ランパダイタイ
朝の情報センター。
昨夜見た幻想的な光景が忘れられず、ミトゥは一人クエスのもとを訪れていた。
「クエス、ちょっと聞きたいことがある。」
『はい。』
「昨日の夜見た、あの光る虫なんだけど。」
『ランパダイタイですね。』
「そう、それ。」
ミトゥは少し照れくさそうに笑った。
「何匹か持って帰れねぇかな。」
『ランパダイタイを持ち帰りたい……ですか?』
「ああ。」
『無理です。』
即答だった。
「何でだよ!?」
『ランパダイタイ成虫の寿命は、およそ二週間から三週間です。』
「二週間から三週間……。」
『あなた方がこの森を出て、自国へ帰還する頃には寿命を迎えているでしょう。』
「そんなに短ぇのか……。」
昨夜、あれほど美しく飛び交っていた光。
それが、たった数週間の命だと知り、ミトゥは少し肩を落とした。
『仮に幼虫を持ち帰るとしても困難です。』
「幼虫なら育てられないのか?」
『幼虫はセミスルコスピーラ・リベルティナと呼ばれる巻貝を主食とします。また、この巻貝は──』
「澄んで奇麗な水じゃないと育たない。でしょうか?」
後ろから声がした。
振り返ると、そこにはジゼル・ベルナールが立っていた。
「おっ、中尉。お疲れさまっす!」
「ご苦労様です、ハーグボウ上等兵。」
軽く敬礼を返すと、ジゼルはクエスへ向き直る。
「どうでしょうか?」
『その通りです。』
『二〇〇〇年以上前でも、河川の汚染などの環境汚染によって、生息地は大幅に減少していました。』
『また、農薬の流入により、多くの水生動物が死滅しました。』
ジゼルはエンロから譲り受けた紙を紐で束ねた手製のノートを取り出し、素早く書き始める。
「環境汚染や農薬が、その後の人類へ与えた影響は?」
『多くの公害病が発生しました。死亡する者、生涯後遺症に苦しむ者も少なくありません。』
『農薬は害虫や雑草の駆除を大きく進歩させました。しかし同時に、益虫の淘汰も進めてしまいました。』
「益虫?」
『代表的なのは蜂です。』
『あなた方にとって蜂とは、蜂蜜が採れる虫という認識でしょうか。それとも刺されると痛みや熱を伴う害虫でしょうか。』
ミトゥが苦笑する。
「刺されると痛いんすよね。でも蜂蜜はうまい。」
ジゼルも頷く。
「私も、その程度の認識しかありません。他にも役割があるのでしょうか。」
『植物が実を結び、種を残すためには花粉を運ぶ存在が必要です。』
『蜂は、その代表的な生物でした。』
ジゼルは頷きながら書き続ける。
「分かりました。その農薬というものについて、詳しく教えてください。」
『承知しました。』
クエスの解説が始まり、ジゼルの質問も途切れることはなかった。
しばらく様子を見ていたミトゥは、小さく息を吐く。
「……では、失礼します。」
誰にも止められないうちに、そっと情報センターを後にした。
◇ ◇ ◇
外へ出ると、ちょうどユーリイ達が休憩していた。
「いやぁ、参った。」
「どうした?」
ユーリイが笑う。
「昨日見たランパダイタイを持って帰れないか聞きに行ったんだよ。」
「それで?」
「途中で、あの眼鏡掛けた真面目そうな中尉が来てさ。」
ユーリイが苦笑する。
「ベルナール中尉か。」
「そうそう。そのベルナール中尉。」
「気が付いたら、俺の話なんかどっか行って、中尉とクエスの勉強会になっちまった。」
「逃げてきたのか。」
「逃げてきた。」
ミトゥは肩を竦めた。
「あの人、本当に勉強家だわ。」
ユーリイも小さく笑う。
「何にでも関心を持つ人だからな。」
「そう言えば、うちにも似たようなのがいたな。」
二人の視線は自然と情報センターの奥へ向く。
そこではミークニーがクエスと向かい合っていた。
「つまり、生物には自己と非自己を区別し、非自己を排除する仕組みが備わっているのですね。」
『その理解で構いません。』
『しかし、免疫は病原体だけを排除する仕組みではありません。』
「どういうことでしょうか。」
『本来害のないものまで敵と判断し、過剰な反応を起こすことがあります。』
『それをアレルギー反応と呼びます。』
ミークニーは少し考え込んだ。
「アーモンドやピーナッツを食べた後に、皮膚へ発疹が現れたり、呼吸困難を起こした患者を診たことがあります。」
『それがアレルギー反応です。』
『免疫は生物を守るための仕組みです。しかし、その働き方を誤れば、生物自身を苦しめることもあります。』
ミークニーは静かに頷き、紙を束ねた手製のノートへ新たな一頁を書き加えた。
「……免疫とは、単純な防御機構ではないのですね。」
『はい。免疫学は、そこから始まります。』
ミトゥは感心したように口を開く。
「ほらな。」
ユーリイも苦笑した。
「ああ。確かに、似た者同士だ。」
二人は顔を見合わせ、小さく笑いながら情報センターを後にした。




