不帰の樹海㊳
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「走る準備した方がいいっす」
イツォの声に。
その場の空気が変わった。
ユーリイが森の奥を見る。
だが。
何も見えない。
木々が邪魔をしている。
「何がいる」
「分からないっす」
イツォは答えた。
「でも多いっす」
その言葉だけで十分だった。
ユーリイは振り返る。
「クレール少尉」
「聞いていた」
クレールも既に剣へ手を掛けていた。
「全員警戒」
命令が飛ぶ。
五十三名が動く。
食事の空気は消えた。
兵士達の顔になる。
やがて。
聞こえた。
遠くから。
木が折れる音。
一本ではない。
二本でもない。
連続している。
そして。
地面が揺れた。
「何だ……?」
マルグリットが呟く。
その瞬間だった。
森の奥から飛び出してきたのは。
巨大な鹿だった。
普通ではない。
馬ほどもある巨体。
枝のように広がった角。
血走った目。
だが。
誰も安堵しない。
その鹿は逃げていた。
何かから。
続いて二頭。
三頭。
四頭。
群れだった。
鹿達は一行の存在など気にもしない。
脇を駆け抜けていく。
「おい」
タッカーの顔が引き攣る。
「嫌な予感しかしねぇぞ」
同感だった。
鹿が逃げる。
それも群れで。
ならば。
何から逃げている。
答えはすぐに現れた。
木々の向こう。
黒い影。
一つ。
二つ。
三つ。
いや。
もっといた。
狼だった。
だが普通ではない。
大人の胸ほどもある体高。
飢えた目。
群れ。
十頭では利かない。
二十。
あるいはそれ以上。
「散開するな!」
クレールが叫ぶ。
「円陣を組め!」
兵士達が動く。
王女を中心に。
外周へ盾持ち。
弓兵が後方へ下がる。
その動きは見事だった。
流石は正規軍。
だが。
ユーリイは違う方向を見ていた。
狼ではない。
さらに奥。
森の暗がり。
まだ何かいる。
大きい。
狼より。
ずっと。
「ユーリイ!」
タッカーの声。
次の瞬間。
森が弾けた。
巨大な黒い塊が飛び出す。
熊だった。
誰もが息を呑む。
見上げるほど巨大だった。
そして。
その熊に追われるように。
狼達もまた走っている。
イツォが青い顔で呟いた。
「最悪っす……」
「何だ」
ユーリイが問う。
「縄張り争いっす」
その言葉と同時だった。
狼の群れが進路を変えた。
真っ直ぐ。
五十三名へ向かって。
「来るぞ!」
クレールが叫ぶ。
そして
不帰の樹海は
初めて自分たちに本気で牙を剥いた。




