十三日間
取材ノートの6項目を見返した。最後に書いたのはUSB-B復号鍵候補のsakuraで、ノート26ページの走り書きから拾ったものだった。
レシートの時系列分析で13日間の隔離補給が確定し、転出届から美澄の実名が判明し、祖母の電話メモの余白に手紙と同じ文字列が見つかった。物証を1通り洗い直して、残っている未確認事項はUSB-Bの中身だけだった。
デスクの引き出しからUSBメモリを取り出した。3本のうちのB。USB-Aは医療記録と美澄の短文3つが入っていて、USB-Cは空だった。Bだけがパスワード付きの暗号化ファイルで、前回は開けずに保留にしていた。
MacBookのUSBポートに差し込んだ。ドライブが認識されて、ファイルがひとつだけ表示された。暗号化されたファイル。パスワード入力のダイアログが開いた。
入力欄にカーソルが点滅している。
sakura。6文字を打った。エンターキーを押した。
1秒ほどの間があった。画面が切り替わった。ファイルが復号されて、テキストファイルが開いた。
最初の数行が目に入った。「このゲームには3つのエンドがある」。
和彦の方眼ノートに書かれていた言葉と同じだった。「ふたつある。でも3つ目がある」。ノートではそこまでしか分からなかったものが、テキストファイルの中に完全な形で記されていた。3つのエンド。3つの結末。
その下に、もうひとつのブロックがあった。
長文だった。改行が多い。短い文が並んでいる。ひらがなが多い。漢字が少ない。
USB-Aに入っていた美澄の短文と同じ手触りだった。
スクロールした。テキストの末尾まで目を走らせた。長いテキストだった。全文がひらがな中心の短文で構成されている。句読点の打ち方に迷いがない。読点が多い。
日記だった。「1日目」「2日目」と日付が振られている。13日分。
和彦がパスワードをかけて暗号化したテキスト。かぎはsakura。USBメモリの奥に隠された言葉。
先頭に戻った。一行目から読み始めた。
◇
『1日目
きょうからここに来ました。おかあさんに「しばらくここにいなさい」って言われて、はなれに入りました。
「ここ」ははなれです。家のしきちの中にある、ちいさいたてものです。前はおじいちゃんが使っていたけど、おじいちゃんが死んでからはだれも使っていませんでした。たたみが6まいの部屋です。まどがひとつだけで、ちいさくて、家のほうじゃなくて山のほうを向いています。ふすまがひとつあって、向こうはおしいれで、中にもうふが2まいありました。
「どのくらい?」って聞きました。
おかあさんは答えませんでした。もうふをわたして、ドアをしめました。かぎがかかる音がしました。
ここに来たのは、学校のアンケートのせいだと思います。
学校がすきでした。べつにべんきょうがすきだったわけじゃなくて、きゅうしょくがすきでした。火曜日のカレーと、木曜日のあげパンがすきでした。あげパンはきなこのやつで、くちのまわりがきなこだらけになるから、みんなで顔を見せあって、わらいました。
休み時間はまーちゃんとゆかちゃんとしゃべりました。まーちゃんはネコがすきで、ネコの絵をいつもノートのすみに書いていました。わたしもネコがすきです。家の近くの橋から見える夕やけが、ネコの顔に見えることを、まーちゃんに教えました。まーちゃんは「うそだあ」って言ったけど、ほんとうです。
先生は国語の先生で、やまだ先生といいます。やまだ先生は、わたしが作文をよく書くので、「きみは書くのがうまいね」って言ってくれました。それがうれしかったから、もっと書くようになりました。
そういうふつうの日に、学校のアンケートがありました。「家で気になることがあったら書いてください」って書いてあったから、おとうさんがときどきおかあさんをなぐることを書きました。おばあちゃんが「だれにも言うな」って言うことも書きました。ほんとうのことです。
先生がアンケートを読んで「これはほんとうのこと?」って聞きました。はいって言いました。先生は「わかった、ありがとう」って言いました。
そのあとのことは、よくおぼえていません。先生が家に電話をかけたのか、だれかがだれかに話したのか、わかりません。でも家に帰ったら、おとうさんの顔がちがいました。なにがちがうのか、ことばにできませんでした。でもぜんぶがちがいました。
夕ごはんの味がかわりました。おかあさんのつくるみそしるが、うすくなりました。前とおなじざいりょうで、前とおなじなべで、前とおなじ時間に出てくるのに、味がちがいました。おかあさんの手がなにかをわすれているみたいでした。
おとうさんは帰りがおそくなりました。前はごはんのときに「今日は学校どうだった」って聞いてくれたのに、聞かなくなりました。しょくたくで目を合わせなくなりました。
おかあさんは買い物のりょうがふえました。食パンをたくさん買うようになりました。水のペットボトルも。「だれがそんなに食べるの」ってにいちゃんが聞いたら、おかあさんは「いいから」って言いました。おかあさんの声がちいさくなりました。前より、ずっとちいさくなりました。
おばあちゃんは電話のあとにためいきをつくようになりました。電話がかかってくると、おばあちゃんはいつも同じことを言いました。「だいじょうぶ」「げんきにしている」「しんぱいいらない」。電話が終わると、台所で水をのんで、ためいきをついて、また電話がかかってきて、同じことを言いました。
にいちゃんは、学校で話しかけてこなくなりました。前は「おい」って声をかけてくれたのに、ろうかですれちがっても目をそらすようになりました。にいちゃんが目をそらしたのを見たとき、手がつめたくなりました。
きゅうしょくぶくろの名前のししゅうが、いつのまにかほどかれていました。おかあさんに聞いたら、「あたらしくぬいなおすから」って言いました。でもぬいなおされることはありませんでした。
ここまでが、ふつうじゃなくなるまでのことです。それで、きょう、はなれに来ました。
れんらくちょうに書いています。学校のかばんごとはなれに入ったから、かばんの中にれんらくちょうがありました。えんぴつも消しゴムもあります。』
ペットボトルのキャップを回した。水を一口飲んだ。画面に目を戻した。
『2日目
朝はまどからひかりがはいってきて、わかりました。光がたたみの上をゆっくりうごいて、かべにのぼって、やがて消えると夕方です。
昼間は山のほうから鳥の声がきこえます。カラスと、名前のわからない小さい鳥。ときどき犬のなき声。風が強い日は、まどがかたかた鳴ります。
夜はもうふにくるまります。11月で、だんぼうがありません。まどのすき間から風がはいってきます。手がつめたくて、足がつめたくて、もうふを頭までかぶります。もうふはほこりのにおいがしました。おじいちゃんのころの、ふるいおしいれのにおいです。
家のほうから音がきこえます。テレビの音。おかあさんがお皿をあらう音。おとうさんがげんかんのドアをしめる音。にいちゃんの足音。足音は2階にあがって、しばらくして聞こえなくなりました。
みんなはふつうに夜をすごしています。わたしだけがはなれにいます。さみしいです。
てんじょうのすみにクモがいました。ちいさいクモで、すをはっています。クモは動かないでじっとしていました。わたしもじっとしていました。クモだけが、この部屋でわたしのほかに生きているものです。
夜になると、なにも見えなくなります。まどの外も暗くて、はなれの中も暗くて、目を開けていてもとじていても同じです。だから音をきくしかありません。たたみのにおいと、もうふのにおいと、自分の息のにおい。暗い部屋の中で、においだけがかわりません。
3日目
朝、ドアが開きました。
おかあさんの足音でした。足音でわかります。おかあさんの足音は左足がすこしおそいです。ドアが開いて、ビニールぶくろが中にはいってきました。食パン。水のペットボトル。カップラーメン3つ。カイロ4つ。
おかあさんの手がビニールぶくろをゆかにおきました。わたしはおかあさんの顔を見ようとしました。でもおかあさんはうつむいていました。
「おかあさん」って言いました。
ドアがしまりました。かぎがかかりました。おかあさんは声を出しませんでした。
カイロを開けました。ふると、だんだんあたたかくなりました。鉄のにおいがしました。カイロの鉄のにおいは、はなれで1ばん安心するにおいです。手のひらにのせると、じんわりあたたかくて、なきそうになりました。でもなきませんでした。ないたら家に聞こえるかもしれないと思ったからです。
カップラーメンはお湯がないので食べられません。食パンを1まい食べました。水をのみました。食パンのにおいはあまいにおいでした。家の台所でおかあさんが朝ごはんに出してくれた食パンと、同じにおいでした。
友だちのことを思い出します。まーちゃんが「さいきんおかあさんげんきないね、だいじょうぶ?」って聞いてきたことがありました。「だいじょうぶ」って言いました。だいじょうぶじゃなかったけど、だいじょうぶじゃないことをどう言えばいいかわかりませんでした。』
指がトラックパッドから離れた。スクロールが止まった。エアコンの風が首筋に当たっている。画面に目を戻した。
『4日目
だれも来ませんでした。
食パンを1まい食べました。のこり4まい。水はペットボトルの半分くらい。
きょうは学校がある日です。たぶん火曜日。火曜日のきゅうしょくはカレーです。まーちゃんとゆかちゃんがすわっているテーブルの横に、わたしの席があります。あいているはずです。先生は「きょうは美澄さんお休みです」って言ったのかな。なんて言ったんだろう。さみしいです。まーちゃんに会いたい。
にいちゃんのことを考えました。にいちゃんは前に、わたしにあんごうノートをつくってくれたことがあります。記号のたいおう表をつくって、手紙を交かんしました。◎はネコ。△はやま。□はいえ。あのときの記号をおぼえています。にいちゃんもおぼえていてくれたら、この日記が読めるはず。
5日目
だれも来ません。
風が強い日です。まどがかたかた鳴っています。カイロがひとつつめたくなりました。のこり3つ。
食パンを1まい。のこり3まい。
夜がこわいです。暗いと、自分がここにいるのかどうかもわからなくなります。声を出してみました。「おかあさん」って言いました。声が出ることをたしかめたかっただけです。だれにも聞こえないのはわかっています。
6日目
朝、ドアが開きました。おかあさんの足音です。
ビニールぶくろの中に食パンと水とカップラーメンが入っていました。カイロはありませんでした。前より少ないです。でもお湯を入れたまほうびんが入っていました。
おかあさんの手にばんそうこうがはってありました。右手の人さし指。なにがあったか聞きたかったけど、おかあさんは声を出す前にドアをしめました。
カップラーメンにお湯をそそいで3分間まちました。湯気が顔にあたって、めがねがくもりました。めがねをはずして、湯気の中に顔を近づけました。あたたかくて、しょっぱくて、のどのおくがぎゅっとなりました。
カイロがないから、夜はもうふを2まいかさねてくるまりました。それでもさむいです。手がかじかんで、えんぴつがうまく持てません。
7日目
にいちゃんが夜に来ました。足音でわかりました。おかあさんの足音は左足がすこしおそい。にいちゃんの足音は右足がすこし強い。聞きわけられるようになりました。
ドアの向こうで息をしている音が聞こえました。ドアの木のにおいがしました。にいちゃんのにおいはしませんでした。木があつすぎました。
「ごめん」
ドアは開きませんでした。足音が遠くなって、聞こえなくなりました。
にいちゃんだけは、いやだって言ってくれると思っていました。にいちゃんだけは。
くやしかったです。にいちゃんがいちばんくやしい。
8日目
食パン、のこり1まい。水、半分。カップラーメン、ぜんぶ食べた。
学校のアンケートにほんとうのことを書いただけです。おとうさんがおかあさんをなぐるのをやめてほしかっただけです。
なんでわたしがここにいるの。なんでわたしだけ。
おとうさんはわるい人ではないです。おかあさんもおばあちゃんも。でもみんなでいっしょにやったことは、わるいことです。ひとりずつは、ふつうの人です。でもみんなでいっしょになると、ふつうじゃないことをします。
にいちゃんもけっきょく。
9日目
3日おきの日です。朝からドアの前で待ちました。
おかあさんの足音がしました。ドアが開きました。
水だけでした。ペットボトルが1本、ゆかにおかれました。食パンもカップラーメンもありませんでした。
おかあさんの顔が1しゅん見えました。
おかあさんはないていました。
なんでないているの。ないているのはわたしのほうです。おかあさんはあたたかい家にいて、ごはんを食べて、おふろに入って、ベッドでねているのに。わたしはここで水だけのんで、さむくて、くらくて、だれともしゃべれないのに。
なんでおかあさんがないているの。わたしのほうがくるしいのに。
10日目
だれも来ない。水ものこり少し。
おなかがすいて気もちがわるい。手がふるえる。さむい。さむい。さむい。
もういやだ。出たい。ここから出たい。
おとうさんがわたしをここに入れた。
おかあさんがかぎをかけた。
おばあちゃんが電話でうそをついた。
にいちゃんはごめんって言っただけ。
だれもたすけに来ない。だれもわたしのことなんかどうでもいいんだ。
くやしい。くやしい。くやしい。くやしい。
11日目
ころしてやる
ころしてやる
ころしてやる
ころしてやる
ころしてやる
ころしてやる
ころしてやる
ころしてやる
12日目
ころしてやるころしてやるころしてやるころしてやるころしてやるころしてやるころしてやるころしてやるころしてやるころしてやるころしてやるころしてやるころしてやるころしてやるころしてやるころしてやるころしてやるころしてやるころしてやるころしてやるころしてやるころしてやるころしてやるころしてやるころしてやるころしてやるころしてやるころしてやるころしてやるころしてやるころしてやるころしてやる』
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