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あの子の給食袋  作者: お寿司
第三幕 崩壊

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三つ目の空白

正志は壁だった。27秒で切られた電話と、取材拒否の硬い声。あの方向からは崩せない。


渉にLINEを送った。


<物証を洗い直しませんか。和彦のノートとUSB、もう一度見ます。余白、走り書き、ページの裏。見落としがあるかもしれない>


<やりましょう>


MacBookのそばに積んであるファイルの束を手に取った。椿市から持ち帰った物証のコピーと、瀬川アパートで撮影した写真データがまとめてある。その中に和彦の方眼ノートの全ページスキャンが入っていた。


 ◇


方眼ノートを画面に開いた。


A5の方眼ノートで、48ページ中15ページが設計メモだった。残りのページに和彦の走り書きが散在している。


設計メモと「3つ目がある」の1文は読んでいる。今回は読み方を変える。テキストではなく、余白を見ることにした。方眼の枠線の外側やページの端、行間にはさまれた空白の中に、インクの跡やページの折れ、何かが書かれかけて消された痕跡を探した。


26ページ目を開いた。


ページの左下の隅に、方眼の枠線にかかるようにしてボールペンの走り書きがあった。


sakura


傾いた筆跡で、インクが途中でかすれている。方眼のマス目を無視した位置に、ほとんどメモの体をなさない殴り書き。


17ページにも「enc→pwd」と書き込みがあった。暗号化とパスワード。sakuraが復号鍵の候補かもしれない。USB-Bの実物はアパートに置いてきている。


取材ノートに書いた。「P-09 ノート26ページ: sakura。USB-B復号鍵候補」


桜——サイトのファイルにもあった言葉だった。桜のテキスト、桜の写真。和彦にとって桜が何を意味するのか。美澄に関連する何かなのか、それとも——


渉にLINEを送った。


<ノートの余白に「sakura」の走り書きを見つけました。USB-Bのパスワード候補です。USBはアパートに置いてきているので、段ボールと一緒に回収しませんか>


 ◇


段ボールのスキャンデータに切り替えた。


デスクの横のペットボトルに手を伸ばした。キャップを開けて一口飲んで、水がぬるくなっていることに気がついた。いつ開けたのか覚えていない。


瀬川アパートから持ち出した物証の中で段ボールは最も量が多く、遺留品の実物がまとめて詰められていた箱だった。レシートや連絡帳、給食袋、転出届の控え、写真台紙を取り出して、渉とのスプレッドシートに全ての物証を登録してある。段ボール自体はただの容器だと思っていて、中身が重要で箱には意味がないと判断していた。


渉の「見落とし」という言葉が引っかかっている。ノートの余白に見落としがあったように、段ボールにも見落としがあるかもしれない。


アパートで撮影した写真を遡った。段ボールの外観から側面、底面、ふたを開けた状態の内部、物証を取り出した後の空の箱と、撮影順に並んでいる。


底の写真を拡大すると、底板の端に隙間が見えた。別の角度の写真では、底板と側板の間に紙の端がはさまっている。


指が止まった。


物証の撮影時にたまたま映り込んだだけで、意図的に確認した画像ではない。タイムスタンプを見ると瀬川アパートでの撮影で、段ボールの底に物証を戻した後に箱全体を撮った1枚だった。底板の隙間から紙が覗いている。この後すぐにアパートを出ていて、底板を持ち上げていなかった。


渉に送った。


<段ボールの底に何かはさまっています。写真を見てください>


画像を添付した。


<底板の端に紙が見えます。撮影時には気がつかなかった>


<実物を確認する必要がある>


<段ボールはまだアパートにあります>


<行くしかないですよね……>


<正直あのアパートもう行きたくないんですけど>


<でも行かないと分からない>


30分後には電車に乗っていた。段ボールが保管されている場所まで1時間15分で、管理人には前回の訪問時に名刺を渡してある。渉は電車の中で何度もスマートフォンの画面を確認していた。ロック画面を点けて消して、また点ける。足が小刻みに揺れている。到着の10分前に「あと3駅ですね」と言ったきり、黙っていた。


段ボールを開けて物証をひとつずつ取り出し、空になった箱を持ち上げて底板に爪をかけた。クラフト紙がめくれて、1枚の紙が折りたたまれて入っているのが見えた。


4つ折りの白い便箋で、罫線が入っている。ボールペンの青いインクで書かれた文字が折り目の間から覗いていた。


手袋をしたまま紙を広げた。大人の字だった。小ぶりで整った筆跡が設計メモの和彦の字に似ている。ただし方眼ノートの事務的な書き方ではなく、誰かに読ませるために丁寧に書かれていた。


「消えたくなければ、方法がある」


便箋の文字を目で追った。


「このゲームには3つの解法がある。ひとつはすべてのパズルを解くこと。ひとつはすべてを覚えること。最後のひとつは——」


ノートでは「方法」と書いていた。手紙では「解法」に変わっている。


文はそこで次の行に移っていた。次の行は空白だった。罫線の上に何も書かれていない。一行分の空白が紙の上に横たわっていて、その下もさらにその下も、便箋の残りは全て白いままだった。


書かなかったのか、書けなかったのか。


渉が隣で便箋を覗き込んでいた。写真を撮って、表と裏の両面を記録している。


渉の手が止まった。便箋を持つ指先が微かに震えている。


「和彦の字です」


声が掠れていた。渉が方眼ノートの筆跡と照合しながら言った。


「参加者に向けた手紙だとすれば」


「和彦は知っていた。参加者が消えることを」


渉の声が一段低くなった。


「消え方を知っていて、止め方も知っていた。それを手紙に書いて、段ボールの底に入れた」


渉はそこまで言って、口を閉じた。視線が便箋の空白部分に落ちたまま動かない。5秒ほどの沈黙があった。


和彦はこの手紙を物証の下に隠していた。サイトではなく段ボールに、デジタルではなく紙に残していた。


便箋を4つ折りに戻して、段ボールの底に戻さずファイルにはさんだ。


帰りの電車の中で、便箋の空白を思い出していた。「消えたくなければ」と丁寧に書かれた青いインクと、その先の白い罫線。


3つ目の解法は空白のままだった。

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