第3話:ストライキはお嫌いかしら?
「……なんだ、この静けさは」
婚約破棄の翌朝、王宮の執務室でジュリアン王子は戦慄していました。
本来ならば、朝の訓練に励む騎士たちの唱和や、慌ただしく立ち働く下男たちの足音が聞こえてくるはずの時間。ですが、窓の外に広がるのは、不気味なほどの静寂でした。
「お、おい! 誰かいないのか! 私の朝食はどうした!」
ジュリアンが扉を開けて叫びます。
廊下には、本来なら数歩ごとに立っているはずの近衛兵の姿もありません。
ようやく現れたのは、昨夜セラフィナに資産を没収され、粗末な布切れ一枚を纏っただけの情けない騎士団長でした。
「殿下……。申し訳ございません。現在、近衛騎士団ならびに城内勤務の兵士たちは……全員、持ち場を離れております」
「持ち場を離れただと!? 敵前逃亡か! 軍法会議にかけて死刑にしてくれる!」
「いえ、そうではありません。彼らは『正当な権利』を行使しているだけだと……」
騎士団長が差し出したのは、一枚の書面でした。
そこには、達筆な、しかしどこか見覚えのある筆跡でこう記されていました。
『本日期限の給与、ならびに食糧手当の支払いが確認できません。アストレア家との預金口座凍結に伴い、当組合は「無償労働の拒否」を宣言いたします。……追伸、愛があればお腹は膨れませんわよね?』
「セ、セラフィナぁ……ッ!」
ジュリアンは書面を握りつぶしました。
そう、この国の兵士たちの給料は、形式上は王家から支払われていましたが、その原資の九割は、セラフィナが経営する商会からの「寄付」と「特別融資」で賄われていたのです。
兵士たちは知っていました。
王家は豪華なパレードには金を出すが、自分たちの靴や、家族に送るわずかな金貨を工面していたのは、常に「悪女」と呼ばれたあの令嬢であったことを。
城門の前では、すでに武装を解いた騎士たちが列をなしていました。
彼らは、王子の命令を無視し、門を封鎖しています。
「どけ! そこをどけ! 私は王太子だぞ!」
「殿下、お引き取りを。我々の装備はセラフィナ様に回収されました。そして今、彼女は隣国へ向かわれた。我々が守るべき『給料袋』も、彼女と一緒に去ったのです」
「貴様ら……反逆か! エラ! エラはどこだ! 聖女の力で、この不届き者たちを屈服させろ!」
ジュリアンが叫ぶと、廊下の奥から聖女エラが姿を現しました。
ですが、彼女の顔にいつもの慈愛に満ちた微笑みはありません。
「ジュリアン様……。わたくしの『奇跡』が、発動しないんです……っ」
「……なんだと?」
「王宮を包む魔導結界の出力が、急激に低下しています。わたくしの聖なる力は、結界からの魔力供給を受けて増幅されていたはずなのに……。結界の核が、計算ミスのようなノイズに侵食されて……!」
エラが震える指で空を指差します。
王都の空を覆っていた薄紅色の防衛ドーム。そこに、細かな「ひび」のような紋様が浮かび上がっていました。
それは、セラフィナが「一パーセントの誤差」と呼んだ、緻密に計算された不具合。
結界を維持するための魔力計算式に、彼女だけが解除できる「未払いの請求書」を紛れ込ませていたのです。
セラフィナという管理者を失ったシステムは、今、自らの重みに耐えきれず崩壊を始めていました。
「な、なおせ! 今すぐ魔導師たちに修正させろ!」
「無理です! あの複雑な数式を理解していたのは……この国で唯一、セラフィナ様だけだったのですから!」
ジュリアンの顔から、一気に血の気が引いていきました。
彼が捨てたのは、単なる「口うるさい女」ではありませんでした。
この国の経済、軍事、そして魔法的な防御機構……そのすべてを司る「心臓」を、自らの手で抉り出したのだという事実に、ようやく気づき始めたのです。
一方その頃。
国境を越えたセラフィナは、隣国ヴァレンシュタインの簡素な、しかし清潔な宿営地で、優雅に温かいスープを口にしていました。
「お口に合いますか、セラフィナ殿。我が国の食事は、君がいた王国に比べれば、土くれのようなものだろうが」
皇帝アルリックが、自らスープのポットを手に問いかけます。
セラフィナは、ふわりと微笑んで首を振りました。
「いいえ、陛下。わたくし、こういう『実直な味』は嫌いではありませんわ。……それに、このスープには、王国にはなかった最も重要な調味料が含まれていますもの」
「……調味料?」
「ええ。『誰の金で、誰を養っているか』という、明確な責任ですわ」
セラフィナは、マリアンヌから受け取った新しい帳簿をテーブルに広げました。
真っ白なページ。そこに、彼女は最初の一行を書き込みます。
『ヴァレンシュタイン帝国・軍備再建計画:予算規模、王国の全資産相当。……回収見込み、無限大』
「陛下。わたくしは慈善家ではありませんわよ? 十年前、あなたに『鉄屑』を差し上げた時の利息……まずは、この国の鉱山開発権から差し押さえさせていただきますわね」
「ああ、好きにするがいい。……我が国は、今この瞬間から君の所有物だ」
アルリックは、彼女の不敵な笑みに魅了されたように、その手を取って接吻しました。
王国が「無償の愛」という名の空虚な幻想に沈みゆく中。
セラフィナは隣国で、冷徹な「再投資」の牙を剥き始めたのでした。
お読みいただき、ありがとうございますわ。
王子の朝食が消え、騎士たちが「給料袋」を求めてストライキを起こす。
実に見事な没落のプロローグだと思いませんこと?
「愛さえあれば」と笑っていた聖女様の奇跡が、魔力供給(お金の代わり)を絶たれて不発に終わる……。
現実を見ない者たちへの、これがセラフィナ様からの最初の「利息」ですわ。
さて、次回からは舞台を完全に隣国へ移し、セラフィナ様による「極貧帝国の爆速改造」が始まりますわ。
皇帝陛下との、契約という名のロマンスも少しずつ動き出す予感がいたしますわね。
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それでは、次回の更新もお楽しみに。ごきげんよう。




