それぞれの興味
情報センターの中は静かだった。
本をめくる音もない。
それでも、不思議と図書館のような空気が流れている。
ユーリイは目の前の黒い板へ視線を落とした。
「何から見ればいいんだ……。」
「好きなことからでいいよ。」
エンロが穏やかに答える。
「ここには順番なんてない。」
「興味を持ったものから調べるのが一番長続きする。」
ユーリイは少し考え込む。
その横では、タッカーが既に端末へ向かっていた。
「クエス。」
「パン。」
『検索します。』
昨日と同じように、画面へ様々なパンが映し出される。
タッカーは真剣な顔でページを追っていたが、やがて首を傾げた。
「なぁ、クエス。」
「発酵って何だ?」
『発酵とは、微生物が糖を分解し、人に有用な物質へ変化させる現象です。』
「……。」
タッカーは腕を組む。
「食べ物が酸っぱくなることか?」
『一部は正しい認識です。』
『しかし、それだけではありません。』
「でもよ。」
「放っとくとドロドロに腐ることもあるだろ?」
「何が違うんだ?」
『発酵と腐敗は、どちらも微生物による変化です。』
「同じなのか?」
『はい。』
『人にとって役立つ変化を発酵。』
『役立たない変化を腐敗と呼びます。』
「へぇ……。」
タッカーは感心したように頷いた。
「紙一重なんだな。」
『そのように考えて差し支えありません。』
「微生物って何だ?」
『肉眼では見えないほど小さな生物です。』
『パンを膨らませる酵母。』
『病気を引き起こす細菌。』
『その他、多くの種類が存在します。』
「……。」
しばらく黙り込む。
「つまり。」
「パンの種って、生き物だったのか?」
『正確には、パン種の中で酵母が生きています。』
「うーん……。」
「うーん……。」
横で聞いていたユーリイが苦笑する。
「理解したか?」
「いや。」
「さっぱり分からん。」
エンロが思わず吹き出した。
「ははは。」
「全部理解しようとしなくても大丈夫。」
「でも、『どうしてそうなるのか』を知ろうとすることは、とても大切なんだ。」
タッカーは端末を見つめたまま小さく頷く。
「今まではな。」
「兵舎のおばちゃんに教わった通り作ってた。」
「おばちゃん?」
エンロが首を傾げる。
「ああ。」
「ほら、クウィーン……。」
「クウィーン・ダゲット伍長だよ。」
「ああ。」
ユーリイが笑う。
「食堂のおばちゃん、ダゲット伍長ね。」
「そうそう。」
「『考えるな。分量だけ間違えるな』って、よく怒られた。」
「お前、しょっちゅう怒られてたもんな。」
「仕方ねぇだろ。」
「補給の連中なんて料理の素人なんだからよ。」
少しだけ真面目な顔になる。
「でも。」
「何でそうなるのか分かれば、もっと美味く作れる気がする。」
エンロは静かに頷いた。
「その考え方なら、きっともっと上手になるよ。」
その様子を見ながら、ユーリイは別の端末へ向かった。
「クエス。」
「ナストロンド。」
『検索します。』
画面には施設の概要が表示される。
建設の目的。
施設配置図。
居住区。
農地。
医療施設。
ライブラリー。
見慣れない言葉が次々と並ぶ。
「全部読むのは無理そうだな。」
『推奨します。』
『興味のある項目から閲覧してください。』
「……お前もそう言うのか。」
ユーリイは苦笑した。
エンロも肩をすくめる。
「だから言っただろ?」
「ここは一日や二日で見終わる場所じゃない。」
「住んでいる僕だって、全部読んだことはないよ。」
「エンロでもか?」
「うん。」
「人一人が学べることには限りがあるからね。」
情報センターの中では、それぞれが思い思いの端末へ向かっていた。
知識を求める者。
興味本位で覗く者。
ただ眺めているだけの者。
誰一人として同じ画面を見てはいない。
ユーリイは静かに息を吐いた。
ここには剣も魔法もない。
あるのは、二千年以上前に存在したという超文明の知識。
そして、この村が築かれてから積み重ねられてきた二千年の歴史と知恵。
それは戦場では決して手に入らなかった、もう一つの力なのかもしれなかった。




