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あの子の給食袋  作者: お寿司
第三幕 崩壊

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いく

『13日目


いく』


 ◇


テキストは「いく」で終わっていた。


13日間の日記だった。最初の日は何行も書いていた子供が、最後の日に1語だけ残していた。その後の記述はなかった。


椅子のきしむ音がした。自分の椅子だった。背もたれに体重がかかっていて、それを意識したのは今が初めてだった。


MacBookの画面から目を離した。デスクの上のペットボトル。キャップが閉まっている。エアコンの送風音が部屋を満たしている。充電ケーブルの接続ランプが点灯したまま動かない。


キッチンの蛇口から水が落ちる音がした。蛇口を閉め忘れていた。立ち上がろうとして、膝の裏がこわばっていた。3時間、同じ姿勢で座り続けていた。


蛇口を閉めた。水滴が排水口にひとつ落ちた。


デスクに戻った。取材ノートを開いた。ペンを持った。ペン先がページの表面に触れたまま動かなかった。


時計を見た。午前1時を過ぎていた。美澄のテキストを読み始めたのは午後10時過ぎで、3時間が経っている。3時間で読み終わるテキストの量ではなかった。何度も止まった。何度も画面から目を離して、また戻った。途中で水を飲んだことを覚えているが、どの段落で止まったのかは覚えていなかった。


いつもの手順なら、まずテキストの構造を分類する。書き手の特定、書かれた時期の推定、内容の要約、矛盾点の列挙。USB-Aのときはそうした。医療記録のフォーマットを確認して、地域を特定して、美澄の短文から語彙レベルを推定した。同じことをやればいい。


取材ノートに、ペンで一行だけ書いた。


「瀬川美澄 離れ 13日間」


ペンを置いた。いつもなら6項目でも8項目でも書き出せる。レシートの時系列を並べたときも、転出届の筆跡を分析したときも、ペンは止まらなかった。分析対象として扱えばペンは動く。今はこの一行で手が止まっていた。


8歳の子供だった。「ころしてやる」に変わるまでに12日。12日前にはあげパンのきなこの話を書いていた。


レシートの数字を並べて「補給」と呼んでいた。あの数字のひとつひとつの間に、あの子供の3日間があった。


「いく」。美澄は13日目に離れを出た。


日記の1日目。美澄は橋のことを書いていた。家の近くの橋から見える夕焼けが、猫の顔に見えると。椿市の地図コピーに「北橋」の書き込みがあった。和彦のメモ断片——「キタハシ 1740」。あの橋と時刻だった。夕日の猫が見える時間。


ペンを拾い上げて、取材ノートにもう一行書き足した。


「17:40 北橋 西日」


渉にLINEを送ろうとした。文面を打ち始めた。「USB-Bの復号が」。指が止まった。バックスペースを押した。文字を消した。何を報告すればいいのか分からなかった。復号が成功したこと。美澄のテキストが出てきたこと。離れのこと。13日間のこと。報告する内容はある。言葉にできる情報はある。でも画面を見ると、打つべき文章が出てこなかった。


渉にも弟がいた。海斗もこのサイトの向こう側にいて、同じテキストに辿り着いていたかもしれなかった。渉がそれを知ったら何を思うのか。報告は明日にする。今の自分の文面では情報としても不10分だった。


LINEの入力欄を空白のまま閉じた。


スマホをデスクに伏せて置いた。画面の光が消えた。


MacBookの画面だけが部屋の中に残っている。スクロールバーの一番下。「いく」がテキストファイルの最後に表示されていた。


明日は12日目だった。明日の夜には残り1日になる。


ノートを閉じた。エアコンの送風音が変わらずに続いていた。窓の外は暗かった。

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