地図
情報センターの静けさの中、ユーリイは端末に映し出された画面を眺めていた。
文字だけでは分からない。
何か、もっと全体を知る方法はないだろうか。
ふと口を開く。
「クエス。」
「ナストロンドの地図を見せてくれ。」
『検索します。』
画面が一度暗転する。
そして次の瞬間、黒い画面いっぱいに緑豊かな山々が映し出された。
大小の山脈。
幾筋もの川。
森。
湖。
そして、その中央に白い施設が記されている。
「……。」
ユーリイは思わず息を呑んだ。
「これが……。」
「ナストロンドと、その周辺の地図か。」
『はい。』
『これは私の記録する、この施設とその周辺の地図です。』
画面を指でなぞる。
等高線こそ描かれていないものの、軍で使う地図とは比較にならないほど精密だった。
谷の形。
川幅。
森の境界。
細かな地形まで一目で分かる。
「すげぇな……。」
思わず呟く。
『ただし。』
クエスが静かに続けた。
『この地図の情報は、二千年前より更新されておりません。』
「更新?」
ユーリイが首を傾げる。
『新しい情報へ書き換えられていない、という意味です。』
「ああ。」
小さく頷く。
「それでも十分すごい。」
「山や川はそう簡単に変わるもんじゃない。」
その時だった。
「えー、何がすごいって?」
後ろから聞き覚えのある声がした。
ユーリイは反射的に振り返る。
「フォルティエ少尉!」
弾かれたように姿勢を正す。
その横で、タッカーも慌てて背筋を伸ばした。
二人のあまりに素早い反応に、エンロは目を丸くする。
「……。」
「君たち軍人って人種は、みんなそうなるんだね。」
タッカーが苦笑した。
「身体が勝手に動くんだよ。」
ユーリイも少し照れくさそうに笑う。
「染みついてるんだ。」
リュシエンヌは思わず吹き出した。
「ああ、そういうのはいいから。」
「ここ王国じゃないでしょ。」
二人は顔を見合わせ、小さく肩の力を抜く。
「それで?」
リュシエンヌはユーリイの隣へ歩み寄った。
「何を見てたの?」
ユーリイは少し身体を横へずらす。
「この地図です。」
「地図?」
軽い調子で画面を覗き込んだリュシエンヌだったが、その表情が徐々に変わっていく。
「……。」
画面を見つめたまま動かない。
指先で川筋を追い、山脈へ視線を移す。
さらに森の境界線。
街道らしき線。
細かな地形。
何度も見返す。
商家に生まれ育った彼女は、小さい頃から地図を見る機会が多かった。
王国の地図。
商人が持つ交易路の地図。
貴族家に伝わる古い地図。
それらと比較しても。
目の前の地図は異質だった。
「……これ。」
ようやく口を開く。
「どうした?」
ユーリイが尋ねる。
リュシエンヌは画面から目を離さない。
「すごいなんてもんじゃない。」
「軍が欲しがる。」
「商人も欲しがる。」
「国だって欲しがる。」
一呼吸置いて。
「国宝級よ。」
エンロは少し意外そうな顔をした。
「そこまでなのかい?」
「そこまで。」
即答だった。
「実家の仕事柄、色んな地図を見てきた。」
「でも、こんなの見たことがない。」
「精度が違いすぎる。」
エンロは静かに頷く。
「二千年前の祖先たちが残した地図だからね。」
「情報は古い。」
「でも、地形そのものは大きく変わらない。」
リュシエンヌは画面を見つめたまま、小さく息を吐いた。
「……これ。」
「書き写してもいい?」
「もちろん。」
エンロは穏やかに頷くと、近くの棚から数枚の紙を取り出した。
「これを使うといい。」
リュシエンヌは紙を受け取り、何気なく指先で表面を撫でる。
「……。」
その手が止まった。
もう一度、今度はゆっくりと紙の端から端まで指を滑らせる。
「へぇ……。」
思わず声が漏れた。
「何か問題あるのかい?」
エンロが首を傾げる。
「いや。」
リュシエンヌは苦笑した。
「逆。」
「かなりいい紙だよ。」
「そうなのかい?」
「うん。」
光へ透かしながら続ける。
「厚さが均一。」
「繊維も細かい。」
「表面も滑らか。」
「王国でも、こんな紙は滅多に見ない。」
タッカーが目を丸くする。
「そんなに違うのか?」
「違う。」
即答だった。
「王城ならあるかも……って思ったけど。」
少し考え直す。
「……いや。」
首を横へ振る。
「王城でも私は見たことない。」
「この白さ。」
「この手触り。」
「少なくとも、私が知っている紙とは別物。」
エンロは少し照れくさそうに笑った。
「そうなのか。」
「僕たちには普通だから、考えたこともなかったよ。」
「普通って……。」
リュシエンヌは苦笑しながら紙を見つめる。
「普通じゃないわ、これ。」
エンロは肩をすくめた。
「昔ほどじゃないらしいけどね。」
「祖先が使っていた紙には敵わないって聞いてる。」
「これで?」
「うん。」
「だから僕たちは、まだまだ勉強中なんだ。」
リュシエンヌは思わず笑った。
「……基準がおかしい。」
その様子を見ながら、ユーリイはぽつりと呟く。
「ここまでしてくれるのか。」
エンロが振り向く。
「うん?」
「俺たち。」
「まだこの村へ来て数日しか経ってない。」
「それなのに、こんな大事な物まで見せて。」
「紙までくれて。」
「見ず知らずの相手に、普通ここまでしないだろ。」
エンロは少しだけ考えるように空を見上げた。
「はは。」
「何でだろうね。」
少し間を置く。
「実は君たちを肥えさせて食べるつもりなんだ。」
「……。」
「……。」
情報センターの中が静まり返る。
タッカーが真顔でエンロを見る。
「笑えねぇよ。」
「ごめん、ごめん。」
エンロは慌てて両手を振った。
「冗談だよ。」
「そういう冗談はやめろ。」
タッカーが呆れたように息を吐く。
エンロは苦笑しながら頭を掻いた。
「でも、本当の理由か。」
少しだけ表情が柔らかくなる。
「村のみんなが歓迎してるのもある。」
「実はね。」
「正直に言うと、君たちをここへ迎え入れることに反対した人もいたんだ。」
ユーリイは少し驚いたように目を向ける。
「……そうだったのか。」
「うん。」
「二千年間、外から人が来なかった村だからね。」
「慎重になる人がいるのも当然なんだ。」
静かな空気が流れる。
エンロは小さく笑った。
「でも。」
「何でだろうね。」
「君たちが……。」
一度言葉を止める。
そして静かに続けた。
「いや。」
「君がいることで、大丈夫な気がしたんだ。」
「……俺?」
「そう。」
エンロは頷いた。
「まぁ、その時の君は夢の中だったけどね。」
ユーリイは思わず笑う。
「寝顔を見て決めたのか?」
「ははは。」
エンロは肩をすくめる。
「そういうことにしておこう。」
情報センターに笑い声が響く。
リュシエンヌはそのやり取りを聞きながら、再び地図へ視線を戻した。
二千年前の世界。
今とは違う国々。
今とは違う地名。
それでも。
山はそこにあり。
川は流れ。
人はその土地で暮らしていた。
彼女は静かに紙を机へ広げる。
「まずは、この辺りから写していこうかな。」
そう呟くと、ペンを手に取った。




