「歪み?」
「ああ。」
マースが覗き込む。
「……分からない。」
「まあ、この程度ならな。」
ロッキーは笑った。
「使えないほどじゃない。」
「でも、せっかく大事に使ってるんだ。」
ナイフをマースへ返す。
「一度、きちんと見てもらった方がいい。」
「見てもらう?」
「ああ。」
ロッキーは木工所の外を指差した。
「ジクロの爺さんって鍛冶師がいる。」
「鍛冶師……。」
「腕はいいぞ。」
マースは手元のナイフを見る。
「ジクロ……。」
「今度、時間がある時に持っていけばいい。」
「分かりました。」
マースはナイフを鞘へ戻した。
「ありがとうございます。」
「礼はジクロに言ってくれ。」
ロッキーは笑う。
「さて。」
そして。
木工所に並ぶ道具を指差した。
「ナイフ一本でこれだけ作れるなら。」
「ちゃんとした道具を使えば、もっと面白いぞ。」
マースが顔を上げる。
「……教えてもらえるんですか?」
「そのために来たんだろ?」
ロッキーは作りかけのクイーンを持ち上げた。
「まずは、こいつを仕上げてみようか。」
「はい!」
◇
それから。
マースは木工所に並ぶ道具を、一つずつ教えてもらった。
切る。
削る。
彫る。
穴を開ける。
磨く。
同じ木を加工するだけでも。
道具によって。
方法によって。
出来上がるものがまるで違う。
「うわ……。」
削られた木の表面を、マースは何度も指で撫でた。
「こんなに滑らかになるんですか。」
「まだ途中だよ。」
イヴが言う。
「これからもっと細かいので磨く。」
「これより?」
「ああ。」
「……。」
マースは道具を見る。
木を見る。
自分がナイフ一本で削った駒を見る。
また道具を見る。
「面白い……。」
小さく呟いた。
ロッキーが笑う。
「だろ?」
「はい。」
マースは素直に頷いた。
「凄く面白いです。」
その日は。
作りかけだったクイーン一つを仕上げるだけで終わった。
それも。
ほとんどはロッキーとイヴに教えられながら。
道具の持ち方。
木の固定の仕方。
削る方向。
力の入れ方。
マースは一つ一つ確かめながら覚えた。
出来上がったクイーンを手に取る。
最初にナイフだけで削ったものとは。
まるで違っていた。
「……。」
何度も回して眺める。
指で触れる。
机に置く。
また持ち上げる。
イヴが笑った。
「気に入った?」
「はい。」
マースは嬉しそうに答えた。
「凄く。」
「じゃあ、残り三十一個。」
「…………。」
マースの動きが止まった。
ロッキーが笑う。
「自分のが欲しいんだろ?」
「欲しいです。」
「なら作らないとな。」
マースは完成したクイーンを見る。
少し考え。
「……作ります。」
「全部?」
「全部。」
「大変だぞ。」
「分かってます。」
マースは笑った。
「でも。」
手の中のクイーンを見る。
「作りたいです。」
ロッキーとイヴが顔を見合わせた。
「なら。」
ロッキーが笑う。
「明日も来い。」
「はい!」
マースは即答した。
腰には。
いつものナイフが下がっていた。
ネメシス教官から貰った。
ずっと使い続けてきた一本。
そのナイフに。
ほんの僅かな歪みがあることを。
マースは、その日初めて知った。




