不帰の樹海㊴
雨
止まない。
枝から枝へ
葉から葉へ
雫が落ちる。
誰も喋らない
喋る余裕がなかった。
泥
血
汗
疲労
全員がそれを引きずりながら歩いている。
ユーリイは先頭付近を歩いていた。
足元を見る。
周囲を見る。
耳を澄ませる。
それを延々と繰り返す。
後方で誰かが滑った。
誰も笑わない。
起こす者もいない。
転んだ兵は自分で立ち上がり
再び列へ戻る。
それだけだった。
「……腹減ったな。」
ぽつりと声が漏れた。
救援部隊の若い兵士だった。
誰も振り返らない。
「当たり前だろ。」
少し離れた場所から返事が飛ぶ。
「帰ったら食うぞ。」
「何を?」
「何でもいい。」
小さな笑いが起きた。
「私はパンがいいな。」
「贅沢だな。」
「焼きたて。」
「もっと贅沢だ。」
今度は何人かが本当に笑った。
長くは続かない。
すぐに沈黙が戻る。
それでも少しだけ空気が軽くなった。
「ああ……母さんたちのヤギのシチュー食いたかったな。」
誰かが呟く。
返事はなかった。
ただ何人かが頷いた。
ユーリイは前を見たまま歩く。
樹海は暗い。
雨で視界は悪い。
風向きも変わる。
匂いも流れる。
嫌な森だった。
ふと
ユーリイの足が止まった。
一歩
その場で静止する。
後続が不思議そうな顔を向ける。
オーレリアが眉をひそめた。
「どうしました?」
返事はない。
ユーリイは森を見ていた。
何かいる。
そんな気がした。
理屈ではない。
戦場で何度も命を救った感覚だった。
背筋に冷たいものが走る。
ユーリイはゆっくりと手を上げた。
全員停止。
不能部隊が止まる。
近衛が止まる。
救援部隊も止まる。
雨音だけが残る。
静かだった。
異様なほど静かだった。
その時
樹海の奥から低い唸り声が響く。
グルルルル……
誰かが息を呑んだ。
一つではない。
二つでもない。
三つでもない。
暗闇の中
いくつもの光が揺れた。
金色の瞳
獣臭
殺気
そして
森の奥で何かが動いた。




