第6話:国境を越える前に、一つお土産を
「……失礼ながら陛下。わたくし、あれを『軍隊』と呼ぶのは、辞書に対する冒涜だと思いますわ」
ヴァレンシュタイン帝国の国境砦。その城壁の上から眼下を見下ろし、わたくし――セラフィナ・フォン・アストレアは、心底呆れたように溜息をつきました。
国境線を挟んで対峙するアルカディア王国軍。
かつては大陸でも有数の軍容を誇ったはずの彼らは、今や見る影もありません。
騎士たちは、わたくしが回収した白銀の鎧の代わりに、あり合わせの革切れや、ひどい者は布を幾重にも巻きつけただけの無様な姿を晒しています。手にする武器も、錆びた古い槍や、農具を改造したような代物ばかり。
その中央で、一頭の貧相な馬に跨っているのは、ジュリアン王太子の側近であった若き騎士――カイル卿でした。
「ヴァレンシュタイン皇帝に告ぐ! 我が国の至宝たる聖女エラ様は、貴国へ亡命した悪女セラフィナの呪いによって、慈愛のパンを焼く魔力を奪われた! 速やかに我が国の物資を返還し、悪女を引き渡せ! さもなくば、正義の名のもとに貴国を蹂躙せん!」
……あら、あらあら。
わたくしの名前、いつの間にか「呪いの元凶」に書き換えられてしまいましたのね?
わたくしが奪ったのは魔力ではなく、ただの「未払いの代金」なのですが。
「セラフィナ殿。……笑ってもよいか?」
隣に立つアルリック陛下が、剣の柄に手をかけたまま、低く笑いを漏らしました。
彼の背後に控えるのは、わたくしが提供した最新の魔導鋼の鎧に身を包み、十分な食事で漲る筋肉を躍動させている帝国の精鋭たち。
「許可いたしますわ、陛下。……ですが、笑うのは『清算』が終わってからになさい。マリアンヌ、例の『お土産』の準備は?」
「はっ。既に配置済みです。お嬢様が仰った『一パーセントの誤差』、ここでも有効に活用させていただきます」
わたくしは、右手に持った扇子を静かに閉じました。それが合図です。
「……全軍、前へ!」
アルリック陛下の号令とともに、砦の門がゆっくりと開かれました。
現れたのは、わずか五十名の帝国重装歩兵。
対する王国軍は、数だけは三千を超えています。ですが、帝国兵が一歩踏み出すたびに、大地を揺らすその重厚な足音と、磨き抜かれた鎧が放つ威圧感に、王国兵たちの顔がみるみる青ざめていきました。
「ひ、怯むな! 数はこちらが上だ! 正義の光を信じれば、あんな鉄の塊など――」
カイル卿が叫び終える前に、衝突は始まりました。
……いいえ、衝突と呼ぶにはあまりに一方的。
王国兵が振るった錆びた剣は、帝国兵の魔導鎧に触れた瞬間に、ガラス細工のように粉々に砕け散りました。対して帝国兵が振るう一撃は、王国の騎士たちの「布の防具」を易々と切り裂き、彼らを文字通り紙切れのように吹き飛ばします。
「なっ……なぜだ! なぜこれほど力が違う!?」
「単純な計算ですわ、カイル卿」
わたくしの声は、拡声の魔導具を通じて戦場に響き渡りました。
「あなた方が振るっているのは、わたくしが十年前の棚卸しで『廃棄処分』とした鉄屑。そして帝国が振るうのは、わたくしが最新の理論で投資した最高品質の鋼。……資産価値の差が、そのまま生存率の差となって現れているだけですわ。おーっほっほっほ!」
王国の兵士たちは、もはや戦う意志を失い、武器を投げ捨てて逃げ惑い始めました。
愛だの正義だのという言葉は、命のやり取りをする現場では、一ミリの厚みの鋼鉄にも勝りませんのよ。
ですが、本当の絶望はここからでした。
「が……はっ、あ……あああ!」
敗走する王国兵の一人が、突然その場に崩れ落ちました。
攻撃を受けたわけではありません。彼は、喉を掻き毟りながら、何かを吐き出そうとしていました。
その口から溢れ出したのは、未消化の……パンの塊。
「お、おい、どうした!?」
駆け寄った同僚の兵士が、その男の腕を掴んだ瞬間、悲鳴を上げました。
倒れた男の肌が、見る間に色を失い、まるで数百年放置された枯れ木のように、カサカサとした茶色の質感に変貌していったのです。
「熱い……体が、熱い……っ! 聖女様のパンを……もっと、もっと食べないと……!」
男の瞳は灰色に濁り、その肉体からは生命エネルギーである「魔力」が、目に見えるほどの黒い霧となって噴き出していました。そしてその霧は、空気中へと消えるのではなく、遥か後方――アルカディア王都の方角へと吸い込まれていく。
わたくしは、城壁の上でその様子を冷徹に見つめていました。
「マリアンヌ。計測を」
「……確認しました。聖女のパンによる『魔力の逆流』です。摂取者の生命力を強制的に変換し、パンの生成元である『聖女』へと還元しています。……これはもう、食事ではなく、ただの『搾取』ですわね」
隣で見ていたアルリック陛下の顔から、色が消えました。
「セラフィナ殿……あれが、王国が称賛していた『無償の救済』の正体か?」
「ええ、陛下。無から有は生まれない……。彼女が民に与えたパンの代金は、民の『寿命』という名の強制徴収によって支払われていた。……あまりに効率の悪い、悪魔の経済ですわね」
倒れた王国兵は、そのまま動かなくなり、最後には風に吹かれた砂のように、サラサラと崩れて消えてしまいました。
その場に残されたのは、彼が纏っていた布切れと、わたくしがかつて支給した、ボロボロの軍靴だけ。
「……引き上げますわよ、陛下。あちらの国は、外敵が手を下すまでもなく、中から自壊しますわ」
わたくしは背を向けました。
王国に残した「一パーセントの誤差」。それが結界を弱め、中の魔力を漏らしている。
そして聖女がそれを補うためにパンを焼き、民の命を吸う。
まさに、破産へと突き進む国家の、理想的なデス・スパイラル。
「お土産は、十分に渡しましたわ。……さあ、マリアンヌ。次はこの帝国の『金庫』に、王国から流れ出す魔力をどう『貯金』するか……その計算を始めましょうか」
わたくしの背後で、国境の荒野に、王国の兵士たちの絶望の叫びが虚しく響き続けていました。
お読みいただき、ありがとうございますわ。
最新装備の帝国軍による「完封」と、聖女様のパンの「恐ろしい真実」。
スカッとするはずの「ざまぁ」の裏側に、少しだけ背筋が凍るようなホラーを混ぜてみましたの。
愛という名の搾取で、民を枯れ木に変えていく聖女エラ様。
そして、それすらも「経済的な破綻」として冷徹に分析するセラフィナ様。
王国の滅亡は、もう誰にも止められませんわ。
さて、次回から第3セットが始まります。
第7話「隣国の皇帝は、今日も食費を削る」。
戦いには勝ったものの、帝国の財政は依然として火の車!
セラフィナ様が、皇帝陛下の「プライベートな家計簿」にまで容赦なくメスを入れますわ。
もし「聖女様の正体、怖すぎるわ……!」や「セラフィナ様の冷徹さが最高!」と思ってくださったなら、ぜひブックマークを。
そして、下の【☆☆☆☆☆】を、帝国軍の鎧のように輝く【★★★★★】にしてくださると、わたくしの筆にさらなる魔力が宿りますわ!
それでは、次回の更新もお楽しみに。ごきげんよう。




